【インド人の話】イギリス植民地時代で良かった3つのこと

 

このまえ日本で働くインド人とご飯を食べに行った。
ちなみに彼は南インド出身。
そのときにイギリス植民地時代の話を聞いたから、これからその内容を書いていこうと思う。

 

・インドを初めて統一したはイギリス

マウリヤ朝・グプタ朝・ムガール帝国はインド南部までは支配していなかった。
南をふくめて全インドを支配したのはイギリスが初めて。

*イギリス支配下のインドは「イギリス領インド帝国(1858年 – 1947年)」と呼ばれていた。

イギリス領インド帝国は「イギリス国王の王冠にはめ込まれた最大の宝石」とも表現された。1900年、カーゾン提督は、以下のように述べることでインドの重要性を訴えた。

“我々は、インド以外の全ての植民地を失っても生き延びることができるだろう。しかし、インドを失えば、我々の太陽は没するであろう”

イギリス領インド帝国

日英同盟でイギリスが日本と手を組んだ大きな理由に、「植民地インドをロシアから守るため」ということがある。

 

イギリス領インド(1909年)

 

・イギリス植民地時代で良かったこと①

イギリスがインドにした良かったことは「サティー」を廃止したこと。
*サティーとは、夫を亡くした女性を生きたまま焼く儀式のこと。
これはヒンドゥー教の儀式だから、イスラーム教徒の彼は毛嫌いしていた。

これはサティーを見たフランス人の記録

彼女が逃げるかもがくといけないと思ったので、彼らは手足を縛り、四方八方から火を掛け、生きながら焼いてしまいました。
私は自分の怒りを抑えるのにずい分苦労しました。

(ムガル帝国誌 ベルニエ)

サティーの様子

くわしことはこの記事をどうぞ。

生きたまま焼かれるインドのサティ―(儀式)とその様子

 

・イギリス植民地時代で良かったこと②

インドに英語を広めたこと。
それまでは出身地が違うと言葉も違うから、インド人同士でも会話ができなかった。
でも英語が共通語になってからは、全国のインド人が話をすることができるようになる。
インド人がイギリスから独立を勝ち取った理由のひとつにこれがある。

 

インドのお札には17の言語がある。
英語とヒンドィー語のほかに次の言葉が書かれている。

アッサム語・ベンガル語・グジャラート語・カンナダ語・カシミール語・コンカニ語・マラヤーラム語・マラーティー語・ネパール語・オリヤー語・パンジャーブ語・サンスクリット・タミル語・テルグ語・ウルドゥー語

南部出身の彼はヒンドィー語が話せないから、北部のインド人とは英語で話す。

 

・イギリス植民地時代で良かったこと③

イギリスがカースト差別を認めなかったこと。
それまで低いカーストの人たちは学校に入ることが禁止されていたけど、イギリスはすべての国民は平等としてそれを許さなかった。

たとえばイギリス植民地時代、ボンベイ政府はこのような声明を出している。

カースト、人種を理由にいかなる階級の人間に対しても教育の機会を拒否する公立学校には、政府の援助をあたえない

総ての公立学校はその全臣民(その頃、インド人は英国王の臣下として扱われた)に対し差別することなく開放すべきである

(アンベードカルの生涯 光文社新書)

くわしことはこの記事をどうぞ。

インドのカースト(ヴァルナ)差別VSイギリス人の人権感覚

 

インドでは北部より南部のほうが教育レベルが高いと言われている。
その理由は、南部ではむかしから低いカーストの人でも教育を受けることができたからという。

 

 

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。