米軍「中国のミサイル基地?」→福建省の土楼でした

 

はじめの一言

「金持ちは高ぶらず、貧乏人は卑下しない。・・ほんものの平等精神、われわれはみな同じ人間だと心底から信じる心が、社会の隅々まで浸透しているのである
(チェンバレン 江戸時代)

「逝きし日の面影 平凡社」

 

まずはこの写真を見てほしい。

P1030077

 

これは中国にある土楼(どろう)という巨大な建築物。
客家(はっか)と呼ばれる人たちが建てた集合住宅で、20年ほど前にここへ行ったときは、外国人でも土楼には泊まることができた。
ボクが泊った土楼は福建省にある「福建土楼」で、1泊500円ぐらいだった記憶がある。
この土楼は世界遺産に登録されている。

ちなみに客家出身の有名人には、太平天国の指導者の「洪秀全」、辛亥革命を起こして清を倒した「孫文」、今の中国をつくった「鄧小平」などがいる。

 

 

さて福建省の中国人は、なんで土楼という巨大住宅をつくろうと思ったのか?
実はそれには日本人が関係しているのだ。

前回、明を滅ぼす原因になった北虜南倭(ほくりょなんわ)について書いた。
16世紀、北ではモンゴル人の攻撃を受けていて(北虜)、「土木の変」では明の皇帝(英宗)が捕まってモンゴルに連行されてしまった。
歴代の中国の皇帝のなかで、野戦で敵軍に捕まったという不名誉な記録をもつのはこの英宗だけ。

そして南では倭寇が暴れ回っていた。(南倭)
学校で「倭寇とは、日本人の海賊のこと」と習った人もいると思うが、必ずしもそうではなくて、中国人が日本人の姿や恰好をマネしていたこともあった。

十三世紀から十六世紀にかけて、朝鮮や中国の沿海を荒らした日本の海賊は、「倭寇」としておそれられた。倭とは日本人のことで、これはめっぽう強いのである。

ー倭寇だぞォ!

といえば、住民はおろか、官兵まで戦わずに逃げたという。ところが、中国側の史書にもあるように、

ー真倭(ほんとうの日本人)は十人に一人にすぎず。

であった。
大部分は、中国人が(中略)にせ日本人だったのである。ちょんまけを見れば、むこうは逃げてくれるから、この変装はこたえられない。

「日本的 中国的 (徳間書店) 陳舜臣」

 

もうチョット詳しく見ると、倭寇は「前期倭寇」と「後期倭寇」に分けられる。
「南倭」の倭寇は後期倭寇のことで、この時期には、日本人より中国人のほうが多かったのだ。

後期倭寇

勘合貿易が廃絶した16世紀半ば、明の海禁策に反して中国南部で密貿易を行なった武装貿易集団。
構成員に日本人は少なく、大部分は中国人であった。

「日本史用語集 (山川出版)」

 

さらに知りたかったら、「王直」をみてほしい。
倭寇には日本人・朝鮮人・中国人だけではなく、ポルトガル人までもいらから、実はかなりの多国籍集団だったりする。

 

16世紀の明は北のモンゴルと南の倭寇の「北虜南倭」に悩まされ、その対策に莫大な費用がかかったことが明の衰退の原因となった。

中国南部を暴れまわっていた倭寇を取り締まったのが豊臣秀吉で、秀吉の海賊取締令で倭寇は衰退する。

 

 

ここで話を冒頭の土楼に戻そう。
福建省の中国人がこんな巨大な、要塞のような家を建てた理由の1つが「倭寇から守るため」だった。
これは中国語サイトの説明だけど、意味は分かるだろう。

土楼的起源与土楼的防御作用

抵抗倭寇
倭寇入侵时
倭寇入侵闽浙

 

「土楼的起源与土楼的防御作用」は、「土楼の起源は防御のため」というとことだと思われ。
つまり、倭寇の襲撃を防ぐために、こうした土楼が建てられたということ。
それが次に書いてある。
「抵抗倭寇・倭寇入侵时・倭寇入侵闽浙」は、「倭寇に抵抗した・倭寇が侵入した時」といった意味では。

中国人はモンゴル族から守るために北に万里の長城を築いて、民間では倭寇から一族を守るためにこんな土楼をつくったのだ。
そしてこの土楼はアメリカ人の想像をはるかに越えていた。
「エアチャイナ」のウェブサイトにこう書いてある。

かつてアメリカ軍の衛星に発見され「中国の核ミサイル施設ではないか?」と誤爆されそうになったという話もあります。

福建土楼

 

アメリカ軍に「核ミサイル基地」と思わせてしまう土楼、恐るべし。
いまも泊まることができかもしれないから、ぜひ行って体験してくれ。

 

ボクが泊まった土楼

 

 

こちらの記事もいかがですか?

中国を知ろう! 「目次」 ①

中国を知ろう! 「目次」 ②

ヨーロッパ中心主義というバカな考え・日本とポルトガルの関係

中国との違い③日本文化の特徴「変える力」着物や扇子も和風に

日本と唐(則天武后)の関係 聖武天皇・奈良の大仏・水戸黄門

 

コメントを残す

ABOUTこの記事をかいた人

今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。