はじめの一言
「今、私は簡素で美しい離れの庵室で、心地よい蒲団の上に寝そべってうつらうつらしながら、半ば彼方の世界の、そして異なった環境にいる読者に、こうした経験を伝えようと空しく試みている。私が毎日このような比類のない機会を経験していること、これを私たち西洋にいる人間は知る必要があるし、尊敬し、かつ愛しさえしなければならないと私は考える(バーナード・リーチ 明治時代)」
「日本絶賛語録 小学館」
今回の内容
・タラス河畔の戦い
・日本文化の特徴は「つくり変える」こと
・狛犬は、狛犬だけじゃない
前に、こんなことを書いた。
・幕末、明治時代の日本に来た外国人が、日本人の識字率の高さにびっくりした。
・日本人の識字率が高い理由には、製紙法(紙をつくる方法)が日本に早く伝わったことがある。
文字の読み書きを習うのに、紙があるかないかではぜんっぜん違ってくるからね。
それがこの記事 ↓
製紙法の伝播(西伝) いつ中国から日本・イスラーム圏・ヨーロッパへ?
人類で初めて製紙法を発明したのが中国人。
中国で生まれた製紙法は、タラス河畔の戦いによって8世紀(751年)にイスラーム圏の国に伝わった。
その後、12世紀ごろにはヨーロッパにも伝わる。
いわゆる製紙法の「西伝」というもの。
このタラス河畔(かはん)の戦いでは、中国(唐)とイスラーム教の国(アッバース朝)が戦っている。
この戦いが世界史でとても有名なのは、この戦いによって製紙法がイスラーム圏に伝わったこと。
「アッバース朝が勝って唐が負けた」という勝敗そのものよりも、製紙法の西伝の方が重要。
・狛犬は、狛犬だけじゃない
タラス河畔の戦いで、唐軍には「高仙芝(こうせんし)」という高句麗系の将軍だいた。
高句麗は朝鮮半島にった国で、百済(くだら)や新羅(しらぎ)と争っていた。
4世紀の末、広開土王のときに栄えていた。
*本当はここから「高仙芝」のことを書こうと思ったけど、それはまた今度にして今回は狛犬(こまいぬ)のことを書いちゃいます。
上の説明文に「高麗(こま)」とある。
昔、「高麗(こま)は神社の狛犬(こまいぬ)と関係がある」という話を聞いた。
これを読んでいる人も、そんなことを聞いたことがないかい?
明治神宮のホームページには、こう書いてある。
獅子像が中国から日本に伝わった当初、日本人はその異様な形の生き物を犬と勘違いし、また朝鮮から伝来したことから「高麗(こま)犬(いぬ)」と呼ばれるようになったそうです。
ここにあるように日本の狛犬は、中国の獅子像が朝鮮半島をとおって日本に来たもの。
狛犬は高麗の像ではないけど、朝鮮を経由して日本に伝わったから朝鮮も関係はある。
ふつうは、神社にある2体の像を狛犬と言っている。
でも正確にいうと2体の狛犬は、それぞれ「狛犬」と「獅子」とに分けられる。
口を閉じているのが「狛犬」
口を開けているのが「獅子」
一般的に、獅子・狛犬は向かって右側の獅子像が「阿形(あぎょう)」で口を開いており、左側の狛犬像が「吽形(うんぎょう)」で口を閉じ
(ウィキペディア)
・日本文化の特徴は「つくり変える」こと
日本人は中国から来たものをそのまま使うのではなくて、日本人の感性や価値観に合わせて日本風に変えてしまう。
たとえば、着物や扇子がそうだった。
唐(中国)の着物も、日本に来ると独自の変化が加えられて「日本の文化」につくり変えられてしまった。
そのことはこの記事で↓
中国との違い③日本人の強み「変える力」唐の着物を日本の文化に
中国から伝わった獅子像も同じ。
日本に来きたら、そのままの形ではなくて日本人がチョイと変化を加えている。
獅子像を、口を開けているものと閉じているものの2種類にした。
飛鳥時代に日本に伝わった当初は獅子で、左右の姿に差異はなかったが、平安時代になってそれぞれ異なる外見を持つ獅子と狛犬の像が対で置かれるようになり、狭義には後者のみを「狛犬」と称すが、現在では両者を併せて狛犬と呼ぶのが一般化している。
(ウィキペディア)
先ほどの狛犬のうち、口を開けている獅子が「阿(あ)」で口を閉じている狛犬が「吽(うん)」になる。
阿吽の形になっているのは日本特有の形式で、中国の獅子像などは、ほとんどが両方とも口を開いていて「阿吽」にはなっていません。
ちなみに「阿吽(あうん)」は、「阿吽の呼吸」という表現でつかわれる言葉。
なんで日本の狛犬には、口を開けている(阿形)と閉じている(吽形)があるのか?
これは、日本の仏教の考えをあらわしているという。
獅子または狛犬は中国や韓国にも同様の物があるが、阿(あ)・吽(うん)の形は日本で多く見られる特徴であり、仁王像と同様、日本における仏教観を反映したものと考えられている。
(ウィキペディア)
中国や韓国にも口を閉じた「吽形」のものがあるにはあるらしいけど、それは例外。
日本の狛犬は、それが一般化している。
上の文には、「仏教観を反映したもの」って書いてある。
けど、狛犬はふつう神道の神社にあるけどね。
こんな感じに、インドから来た仏教と日本で生まれた神道がごちゃ混ぜになるのも日本らしい。
次は、狛犬の歴史について書きます。
なんと狛犬は、エジプトのスフィンクスともつながりがるのだ。
さて、今回の復習
・製紙法がイスラーム圏に伝わった8世紀の戦いはなに?
・2体の狛犬のうち、口を開けている物と閉じている物をそれぞれ何という?
・着物は、もともと中国のいつの時代の服だった?
答え
・タラス河畔の戦い
・獅子と狛犬
・唐
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狛犬は、ライオンとユニコーンと思ってました。角がないのがライオン、角があるのがユニコーン。ユニコーンは、伝説の動物と思われていましたが、そのモデルと思われる動物がいたことが分かっています。中東ではライオンとユニコーンが守り神だったんじゃないですかね。
ライオンとユニコーンの組み合わせですか。
それも興味深いですね。
私は確認できませんでしたけど、その可能性はるかもしれませんね。