【歴史雑学】勝利を記念する地名②ジャカルタ(と日本の関係)

 

世界には、戦いの勝利を記念してつけられた地名がいくつもある。

たとえば韓国。
韓国の江原道(カンウォンド)には、朝鮮戦争で韓国軍が中国軍を撃破したことを記念して、李承晩(イ・スンマン)大統領が命名した「モルゲッソヨ」がある。
あ、違った。「破虜湖(パロこ)」という湖がある。
エジプトの首都カイロ、ミャンマー最大の都市ヤンゴンも同じく戦いの勝利を記念して命名された。
くわしいことは前回の記事をどうぞ。

【歴史雑学】勝利を記念する地名①破虜湖・カイロ・ヤンゴン

今回はその続きっす。

 

 

ではクエスチョン。
上の都市はどこでしょう?

ヒント1:東南アジアにある国の首都。
ヒント2:彼らはイスラーム教徒でいまはお祈りの時間。だから駅の構内で礼拝をおこなっている。
ヒント3:ジャガイモ。

 

 

答えはインドネシアの首都ジャカルタ。
上の地図では東京と重なっているところだ。

はるか昔、ここは「スンダ・クラパ」と呼ばれていたのだけど、16世紀にここを征服したバンテン王国のスルタン(イスラームの王)がこの地を「ジャカルタ」と命名。
ジャヤ(偉大なる勝利)にカルタ(町)でジャカルタ(勝利の町・都)になった。

オランダ植民地時代には、ジャカルタはバタビアと改名されたけど、太平洋戦争で日本がここを占領したとき、1942年にふたたびジャカルタと改称していまにいたる。

くわしいことはここをどうぞ。

ジャカルタ・名称

 

 

以下、雑学的にジャカルタと日本との関係について書こうと思う。

まずは上の写真だ。
日本語のジャガイモはジャカルタが語源になっているといわれる。
ジャカルタは江戸時代に「ジャガタラ」と言われていて、16世紀にオランダ人がそこからこのイモを持ち込んだことから、ジャガタライモと呼ばれていた。
それが短くなって現在のジャガイモになったという。

 

いままでに、日本にいるインドネシア人にジャカルタの意味を知っているか質問してみた。
10人以上のインドネシア人にきいてみたところ、意外なことに、これを知っている人は1人しかいなかった。
日本にいるインドネシア人は大卒のエリートが多い。
質問したインドネシア人もみんな大学を卒業していて英語を話せる逸材だったけど、自国の首都の意味を知っているのは10人中1人だけ。
よく分からないけど、「すごいです!あなたはわたしよりインドネシアのことを知っています!」と激賞されてしまった。
インドネシア人は愛国心は強いのだけど、自国の歴史に関心のない人が多いと思う。

ただジャガイモのことはわりと有名らしく、7割ほどの在日インドネシア人が知っていた。

 

ちなみに日本人とイタリア人のハーフで、江戸時代にジャカルタ(当時はバタビア)に追放された「じゃがたらお春(1625年? – 1697年)」になると、これを知っていたインドネシア人は1人もいない。
日本人だって知ってる人は少ないだろう。

ジャカルタから遠く離れた日本を想い、「あら日本恋しや、ゆかしや、見たや、見たや」と書いた手紙「じゃがたら文」で知られている。
でもこれは後世の創作というのがいまでは定説だ。

くわしいことはここをどうぞ。

じゃかたらお春

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。