外国人が見た男性差別⑤日本のアジール「命を守る避難所」

 

はじめの一言

*日露戦争での日本の勝利について

「日本がヨーロッパで最も強い国のひとつであるロシアに対抗できたのなら、どうしてインドにできないことがあろうか(ネルー)」

「日本賛辞の至言33撰 ごま書房」

 

 

前回、「アジール」について書いた。

アジール

聖域を意味する語。そこに逃げ込んだ者は保護され,世俗的な権力も侵すことができない聖なる地域,避難所をいう。古くはユダヤ教の祭壇,ギリシアやローマの神殿,日本の神社や寺院の領域が,これに当たる。

(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説)

 

簡単にいったら、「そこに行ったら、絶対に守ってもらえるという避難所」でいいと思う。
いってみたら、究極の逃げ場所。
なんせ、国家権力も侵すことができない聖域だから。

 

日本の歴史でもこのアジールがあった。

日本では、古く対馬(つしま)に原始的アジールの存在したことが知られるほかは、アジールの制は鎌倉時代以後、仏教寺院において発達した。ことに室町末期ごろから戦国時代にかけて、寺院アジールの制は発達したようである。

「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」

 

今回は、承久の乱のときに見られたアジールについて説明する。
承久の乱のことは、中学校のときに習ったはず。
こんな出来事。

承久の乱

1221(承久3)年、後鳥羽上皇が北条義時追討の院宣を発し、討幕を図った兵乱。義時は、泰時・時房に命じて京都を攻撃、上皇方を破った。乱後、後鳥羽上皇ら3上皇の配流、仲恭天皇の退位と後堀川天皇の擁立、上皇方の所領の没収など、幕府の朝廷に対する優位が確立した

(日本史用語集 山川出版)

この乱のあとに、京都の梅尾(とがのお)が「アジール」になっている。

 

承久の乱では、朝廷側の軍と鎌倉幕府の軍が戦って、幕府側が勝利する。
当然、朝廷側の武士たちは各地に逃げて行くことになる。
幕府側に捕まったら殺されてしまうかもしれないから。

その武士が逃げ込んだ先に、京都の「梅尾(とがのお)」がある。

このとき、梅尾には仏教のお寺があって明恵(みょうえ)というお坊さんが住んでいた。この明恵という僧は、高校の日本史を習った人なら覚えているかも。
日本史の重要人物。

 

この梅尾は、お寺があって僧が管理していたから「仏教の聖域」になる。
ここに朝廷軍の落ち武者たちが逃げこんできた。
僧であった明恵は彼らを追い出すことはしないで、かくまうことにする。

 

この梅尾に朝廷側の武士たちがいることを幕府側が知る。
彼らを捕まえるために、幕府の武士たちが梅尾に入る。
そして、落ち武者をかくまった明恵を捕まえて、大将の北条泰時の前まで連れて来る。

北条泰時

1183~1242 3代執権、義時の子。承久の乱に幕府軍総大将として勝利し、乱後、六波羅探題北方の初代となる。
1224年の執権就任後、連署・評定衆を新設して合議制を進める。御成敗式目を制定するなど、執権政治の確立にも努めた

(日本史用語集 山川出版)

 

北条泰時を前にして、明恵は朝廷側の武士を助けた理由を次のように言う。
*「咎め」は「とがめ」

この梅尾の山は御仏に差し上げた寺領であるから、仏教の慈悲の精神から一切の鳥獣などの狩猟を禁ぜられた土地であります。
それ故に鷹に追いかけられる鳥、猟師の手を逃れににげる獣、皆この地に隠れて余命を保つのである。

それ故、敵の手を遁れる兵士が、やっとの思いで命ばかり助かって、木の根本や岩戸岩の間に隠れているのを、私が咎めを受けるからというので、無情に追い出して、そのため敵の手に捕らえられ生命を奪われることを、無視できましょうか。
(中略)この私の行為が幕府の施政の方針に不都合でしたなら、直ちにこの首を斬られるがよい

(明恵上人伝記 講談社学術文庫)

 

明恵は仏教僧であって、承久の乱にはまったくかかわりがない。
朝廷側と幕府側の、どちらの味方でも敵でもない。
でも、命の危険があって助けを求める者がいたら、仏の教えにしたがってこれを助ける。
それが鎌倉幕府の考えと合わなかったら、この首をはねたらいい。
そうしたことを明恵は、北条泰時に言っている。

 

このことについて、訳者の平泉洸氏はこう書いている。

梅尾の高山寺境内は殺生を許さない聖地として仏に捧げられた土地であるから、境内において鳥獣を捕え、また殺すことは許されない。まして人を捕縛して、殺傷することの許される道理はない。
つまりここは警察権も介入を許されないアジール(Asyl)の地であるから、自分がこの寺を管理しているかぎり、脅迫せられて逃げ来る者は、必ずこれを収容し庇護するであろう。

それは仏弟子としての自分の神聖なる責任である」というのである(同書)

 

梅尾は仏教の聖地で仏のものである。
だから、鎌倉幕府の力が及ぶところではなく、ここに介入することはできないとしている。

これは、前回かいたイギリスでの教会(アジール)と国王の関係に似ている。
「神のもの」である教会には国王であっても、立ち入ることができない。
ともに「聖域」であるから、将軍や国王といった世俗の権力をこえた最高の「避難地」になっている。
もっとも、それは「権力者が認めれば」という条件つきのものだけどね。

 

そしてこの「日本版アジールの名残り」が、江戸時代にあった「縁切寺」だとみられている。

ここから、外国人から「男性への差別だ!」と言われる女性専用車両について考えてみたい。

それは次回に。

 

 

日本の歴史の特徴・君側の奸を討つ②北条泰時の承久の乱とは

キリスト教を知りましょう!「目次」 ハレルヤ!

外国人から見た日本の男性差別①その例:プリクラ店とレディスデー

宗教と女性差別②神道の女人禁制の理由とは?穢れと清め

宗教と女性差別③キリスト教(アクィナス)の女性観「女は失敗作」

 

コメントを残す

ABOUTこの記事をかいた人

今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。