さっきこの人物について書いた。
16世紀、豊臣秀吉による朝鮮出兵のとき、日本軍の侵攻から朝鮮を守ったとされる韓国の国民的英雄、李舜臣。
首都ソウルの真ん中で、日本軍がやって来た南を向いて立っている。
で、下はフィリピンの英雄、ラプ=ラプ。
彼も16世紀の人物で、李舜臣と同じように外国勢力から国を守った人物として、フィリピン国民の尊敬を集めている。
今回はこのラプ=ラプと、彼によって夢を絶たれた人物について書いていきたい。
でもその前にフィリピンの基本を確認しておこう。
面積:299,404平方キロメートル(日本の約8割)。7,109の島々がある。
人口:約1億98万人(2015年)
首都:マニラ(首都圏人口約1,288万人)(2015年)
民族:マレー系が主体。ほかに中国系,スペイン系及びこれらとの混血並びに少数民族がいる。
言語:国語はフィリピノ語,公用語はフィリピノ語及び英語。80前後の言語がある。
宗教:ASEAN唯一のキリスト教国。国民の83%がカトリック,その他のキリスト教が10%。
イスラム教は5%(ミンダナオではイスラム教徒が人口の2割以上)。
平均寿命:男性65.0歳,女性71.9歳
外務省ホームページ「フィリピン共和国(Republic of the Philippines)基礎データ」から。
16世紀(1521年)、この男がフィリピンに上陸した。
ポルトガル出身のマゼランは1519年、スペイン王の信任をうけて5隻の艦隊を率いて世界一周の航海にでた。
そして彼の部下が1522年に、人類史上初の世界一周を達成。
なぜ部下なのかといえば、マゼランは途中で立ち寄ったフィリピンで殺害されたから。
フィリピンに到達する4カ月ほどまえ、マゼラン艦隊の様子を船員のピガフェッタがこう記している。
ビスコット(乾パン)を食べていたが、これはビスコットというよりむしろ粉クズで、虫がうじゃうじゃ沸いており良いところはみな虫に食い荒されていた。そして、ネズミの小便の臭いがむっと鼻につくようなしろものだった。
こんな苦しい思いをしながらも、マゼラン一行はなんとかフィリピンまでたどり着く。
食料や水を補給して、「サンキュー、フィリピン!」と言って去ればいいのに、マゼランは現地の人たちをキリスト教徒に改宗させたり服従させたりしはじめた。
くわしいことはここをクリック。
マゼランに従った現地の王もいたのだけど、マクタン島にいたラプ=ラプ王の返事はノー。
「生意気な」と思ったマゼランたちは1521年4月27日、その島でラプ=ラプに戦いを挑む。
いわゆる「マクタン島の戦い」で、この日が彼の命日となった。
*「カピタン」はマゼランのこと。
このため、カピタンはうつぶせに地に倒れ伏し、この我らの鏡であり、我らの光であり、我らの慰めであり、我らの真の導き手であった者を、原住民は鉄や竹の槍、それに刀を持って、死ぬまで突き刺し続けた。
マクタン島の戦い
マクタン島で海に向かって立つラプ=ラプ
以前、日本で英語を教えていたフィリピン人に、ラプ=ラプの評価を聞いたことがある。
ポルトガル人やスペイン人にとっては英雄のマゼランは、フィリピンにとっては侵略者(といっても恨んではいない)。
その侵略者を倒した彼はフィリピンの国民的英雄になっている。
でも、外務省の基本データを思い出してほしい。
フィリピンは国民の83%がカトリックで、ASEANで唯一のキリスト教国だ。
だからキリスト教を伝えたマゼランに好意を持つ人もたくさんいるのだ。
ラプ=ラプの像と同じ公園の中にあるマゼラン廟
李舜臣と豊臣秀吉の像が同じ敷地に建てられることは未来永劫ない。
先ほどのフィリピン人の話を続けると、ラプ=ラプは昔のナショナル・ヒーローで、いまの国民的英雄は革命家の「ホセ・リサール(1861年 – 1896年)」らしい。
イケメン革命家のホセ・リサールは日本滞在中、貿易商の娘「おせいさん(臼井勢似子)」と仲良しになった。
英語とフランス語がある程度できた勢似子とリサールは、二人で歌舞伎を見物に行ったり日光や箱根に逗留し、ラサールは日本の文化と言葉を学びつつ、滞在は延びて二か月近くに及んだ。
いまでもリサールの誕生日になると、フィリピン大使館が毎年、雑司ヶ谷霊園にある勢似子の墓に花を供えている。
ちなみに、フィリピンで最も有名な日本人は間違いなく「ヤマシタ」だ。
おまけ
マゼランから約500年後、この人がフィリピンに上陸した。
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