ベトナム人仏教僧に話した日本人の信仰スタイル「神仏習合」

 

5月19日は何の日か?
仏教徒なら忘れちゃいけない、この日はおシャカさまの誕生日。
ということでその日、浜松にあるベトナムのお寺に行ってみたら、そこにいたベトナム人仏教僧からいろいろな話を聞くことができた。
それで前回まではこのお坊さんから聞いた話を書いたのだけど、今回は番外編として、ボクがこのお坊さんにに話した日本人の信仰スタイルについて書いていこうと思う。

前回まではこちらをどうぞ。

在日ベトナム僧から聞いた話①日本仏教との同じと違い

在日ベトナム僧に聞く②日本人とベトナム人の信仰心の違い

 

これがそのお寺

 

釈迦は生まれた直後に歩き出して右手で天を指し、「天上天下唯我独尊(世界の中で我のみが尊い)」と言ったという。

 

ベトナム人の仏教僧に日本人の信仰心について聞いてみたらこう言う。

「日本人の信仰心ってさあ、なんていうか、すごく自由というかゆるいよねえ」

*このベトナム人は笑顔が多くてとてもフレンドリー。
だから上の日本語は、このお坊さんの言葉をその場の雰囲気で意訳したもの。でも内容はこのとおり。

日本人が信仰はゆるいというのは、仏教も神道もごちゃ混ぜにしているところ。
アメリカ人・タイ人・インド人・トルコ人などいろいろな外国人も同じ指摘をしていた。
仏教はインドで生まれて日本に伝わった外来宗教で、神道は日本で生まれた民族宗教だからこの2つはまったく違う。カレーと寿司のようにまったくの別ものだ。
でも、ほとんどの日本人は寺にも神社にもお参りに行く。

なかには区別がつかない人もいて、お寺で手をたたいている人や神社で合掌している日本人を見たこともある。
ベトナムには仏教徒もキリスト教徒もいるけど、教会と寺の違いが分からない人は1人もいない。
仏教寺院でキリスト教式の礼拝をする人もいない。
ベトナムでは(というか世界では)これが常識だから、日本人の自由な信仰スタイルはこのお坊さんには印象的だった。

そんなベトナム僧に神仏習合の話をする。
日本人にとってはむかしから神様と仏様が同じぐらい大事で、神道と仏教は別々ではなくて両方をごちゃ混ぜにして信仰してきた。
そんな神仏習合の時代が1000年以上も続いて、いまの日本人のゆるい信仰が形成されたのだ。

 

 

さて、先ほど「神仏習合の時代が1000年以上も続いた」と過去形で書いた。
これは今は昔のはなしで、明治政府が出した「神仏分離令」によって神仏習合は(一応)終わりをむかえている。
明治時代の神仏分離令とそれにともなう廃仏毀釈の話をすると、ベトナムのお坊さんは「日本にそんな時代があったのですか」とおどろいていた。

明治政府が「これからは神道と仏教を分けなさーい」と命令を出したら、お寺や仏像を破壊する廃仏運動が起きてしまった。
日本版文化大革命だ。
民衆による仏教弾圧は全国的に発生して、いまでもその影響が残っている。

例えば千葉県の鋸山には五百羅漢像があるが、全ての仏像が破壊された。現在は修復されているが、羅漢像には破壊された傷跡が残っている。

廃仏毀

このときに破壊されて、いまも首を失ったままの仏像(川崎市)

 

廃仏運動という仏教破壊はほんの数年で終わった。
そのあと日本人の信仰はまた江戸時代までの神仏習合のスタイルに戻って、令和のいまもそのまま。

そんな話をすると、ベトナム人仏教僧も「なるほど。そういうわけですか」と納得のご様子。
ベトナムで神仏習合や神仏分離のようなことがあったかたずねると、ベトナムでは仏教と別の宗教が融合したことはないから、当然、分離令もないという。
仏教がインドから伝わった外来宗教であることは日本もベトナムも同じ。
ベトナムに神道のような固有の民族宗教があるか聞くと、昔はあったかもしれないけど、いまは仏教に吸収されているからよく分からないとのこと。
*あえて言えば、南ベトナムのカオダイ教はいろんな宗教がごちゃ混ぜになっている。

日本人の神仏習合の信仰スタイルには千年以上の歴史があって、日本の社会では自然なのだけど、外国人からしたらかなり変わっているらしい。

 

一番上の写真は愛知県にある豊川稲荷で、お寺の前に鳥居がある。
これも神仏習合のあらわれ。

 

神仏が習合しまくった結果、いまではこれがお寺か神社か分からなくなる人も多い。

その宗教施設が何の宗教のものか分からないというのも、日本人ならでは。

 

 

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2 件のコメント

  • >(明治の廃仏毀釈運動が一段落して)そのあと日本人の信仰はまた江戸時代までの神仏習合のスタイルに戻って、令和のいまもそのまま。
    っていうのは、ちょっと違うと思います。
    江戸時代までの神仏習合(宗教団体)には、農業私有地とか、領民とか、まるで地域領主のような、一つの地方経済団体かつ政治団体という側面があったのでは。なので、それを取り締まる徴税組織として、寺社奉行という専門の役所もあった。
    明治以降の神仏習合形宗教団体は、さすがに自治権までは諦めてからの、再出発であると。
    でも未だに原則として宗教団体が得る収益(← それは「収益でない」という主張はさておき)は、原則非課税なのですよね。つまり半分は主さんの見解が正しいってこと。

    あと、海外の仏教関係者との接触時に確認してほしいのは、「結婚が許されているか」っていうことです。
    キリスト教の神父と牧師の違いについても同じですが、結婚に対する考え方で、その宗教における宗教従事者の立場が理解できる。また、その点を抜きにして、海外の宗教関係者との正確な意思疎通はあり得ないと思う。

    ま、私なんか宗教無価値論者なので、単なる「性的コンプレックス克服を目的に人類文明で生じた精神病理的側面」くらいにしか考えられないのですがね。
    日本政府も江戸幕府を見習って、ちゃんと税金取れよ。決算財務諸表を公開させろ。坊主丸儲けには反対。

  • コメントありがとうございます。
    この記事ではおもに個人の信仰について書きました。
    神様仏様を両方を信仰していて、明治に分離令が出されたけど、また神社にもお寺にも行くようになったというものです。
    お寺の社会制度については正直、知識がありません…。
    結婚についてはまさにおっしゃる通りで、このベトナム人のお坊さんも言っていました。これは海外の仏教とは決定的な違いですから。
    でも、少し前にそのことを書いたので今回は割愛しました。
    さいきんではお寺で婚活やピラティスなどいろいろなイベントをやっています。ハッキリ言って、人が来なくて利益が出ないからだと思います。
    お寺の中でも格差があって、もうかっている寺とそうでない寺はカーストのような違いがあるような気がします。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。