日本人にとって身近で巨大な壁、それはEIGO。
カタカナ発音に慣れた耳だと、ネイティブの英語を聞いてかん違いするのは当たり前。
ネットを見るとそんな事例がよくある。
「Festival」と思ったら、「First of all(まず第一に)」だった。
「Mother Day(母の日)」を「Murder’s Day(殺人者の日)」と聞き間違えてプチパニックになった。
「Cell Phone(携帯電話)」を「Self Phone(自己電話?)」とかん違い。
「She died(彼女は死んだ)」と聞いてビックリしたら、「She dyed(彼女は髪を染めた)」だった。
*でもこれは仕方ない。
こういう英語の失敗談はキリがない。
では、なんで日本人は英語のリスニングが弱いのか?
それをふくめて、イギリスBBCの記事(2017年04月10日)で日本人の英語力が上達しない理由を専門家がこう指摘している。
教育企業EFジャパンの中村淳之介代表取締役は、「日本の学校では、日本人が日本語で英語を教えるケースが多すぎる。英語は英語で教えなくては」と話す。
五輪英語の準備急ぐ日本、フォルティ・タワーズを頼りに
文法や語彙ならまだいいとして、英語の発音を日本語で教えるのは致命的だ。
カタカナ発音とネイティブの発音は別の言語かと思うほど違うから。
それで日本人はいろんな聞き間違いをしてきた。
今回は明治時代にさかのぼって、そんな事例を紹介していこうと思う。
明治時代、日本人は犬(西洋犬)を英語で「カメ」と呼んでいたことがある。
亀ではなくてカメ。
なんでそうなったかというと、西洋人がペットの犬に「Come here!」と言っていたのを日本人が「カメヤ」と聞き取ってしまったから。
「そうか。犬のことを英語でカメと言うのか」とかん違いしたのが日本に広く伝わってしまった。
当時の日本人は「ポチや、ポチや」というように犬を呼んでいたから、西洋人も「カメや」と言っていると誤解したという。
英検を主催する日本英語検定協会がその背景をわりと真面目に説明している。
“Come here.” の “here” は強くは読まれませんので、 “have” や “her” と同様に頭のhが落ちてしまい、また、残る /iə/ も日本人の耳には「イァ」とも「エァ」とも聞こえますので、“Come here.” が「カメァ」と聞かれる可能性は十分にあります。
直接は関係ないのだけど、前に日本に住んでいたジャマイカ人が「h」の発音をしないから、彼の英語を聞き取るのに苦労した。
「have」を「アブ」、「hamamatsu」を「アママツ」と言う。
ではここでクエスチョン。
令和のいまでも日本人が使う「ラムネ」という言葉は、元はどういう英語だったしょう?
答えは「lemonade(レモネード)」。
明治時代、西洋人の「lemonade」の発音を聞いて、カタカナ表記したものがラムネ
。
ちなみにあの独特の形がそのまま残っているのは日本だけ、と言っていい。
容器と中身の組み合わせが今でもしっかり定着して生き延びているのは(ほぼ)日本独自の現象であるので、近年では日本を訪れる外国人からも珍しがられ愛されるようになっている。
「Come here」と聞いて「カメや」とかん違いしてしまった。
そんな明治の日本人の名誉のために書いておくと、当時の日本人が英語を理解できなかったわけではない。
いまでは想像できないけど、英語の勉強ばかりしていたから、日本語の文章が読めなくなってしまった日本人もいたのだ。
それでミスター1万円、福沢諭吉がこうあきれている。
英語ばかりを勉強するから、英書は何でも読めるが日本の手紙が読めないというような少年が出来てきた。
波多野承五郎などは子供の時から英書ばかり勉強していたので、日本の手紙が読めなかった「福翁自伝 福沢諭吉(岩波文庫)」
やっぱり日本人は昔から、英語のリスニングとスピーキングは苦手だけど読み書きなら得意だったらしい。
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カタカナ発音とネイティブの発音とはもちろん全然違いますが。非ネイティブの発音とネイティブの発音だって、相当違いますよ。最近、英語を話す日本人や外国人がTVによく映りますが、決して発音がきれいな人ばかりじゃない。皆が皆、オバマ大統領のようなインテリジェンスに溢れる英語を話す必要なんかないです。
日本人がヒアリングに弱い理由ですが、その一つは、おそらく日常会話の場面で必要となる単語を学ぶ機会が少な過ぎるからじゃないですかね?その手の基礎的・初歩的単語や表現を通りいっぺんでスルーして、新聞報道や論文に出てきそうな難しい英単語とクイズ的文法や難解表現をひたすら詰め込む、これじゃ日常会話のヒアリング力はつきませんよ。
会話力が重要なのは間違いない。だがしかし、ヒアリング力を向上させるには「聞き取って書き下せる力」(ディクテーション能力)が必要であり、そのためには、初歩的単語と慣用句を叩き込む必要があるのです。
皆が皆、世界的な評論家や研究者になる必要なんかありません。そういう人は自分で学ぶべきだ。
英語は本人の必要に応じて学べばいいです。
オバマ大統領のような英語を日本人が話さなくていいでしょう。そもそもできませんし。
「新聞報道や論文に出てきそうな難しい英単語とクイズ的文法や難解表現をひたすら詰め込む」というのが受験英語で、なんだかんだ言って日本の英語教育はそこから抜け出せないんですね。
毎年いろんな方法論が登場しますが、日本人の英会話能力が上がっているというデータを見たことがありません。
犬の名前で使うポチもそうですね。
フランス語で小さいという意味のプチ Petitが転訛したもので、明治時代にフランス人が子犬をプチと呼んでいるのを見て、プチはフランス語で犬を意味するものと勘違いしたとか。
そうなんですか!
それは初耳でした。