5月19日、おシャカさまの誕生日に、浜松にあるベトナムの仏教寺院に行ってみた。
するとそこにはフレンドリーなベトナム人のお坊さんがいて、精進料理を食べながらいろいろな話を聞くことができた。
このお坊さんから見ると、日本人の信仰心はとてもすごく自由というかゆるい。
神様と仏様を信じていて、神社もお寺も同じような感覚でとらえている。
神道は民族宗教で、仏教はインド生まれの外来宗教だ。
まったく違う宗教を同時に信仰するのはベトナム人からすると違和感があるらしい。
そんなベトナム人僧には神仏習合の話をした。
神様と仏様をごちゃ混ぜにする神仏習合の時代が1000年以上も続いて、いまの日本人のゆるい信仰が形成された。
そのことはこの記事をどうぞ。
今回はこのお坊さんから聞いたことをふくめて、東アジアでの仏教弾圧の歴史について書こうと思いまっす。
…と思って書き出したら、日本・中国・韓国の仏教弾圧の歴史が長くなってしまったから、ベトナムのお坊さんから聞いた話は次回書きます。
これがそのベトナム寺院
ベトナムがあるところを「インドシナ」という。
これはインドとシナ(中国)のことで、インドシナ半島はインド文化圏と中国文化圏に分けられる。
*ベトナム人のお坊さんは最初、ボクが「インドシナ」と言ってもそれが何のことか分からなかった。
少し説明すると意味が分かって、「それはフランス植民地時代の古い言い方です」と言う。
大ざっぱに分けるとベトナムまでが中国文化圏で、その先のカンボジア・ラオス・タイなどはインド文化圏になる。
ベトナムの仏教は中国・韓国・日本と同じ大乗仏教で、カンボジアやタイなどは上座部仏教だ。
日中韓の東アジアの国には仏教弾圧の黒歴史がある。
ボスの中国には「三武一宗の法難」というものがあって、これは高校世界史でならう。
中国の歴代王朝が仏教を弾圧した事件のうち、とりわけ規模が大きく、また後世への影響力も大きかった4人の皇帝による廃仏事件のことである。
北魏の太武帝(423年 – 452年)
北周の武帝(560年 – 578年)
唐の武宗( 840年 – 846年)
そして後周の世宗(954年 – 959年)
この4皇帝の時代に、仏教寺院の破壊・財産の没収・僧の還俗などの弾圧が行われた。
これとは別で、1960~70年代に起きた「文化大革命」でも仏像や寺院が破壊された。
文革のときは宗教だけではなく、古い文化そのものが破壊対象となる。
博物館の館員や美術店の店員は、文化財を破壊活動から守るために、文化財に毛沢東の肖像画や語録を貼り付けて回ったという。そうすることで、紅衛兵も破壊活動に出られなくなったという。
天安門広場に集結する紅衛兵(1967年)。
手にしているのは毛主席語録
韓国では高麗時代に仏教が保護されていたけど、朝鮮時代(1392年~1910年)になると、国王が儒教を国教としたため、仏教は徹底的に弾圧された。
僧は都の漢陽に入ることを禁止された上、賎民階級に身分を落とされた。また、全国に1万以上もあった寺院は、国家的に保護を受けるべきものが242寺に限定され、その他の寺院は所有地と奴卑を没収され、また多くが破壊された。
日本では先ほど書いたように神仏習合の時代が1000年以上も続いていたけど、明治時代に政府の命令によって神道と仏教が強引に分離されて、「廃仏毀釈」といわれる仏教弾圧がおこなわれた。
これは「仏教を廃し、釈迦(しゃか)の教えを棄却する」というもの。
高校ではこう習う。
廃仏毀釈
仏教を排斥する行動や政策。
神仏分離令を機に廃仏運動が激化し、全国的に寺院・仏像などの破壊、藩による寺領の没収が続出。「日本史用語集 (山川出版)」
くわしことはこの記事をどうぞ。
日中韓の東アジアではこのような弾圧があったのは知っていた。
ではベトナムはどうなのか?
ベトナム人のお坊さんにそれを聞いてみたら、「ベトナムでも1950年ごろにありました」と言う。
へえ、意外と最近だ。
ということで次回、ベトナムでの仏教弾圧について書いていきます。
おまけ
ソウルにある曹渓寺(チョゲサ)
この曹渓寺のガイドから、韓国には結婚や肉食を可とする仏教グループがあると聞いた。
「日本の仏教と同じですね」と言ったら、「植民地時代に日本からきた仏教です」とのこと。
韓国仏教界では「異端」のような扱いらしい。
コメントを残す