はじめの一言
*中国人から見た日本
「元日の松飾り、ヒナ祭りから端午の鯉のぼり、七月七日の星祭り、七月なかばの盆踊りや、さては九月九日のクリ餅など、もともと中国の年中行事の受け売りではあるが、日本人の手にかかると非常に意味の深い国民的なお祭りになり、じつに盛んなものである」
「日本絶賛語録 小学館」
前回こんなことを書いた。
日本のマスコミの誤報から、いわゆる「従軍慰安婦問題」が日韓の外交問題、国際問題になってしまった。
今回はその続き。
でもその前に、今回なんでこんな記事を書こうと思ったのか?
その理由はこれだ。
戦争とは何ら関わりのない、将来の世代が、謝罪を続けねばならないような状況を作ってはなりません。これは、今を生きる、現在の世代の責任であると考えています。
これは外務省のHPにのっているもの。
「日本人に生まれたということだけで、謝罪しないといけない」というのは、どう考えてもおかしいし、とうてい受け入れることができない。
これからの日本人にはこんなことをさせないことが、今を生きる日本人の役割であり責任でもあるから。
このことについては、ボクも個人的に反省をしないといけない。
ボクも昔は、学校の教員の言うことやマスコミ報道を頭から信じていて、「旧日本軍が、韓国人の女性を戦場へつれて行くことを強制した」と本気で思っていた。
単に思っていただけでははなくて、「旧日本軍はこんなにひどいことをした」とまわりの人間に話していた。
でも実際には、本当にそんな出来事があったと裏づける資料がまったくないことが分かる。
つまり、「旧日本軍が韓国人女性を強制連行をした」ということにはまったく根拠がなかったのだ。
そのことが分かると、「あれだけ騒いでいたのでに、なんだそりゃ」と虚脱感のようなものを感じてしまった。
ボクの場合は、これを「歴史の事実」だと思いこんでいて、まわりの人に伝えていたから、結果的に間違った情報を拡散してしまったことになる。
とはいえツイッターもない時代だったから、ボクのまわりの人間だけだったけど。
実質的な影響は、ゼロにひとしい。
それと、この当時はそれが「誤報」だとは知らなかったから、「ウソを広めている」という認識もなかった。
むしろ「旧日本軍が強制連行したのだ」とまわりの人に教えることが、「正しいことをしている」とさえ思っていた。
だから怖い。
善意や正義感からおこなう活動には、歯止めがきかない。
「自分は正しいことをしている」という信念で間違ったことをしているのは、本当にやっかいだ。
それに「旧日本軍はこんなに悪いことをしたんだ!」と、自分が正義の側に立って、悪を糾弾するのは気持ちが良い。
正直にいって、そのようなことを感じた。
でも今となっては、「戦争とは何ら関わりのない、将来の世代が、謝罪を続けねばならないような状況」というものを、ほんの少しでも作ることになってしまったのかもしれないと思っている。
これは確かに反省しないといけない。
だから、こうして「反省文」を書いているわけですよ。
ちなみに、2015年1月の読売新聞の社説によると、旧日本軍が強制連行したという事実は確認されていない。
「教科書の慰安婦 誤解を招く表現は訂正したい」
慰安婦問題の本質は、旧日本軍の強制連行の有無である。これまでに政府が行った調査では、軍による強制連行を裏付ける資料は確認されていない
それから現在まで、強制連行を証明する資料は出てきていない。
これから出てくることもないだろう。
でも、なんで当時の自分が「旧日本軍が強制連行をした」という話を信じてしまったのか?
学校の教員やマスコミがそのように伝えていたから、そのままそれを信じてしまうのが自然だったし、あのときはしかたがなかったと思っている。
でも、情報源が1つしかなかったのはマズかった。
具体的には、1つの新聞紙しか見てなかったこと。
日本にある数多くの新聞紙は、同じように見えるかもしれれないけど、考え方や価値観が違って論調も異なっている。
1つの新聞だけから情報をえることは危ない。
だからマスコミの報道を知るときは、別の社の報道も見て1つのことを多角的に知ることがすごく大事。
そして、もっと大事なことは読み比べてどれが正しいか自分の頭で考えること。「自分の意見をもつ」ためには、これはとても有効な方法.
朝日新聞と産経新聞は、論調がまるで違う。
安保法案や憲法改正、慰安婦問題では反対の意見を載せている。
だから自分で考える訓練ができる。
繰り返すよ?
情報源が限られているというのは危ない。
新聞記事を読んで考えて、自分なりに消化して。
昔は図書館で朝日・毎日・読売・産経・日経新聞を広げて読み比べをしていた。
よくあんな手間がかかることをやっていたな、と我ながら感心する。
でも、今はこんな便利なものがある。
いろんな新聞社の見出しがすぐ分かる。
見出しだけでも見比べたらいい。
「これから日本に生まれる人間は、謝罪をし続けなければいけない」なんてこと、あってはならない。
これは、今を生きる日本人の課題であり責任でもあると思うよ。
今回は、ここまで。
この記事で書いたけど、ボクがしたことぐらいなら大したことはない。
なかには、日本中の人間に謝るることになってしまった人もいる。
最近、雑誌で日本中の日本人に対して謝罪した日本人がいる。
「父が犯した慰安婦強制連行の捏造について、吉田家の長男として、日本の皆様にたいへん申し訳なく思っております」
「吉田家の長男」というところでピンと来たかもしれない。
こう謝罪の言葉を述べたのは、慰安婦問題を「つくった人物」としてよくあげられる「吉田清治」という人の息子。
次回、このことを書きます。
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