きのう日本で初めてラグビーW杯が開催されて、ロシア代表と対戦した日本代表は30-10でみごと勝利をおさめた。
華麗なチームプレイやパス運びなど、日本人の「らしさ」が随所で見られた素晴らしい一戦だった。
と、試合を見てないのに書いてみた。
でも、試合後に日本代表のリーチ・マイケル主将がとった行動には間違いなく、日本人の精神があらわれている。
ロシア代表のロッカーを訪れて試合の健闘をたたえたあと、マイケル選手は日本刀をプレゼントしたのだ。
その様子をロシア協会がツイートで紹介している。
#RWC2019: @JRFURugby Captain @g_leitch presents Kirill Golosnitsky a Katana samurai sword post-match after our try scorer was voted opposition man-of-the-match by #JPN management #JPNvRUS pic.twitter.com/VESZsBbcwc
— Rugby Union Russia (@russiarugby) September 20, 2019
試合が終わればノーサイド(戦い終えたら両軍のサイドが無くなって同じ仲間だという精神)。
そんなラグビー精神を体現した行為には、「これぞラグビー」「なんて素晴らしいんだ」といった感動のコメントがたくさん寄せられた。
これに日本のネットの反応は?
・そして銃刀法違反に
・ラグビーの世界観はいいな
・ユニフォーム交換じゃねえのかよ(´・ω・`)
・入れ墨に日本刀、これって…
・警視庁「リーチ君、ちょっと話を聞かせてもらえるかな」
・こういうのは素直に良い
・負けたら切腹しろってことだろ
・ロシアに刀をプレゼントって喧嘩売ってるよね
全力で戦った相手には敬意を示す。
それが敗者であっても、その名誉は必ず守る。
そんな大和魂は明治時代の日露戦争のときにもあらわれていた。
中国東北部にある旅順要塞をめぐってをロシア軍との激戦をくり広げたのち、日本はなんとかこの要塞を陥落させた。
このあと行われた日本とロシアの会見(水師営の会見)を写したのがこの一枚。
真ん中の2人が乃木希典将軍とステッセリ将軍
でもこれだと、ただの記念撮影で勝者と敗者の違いがわからない。
でも、日本人の価値観ではこれが正解。
乃木希典が敗者であるステッセリ将軍の名誉を守ろうとしたから。
このとき乃木は、「敵将に失礼ではないか。後々まで恥を残すような写真を撮らせることは日本の武士道が許さぬ。」と言った。
旅順での戦いぶりやこうした対応は海外に伝わり、乃木は世界から高く評価された。
乃木に対しては世界各国から書簡が寄せられ、敵国ロシアの『ニーヴァ』誌ですら、乃木を英雄的に描いた挿絵を掲載した。また、子供の名前や発足した会の名称に「乃木」の名や乃木が占領した「旅順」(アルツール)の名をもらう例が世界的に頻発した。加えて乃木に対しては、ドイツ帝国、フランス、チリ、ルーマニアおよびイギリスの各国王室または政府から各種勲章が授与された
でもこれは、乃木の独断や個人的な資質によるものではない。
日本軍の勝利を聞いた明治天皇がこう言われたからだ。
日露戦争において旅順陥落の知らせを聞いた明治天皇の最初の発言は、降伏したロシアの将軍ステッセルの武人としての名誉を大切にせよというものでした。
よかったとか、すばらしい勝利だということではなかった。敵の将軍のことを心配していたのです。これは立派な態度だと私は思います。
「明治天皇を語る (ドナルド・キーン)」
乃木はこの言葉にしたがったまで。
とはいえ、まだ江戸時代の侍魂を持ったこの時代の日本人には、敵でもあってもその名誉は守るという考え方はあった。
「武人としての名誉を大切にせよ」、「日本の武士道が許さぬ」といった敗者への敬意を明治天皇や乃木希典は持っていた。
そんな大和魂や日本人精神といったものを、令和のいま、ニュージーランド出身の日本人マイケル・リーチ選手が見せたのだ。
ノーサイドの精神は武士道に通じる。
マイケル選手も日本代表として、ロシア代表に刀をプレゼントしたはず。
この日本人らしさがまた世界から評価された。
ラグビーW杯はまだ始まったばかり。
これからも日本人の良さを見せてほしい。
おまけ
先ほどこんなコメントがあった。
「ロシアに刀をプレゼントって喧嘩売ってるよね」
たぶんこれは、ことし4月にあったことを言っているのだろう。
北朝鮮の金正恩労働党委員長から刀をプレゼントされたプーチン大統領は、「ロシアの民間信仰ではこうした武器をもらうことは縁起がいいことではない」と言って、コインを金正恩氏にわたした。
これで刀をもらったのではなく、「購入した」ということになるから。
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日露戦争は西洋列強に日本を文明国と認めさせる為の戦いでもあったので、敵の扱いについてことさら気を使ったそうですね。
当時の戦争では国際法に則って行い、敵の名誉を守ることが文明的とされました。
これは宗教戦争の経験から、名誉や価値観を否定してしまうと敵は降伏できなくなってしまい、被害が増えるという考えが根底にあったそうです。
第二次世界大戦でルーズベルト大統領が自分たちを正義とし、枢軸国を悪とした時、チャーチル首相は「そんなことをしたら敵は降伏しなくなる!」と卒倒しそうになったとか。
最近だとアフガンやイラクで組織的抵抗の終了後にゲリラやテロリストが活動を続けたのも同様ですね。
前置きが長くなりましたが日露戦争の話の素晴らしさは、国際法や国際規範を遵守したことであって、敵の名誉を守ること自体は当時、日本固有のものではありませんでした。
しかし縁起が悪いからと拒否せずにコインを渡すプーチン大統領、男前だ。
「宗教戦争の経験から、名誉や価値観を否定してしまうと敵は降伏できなくなってしまい、被害が増えるという考えが根底にあった」というのは初耳でした。
興味深いと思ったのでこれを確認してみたのですけど、それができませんでした。
これではどこで分かるのでしょう?
