はじめの一言
「日本の貧民層というのは、アメリカの貧民層が有するあの救いようのない野卑な風俗習慣を持たない(モース 明治時代)」
「逝きし日の面影 平凡社」
以前、海外旅行で「沈没する」旅行者について書いた。
沈没
長期間の海外個人旅行をしているバックパッカーなどが、旅行の本来の目的である観光を中断し、一つの街への滞在を目的としてしまうことを「沈没」と呼ぶ。 (ウィキペディア)
沈没者の多くは、特に何かをしているわけでもない。
好きなときに起きて、食べて、そして寝る。
だからバックパッカーの沈没者には、「だらしない」というイメージがつきまとってしまう。
でも、そうではない沈没者もいる。
今回紹介する沈没者(長期滞在者)は、その素晴らしい人間性から現地の人の支持をえたという変わった日本人。
エジプトの首都「カイロ」には、沈没している日本人旅人が多くいた。
ボクが会った人もそのなかの一人になる。
その人の話の前に、旅人の沈没スポットとしてのカイロについて知っておこう。
カイロ(Cairo)
エジプト‐アラブ共和国の首都。ナイル川河口の三角州にあるアフリカ大陸最大の都市で、アラブ世界の政治・文化の中心地。
(デジタル大辞泉の解説)
このカイロという都市は、沈没者が出やすいところだった。
今でもそうだと思うけどね。
その理由は、なんといってもエジプトという国の位置が大きい。
エジプトは、中東を旅してきた人にとって最初に入るアフリカの国になる。
いってみたら、エジプトは「アフリカの玄関」。
エジプトの後に、スーダンに行くにしろリビアに行くにしろ、ここでアフリカの情報を集めたり、それからの旅に必要なものをそろえたりするには絶好の位置にある。
エジプトはアフリカの玄関であると同時に、「アフリカ旅のゴール」でもある。
多くのアフリカ旅行者は、南アフリカ~エジプトの縦ルートをとる。
南アフリカから入って北に進んで行けば、エジプトがアフリカ旅のゴールになる。
さらにエジプトは、他のアフリカの国より栄えているから心身を休ませるには絶好の地でもある。
と同時に、中東の旅情報を集めることもできる。
こうした理由で、カイロに長期滞在する旅行者はたくさんいた。
そういえば、このカイロという都市名は「勝利の町」や「勝利者」という意味になる。
だから、その意味でもアフリカ旅の最終地点にはふさわしい。
ジャウハルはフスタートの北3km郊外の地点(カターイーの北)に新たに「勝利の町」を意味する「ミスル・アル゠カーヒラ」の名をもち(中略)アズハル・モスクを中心に1km四方の方形の城壁を備えた新都を建設した。
以来、カイロはファーティマ朝200年の首都となる
(ウィキペディア)
カイロ【Cairo】
エジプト・アラブ共和国の首都。人口685万(1994)。アラビア語ではカーヒラal‐Qāhiraで,〈勝利者〉の意。
(世界大百科事典 第2版の解説)
ちなみに、このカイロをず~っと東に行くと日本のどこかとぶつかる。
どこでしょう?
答えは、鹿児島県の屋久島。
つまり、エジプトのカイロと屋久島は同じ緯度にあるということ。
雨の多い屋久島と違って、カイロはめっちゃくちゃ乾燥しているけどね。
・カイロのすばらしき沈没者
ボクが会った日本人沈没者は、カイロの宿に数か月も滞在していた。
でも、それだけなら珍しくはない。
その人が変わっていたのが、宿泊客から宿代を集めていたこと。
「なんで、宿代を集めているんですか?」
とボクがきくと、彼はこんなことを言う。
「みんなの宿代を集めることで、ボクの宿代がタダになるんですよ」
そんなことがあるんだ、と驚いた。
別の旅行者から聞いた話だと、宿のエジプト人オーナーはその日本人に絶大な信頼をおいているらしい。
エジプト人の従業員はすぐ休むし、遅刻もする。
言いわけはするけど、仕事はしない。
仕事ぶりもいいかげんで、宿泊客から宿代をしっかり回収しないこともある。
宿代を払わないで、客がホテルを出て行ってしまうことがあって、それがオーナーの頭を悩ませていたらしい。
宿の前の通り
そこに彼があらわれた。
この日本人は、宿代を毎日しっかり払う。
あやしい行動もない。
どうも、見どころもある。
それでためしに、宿泊料をタダにする代わりに、他の客の宿代を集めてもらった。
そうしたら、確実に宿代を回収してくれる。
とはいえ、日本人客からだけ集めていたと思う。
その沈没者は長いあいだ旅をしていて、豊富な旅経験があった。
えらそうな言い方をすることはないし、エジプト旅のアドバイスもしてくれる。
だから、その宿にいた日本人旅行も彼をしたっていた。
「この人になら、気持ち良く宿代を払える」
そんなことを思わせる雰囲気のある人だった。
彼の真面目な仕事ぶりから、宿のオーナーはエジプト人の従業員よりも日本人の彼を信頼していたという。
こうして、宿泊客から宿代を回収してオーナーに渡すことで、その沈没者の宿代がタダになるという不思議なシステムが出来上がった。
宿代といっても、ドミトリーだから200円ぐらいだったけどね。
とにかく、そんな沈没者には会ったことがなかった。
というか、宿泊客でも従業員でもない。
と同時に、宿泊客であり従業員でもあった。
あの人を的確にあらわす日本語が分からない。
本当に不思議な人だった。
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