昭和20年(1945)8月15日、日本の降伏によって太平洋戦争は終わった。
それを知ったアメリカ人は、とりあえずキスをした。
「世界で最も有名なキス」ともいわれる勝利のキス
これと正反対なのが降伏して捕虜となった日本兵だ。
フィリピンで米軍捕虜となったある日本人はこう書いている。
米国民のわが国に対する憎悪の念は相当に強いものと思わねばならぬ。だが米国人は執念深く怨みを持ち続けるような人々ではない。いつかは戦争のことも忘れるであろう。
「比島投降記 ある新聞記者の見た敗戦 (石川 欣一)」
きのうまで殺し合いをしていた者同士、しかもそこはバターン死の行進があったフィリピンだった。
だから、日本への米軍の憎悪や恨みはいっそう深ったかもしれない。
さて、74年前に抱いたこの日本兵の不安や期待はどうだったのか。
アメリカ人は怨みを持ち続ける人々だったか?
そして日米関係はどうなったのか?
「殺人者ジャップが全滅するまで手を休めるな!」
日本人への憎悪をかき立てるアメリカのプロパガンダポスター。
バターン死の行進について書かれている。
令和元年のいま、その答えはイエスだ。
アメリカ人は日本への憎悪や怨みを持っていない。
その意味での戦争なら忘れたけど、もちろん太平洋戦争の記憶はある。
「それは約3億3000万人のアメリカ国民1人残らずか?」という極論は無視するとして、この朝日新聞の記事(2019年3月23日)を読めばそれがわかる。
硫黄島で日米合同の戦没者追悼式 太平洋戦争の激戦地
硫黄等の戦い(1945年2月19日から3月26日 )は太平洋戦争のなかでも、最も激しく残酷な戦いのひとつ。
日本軍は約2万2200人、米軍は約6900人の戦死者を出したいわれる。
でもいまではそこで、日本とアメリカが一緒になって追悼式をおこなっているのだ。
この式で根本厚生労働相は、「日米は友好の絆を更に深いものとし、悲惨な戦争を繰り返さないため一層努力することを誓う」と言い、アメリカ代表のロバート米海兵隊総司令官は「我々が毎年この地に集うのは、かつて敵同士だった日米の友好を更に発展させるためだ」と言う。
「わが国に対する憎悪の念は相当に強いものと思わねばならぬ」と戦後直後の日本兵は言ったけど、その憎悪はいま平和の誓いと友好に変わっていた。
2017年にこの慰霊式に参加した新藤元総務相(硫黄島で戦死した栗林忠道中将の孫)によると、かつての敵と味方が一堂に集まって毎年慰霊祭を行っているのは世界でここだけという。
3月25日、硫黄島で「日米戦没者合同慰霊追悼顕彰式」が行われ、硫黄島問題懇話会・幹事長、戦没者遺族代表として、ご挨拶いたしました。
硫黄等の戦い
そしてその3か月後にはこんなことがあった。
中央日報の記事(2019年05月29日)
トランプ氏、真珠湾を空襲した空母「加賀」の名を冠した戦艦に乗艦
1941年12月7日、日本軍がハワイの真珠湾を奇襲して戦争がはじまった。
そのとき米軍基地を攻撃すために、日本軍の攻撃機が飛び立ったのが空母「加賀」。
でも翌年1942年6月4日、ミッドウェー海戦で米軍の攻撃によって海に沈められた。
この空母「加賀」と同じ名前の護衛艦(空母)「かが」に安倍首相とトランプ大統領がならび立って、自衛隊員と米軍兵士の前で平和と友好を確認しあった。
「日米の首脳がそろって両国隊員を激励するのは史上初」と安倍首相は言う。
これに対してトランプ大統領も「米国海軍第7艦隊の兵士と日本海上自衛隊隊員がそろってここにいるという事実がうれしい」、「米軍船舶と同盟国艦船がともに肩をあわせているここは恒久的な力とパートナーシップを象徴している」と力を込めた。
だから、「米国人は執念深く怨みを持ち続けるような人々ではない」という見通しはあたっている。
憎悪や恨みも消えた。
かつての敵はいま、頼れる友になった。
安倍首相とトランプ大統領(広島で演説したオバマ大統領も)は74年前の日本兵の不安を打ち消して、みごと期待に応えてくれた。
いまの日米関係はかつてないほど強固だ。
さあ、執念深い恨みを忘れて、次に日本の友人になるのはどこの国だろう。
空母「加賀」(1936年)
インド人「戦争はしてはならない。だから核兵器は必要なんだ」~平和について②~
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