「日露戦争の話の素晴らしさは、国際法や国際規範を遵守したこと」については当時の時代からそれはあると思います。
ただ当時の世界の反応を見ると、日本の対応は世界の常識とは違っていました。
乃木希典の言う「武士道」を見たからでしょう。
>「宗教戦争の経験から、名誉や価値観を否定してしまうと敵は降伏できなくなってしまい、被害が増えるという考えが根底にあった」というのは初耳でした。
>興味深いと思ったのでこれを確認してみたのですけど、それができませんでした。
>これではどこで分かるのでしょう?
これはどちらかというと経験則に基づくもので、体系的な研究の実例を示すのは難しいかもしれません。
敢えて例を挙げるのであれば、日本では日下公人氏が著書で度々触れているので、そちらを当たるのがよろしいと思います。
また、宗教戦争の価値観については、故渡辺昇一氏著『ドイツ参謀本部』冒頭が参考となると思います。
この考え方の要点をまとめると
・アブラハムの宗教のような一神教の価値観は神の教えを正義とする善悪二元論に陥りやすい。
・善悪二元論では、正義と悪との妥協、共存は不可能である。
・これは自らを正義と規定した場合、妥協=悪の容認となるためである。
・また、敵によって悪と規定された側にとって、降伏や妥協は相手の主張を容認することであり、自らを悪と認めることに繋がる。
・自らを悪と認めることは信仰する神の教えを否定することであり、名誉、価値観の否定である。
・従って双方は相手が完全に滅びるまで戦い続けることとなる。
・これが欧州において最高潮に達したのが三十年戦争である。
となります。
そして三十年戦争の反省から近世~近代にかけて戦時国際法の整備が進み、戦争は純粋に政治の延長であり、宗教、正義、悪を持ち出すべきではないとされました。
また、和平、降伏は権利であり、名誉、価値観を否定するものではなく、敵の名誉、価値観を否定してはならないという認識が生まれたそされます。
> 「宗教戦争の経験から、名誉や価値観を否定してしまうと敵は降伏できなくなってしまい、被害が増えるという考えが根底にあった」
特に証拠があるわけでもないのですが、この考え方は、英国人が米国人に教え諭して、結果として、日本の天皇制存続にもつながったのだと思います。あの時代、まだそれだけ英国の言うことは米国に対して重みがあったのです。
なのに最近の英国は、どうしちゃったのでしょうね?
客観的に他国から見れば、いくら英国が伝統の力を有しており、他の欧州諸国と違って米国からの特別支援を得られるとしても、英国が一人で今後やっていけるとでも思っているのか? 欧州大陸(中でもドイツの経済力)と共同歩調を取らない限り、英国には未来がないと思うのだけどなぁ。
なるほど!
要点を簡潔に整理して提示していただき、ありがとうございました。
知らなかったこともあり、とても参考になりました。
EU離脱をきめたものの、土壇場になって考え直すイギリス人が多いです。
それでいまも離脱が進んでいません。
まわりのイギリス人に聞いても、「さあ?どうなるんだろうね」と肩をすくめるだけです。
イギリス人にもイギリスの未来が明確に見えてなく迷走しているようです。
匿名さま、kokntouzaiさま、浅学の自分の身に余る内容で、二度三度と読み直させていただきました。さらに読み直したいと思います。
アブラハムの一神教と韓国国民の精神的融和性、イギリスとEUの今後、さらに世界平和のあり方など、思考は飛躍しますが…
だとすると、なぜ、乃木さんは世界から賞賛されたのでしょうか?やはり、アジアの後進国が当時の世界的規範に則ったからでしょうか?
乃木の見せた「敗者への敬意」が西洋人が考えているものとは全然違ったからでしょう。
敗者にも勝者と同等の権利を認めるなんてことは、西洋社会ではなかったと思います。
そもそも当時の日本人と西洋列強では、捕虜に対する考え方が違っていました。
日本では捕虜になった時点で戦争から退場と考えていましたが、西洋列強では捕虜になっても戦争は継続しているものと考えていました。
例えば捕虜を養わせることで敵に負担をかけたり、脱走という方法で警備や捜索のために後方に敵の兵力を拘束する、破壊工作や後方撹乱、諜報など、捕虜となっても戦い続ける手段はあると考え、実行します。
映画『大脱走』にはモデルとなった実話が存在しますが、あのようなことは当然の行動なのです。
あらゆる手段で死ぬまで戦うと言われていた日本兵が、捕虜になった途端に従順になったという話も、この捕虜に対する考え方の違いが大きいと言われます。
西洋列強の考え方では、捕虜になった後も敵味方の関係は続くので、降伏すればノーサイド、対等に遇するという対応は、あり得ないことですし、非常に衝撃的だったのだと思います。