はじめの一言
*物がない日本人の質素な生活について
「彼らの全生活に及んでいるように思えるこのスパルタ的な習慣の簡素さのなかには、賞賛すべきなにものかがある(オールコック 幕末)」
「逝きし日の面影 平凡社」
今回の内容
・最近のトルコの事情
・「トルコクーデター未遂事件」の背景
・最近のトルコの事情
トルコでは、1920年代にアタテュルクによって政教分離の政策がとられた。
それ以来、これがトルコの基本的な考え方となって今にいたる。
前回の記事で、そんなことを書いた。
でも今、この政教分離を見直す動きが出てきている。
たとえば、女性警官のスカーフ着用がトルコで初めて解禁された。
このAFPの記事(2016/08/27)を見てほしい。
トルコでは建国以来、イスラム教徒が多数派を占めながらも厳格な政教分離政策を実施し、教育現場や公共の場ではスカーフ着用が禁じられてきた。しかし、イスラム系与党・公正発展党(AKP)は、2002年に政権を獲得して以降、これまでに大学構内でのスカーフ着用や、軍や警察など制服を着る職業を除く女性公務員のスカーフ着用を解禁してきた。
今回の禁止令廃止に関する政府官報では、女性警官は「制服と同じ色で、柄がない」スカーフを着用できると述べている。
「トルコ、女性警官のスカーフ着用解禁」
この動きは、フランスとは反対になる。
フランスでは政教分離の原則にのっとって、公共の場所でイスラーム教徒の女性の服(ブルカなど)を着ることを禁止した。
イギリスでもイスラーム教徒の着る服について問題が起きている。
詳しくは、これを見て。
英語だけどね。
Muslim family ‘treated like aliens, branded terrorists’ on trip to English seaside town
今のトルコでは、これまでの政教分離に対して意見が大きく分かれている。
・今までしてきたような、伝統的な政教分離を支持する人たち
・エルドアン大統領のように、これまでの政教分離を変えようとする人たち
当然、この両者の間では対立がある。
・「トルコクーデター未遂事件」の背景
今年の7月にトルコで「クーデター未遂事件」が起きた。
クーデターとはもともとフランス語で「国への一撃」の意味の言葉だ。
軍などが武力で権力を奪取するような政変を指す(朝日新聞掲載「キーワード」の解説)。
ちなみにクーデターと革命はちがう。
クーデターでは、支配者は変わるけど支配体制は同じ。
体制そのもののをひっくり返すものだと革命になる。
トルコのクーデターは軍がしたことで、一般市民は関与していない。
むしろ、市民は軍のよるクーデターをとめようと街に出ていた。
こに対してチュニジアで起きた「ジャスミン革命」は、一般の民衆が主体となっておこなわれている。
だから、クーデターではなくて革命になるんだろう。
ジャスミン革命
2010年12月にチュニジアで起きた民主化運動の通称。青年層を中心にストライキ・デモが拡大し、翌2011年1月に23年間続いた独裁政権が崩壊した。ジャスミンはチュニジアを代表する花。
(デジタル大辞泉の解説)
これがきっかけとなって「アラブの春」がはじまる。
これは、1968年にチェコスロバキアで起きた「プラハの春」にちなんだ命名。
さて、話をトルコのクーデター未遂事件に戻す。
先ほど書いた「政教分離に賛成の人たち」と「政教分離には反対の人たち」の間で対立がうまれる。
そしてそれが、トルコ軍による「2016年トルコクーデター未遂事件」の背景になった。
2003年に首相に就任し、11年務めた後2014年に大統領に就任したレジェップ・タイイップ・エルドアンは好調な経済を背景に支持率を高める一方、独裁的な傾向を強め、トルコのイスラム化政策を推し進めた。
これに対して、世俗派の守護者を自負するトルコ軍は政教分離を重視していたため、軍との関係は良くなかった。
(ウィキペディア)
このクーデターは、エルドアン大統領側の「完全勝利」に終わったから、これからもトルコは伝統的な政教分離は崩れていって、ウィキペディアにある「イスラム化」が進んでいくように思う。
むかしトルコを旅行していたときは、「時代が進めば『脱宗教』の社会」になる」なんて思っていたけど、実際にはそんな単純にはいかないみたい。
トルコのことはトルコが決めればいいけど、個人的に、早く安心して旅行を楽しめる国になってほしいなあ、と願っている。
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