はじめの一言
「家具といえば、彼らはほとんど何も持たない。一隅に小さなかまど、夜具を入れる引き戸つきの戸棚、小さな棚の上には飯や魚を盛る漆塗りの小皿が皆きちんと並べられている。これが小さな家の家財道具で、彼らはこれで充分に、公明正大に暮らしているのだ(ボーヴォワル)」
「逝きし日の面影 平凡社」
今回の内容
・アイデンティティのための首輪
・首長族は女性差別?
前回に引き続き、ミャンマー人のガイドから首長族についての話を聞いた。
このガイドはパダワン族(首長族)とは違う「シャン族」という少数民族の人。
大学で英語を学んで観光ガイドになったという。
彼女は首長族と同じミャンマー人であると同時に、仕事でたくさんの西洋人を案内してきている。
だから、ミャンマー人の伝統的な考え方と欧米人の常識や価値観を知っている。
そんな人だったら、首長族についてどう考えているのだろう?
特にこの首輪は「女性への差別」になると思うのだろうか?
ばいば~い
まずはこのガイドさんに、長い首を美しいと思うかたずねてみた。
「美しいとは思いませんね。私なら首輪をするのはイヤです」
彼女はハッキリこう言っていた。
同じミャンマー人でも、「美しい」と思う感覚はちがう。
同じ地方に住んでいても、民族がちがえば美意識も変わるものなんだろうか。
そうだとしたら、美の感覚とはどうやってつくられるのか?
なんか不思議が感じがする。
「それにあの首輪はパダワン族のシンボルで、パダワン族の人だけがするものです。私はシャン族ですから。その意味でも私は首輪をしたくはないですね」
「首輪はパダワン族のもので、シャン族である自分はしたくない」となると、これは民族のアイデンティティが理由になる。
アイデンティティ【identity】
訳語としては,自己同一性self identity,自我同一性ego identity,主体性,自己確認,帰属意識などがある。
(世界大百科事典 第2版の解説)
実際、ガイドはパダワン族が首を長くするのは「パダワン族としてのアイデンティティのため」という目的があると話していた。
このインレー湖のあたりには、たくさんの少数民族の人たちが住んでいる。
ガイドはシャン族だけど、ボートの運転手はインダー族の人だったしお土産店にいたのはパダワン族の人だった。
数時間で3つの民族と出会っている。
こんなことは日本だったらありえない。
ボクには民族のちがいがよく分からないけど、シャン族のガイドからしたら民族によって言葉や着ている服がちがうからすぐに分かるという。
いろいろな民族がいるから、たがいに自分の民族の服を着て「ちがい」をはっきりさせたがる傾向があるらしい。
パダワン族にしてみたら、あの首輪をすることで「自分はパダワン族である」というアイデンティティを確認することができ、民族としての自覚や誇りを感じているのだろう。
日本でこれと似たことを考えた場合、オリンピックの閉会式で小池都知事が着ていた着物がある。
なんで世界の舞台で、日本の伝統的な服である着物を着ていたか?
着物を着ることで他国とのちがいを明確にして、日本をアピールするねらいがあったはず。
実際、インタビューでそう言っていた。
ボクもテレビを見ていて、あの着物姿を見て誇らしいというかうれしく思った。
これは着物によって日本人としてのアイデンティティを感じたからで、パダワン族にとっては首輪がこれに相当するのだろう。
・首長族は女性差別?
ただ日本人のボクには、あの首輪をしている姿がどうしても痛々しく見えてしまう。
当の本人は「長い首は美しいし誇らしい」と思っているから、そう感じてしまうのは失礼なことかもしれないけど。
首輪をつけさせることは、女性差別にあたるとは思う。
ミャンマー人と欧米人の考え方を知っているこのガイドは、どう感じているのだろう?
「それはよくお客さんとも議論になります。人によって答えも違いますね。『あれは差別だ』という人もいれば『それは欧米の価値観によるもので、あれはパダワン族の文化だ』という人もいます。とても難しい問題です。」
世界中の人が行き来する国際化の時代では、こうした問題がおこる。
ある民族の伝統的な考え方と、「人権や平等」といった人類に普遍的な価値観がぶつかるときがある。
ふへん‐てき【普遍的】
広く行き渡るさま。極めて多くの物事にあてはまるさま。
(デジタル大辞泉の解説)
日本では相撲の土俵に女性は上がることができない。
そのことで「それは女性への差別か伝統か?」ということが、大阪で問題になった。
「普遍的な価値観」といっても人権や平等という考え方は、主として欧米の価値観によるもの。
首長族がしている首輪を見て、「それは人権侵害だ」、「女性への差別だ」という欧米の価値観からとらえて、その習慣をやめさせていいのか?
インドのサティーのような「強制自殺」は、やめさせないとダメだろうけど。
「これは私の考えですけど」とことわりを入れてガイドはこう言う。
「問題は、パダワン族の女性には選択権がないということです。たとえば、16歳になったら首輪をするかどうかを自分で決めさせて、『したい』と思ったらすればいいと思います。今のパダワン族の女性には、そんなふうに自分で決める権利はありません」
これはボクも考えていた。
物事の分別がついて、首輪をして生活することのメリットとデメリットを考えられるような年齢になったら、首輪をするかしないか自分で決めさせる。
自分の人生は自分で決めるという「自己決定権」があれば、人権侵害や差別ではいだろう。
もちろん、首輪をしないで生活することが不利になるような環境であったら、それはそれで問題だろうけど。
でも、すべての問題を一度に解決できることはない。
この首長族についてどう思うか、イギリス人とアメリカ人の友人にメールできいてみた。
2人とも20代の女の子。
するとこんな返事をくれた。
イギリス人
Does she have to wear it? She doesn’t have a choice?
If so then I don’t agree. If she chose to wear it then fine.
アメリカ人
I have heard about them before and I have seen pictures. I have no real opinion.
あなたは、どう考えますか?
おまけ
ミャンマーの市場の様子
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