きょねん2018年、京都のゲストハウスで2人のイスラエル人旅行者(女性)と出会った。
2人が日本で驚いたことはいろいろある。
そのひとつに、相撲を見学したとき、土俵での上で記念写真を撮ろうとしたら、「女性は土俵に上がることはできない」と注意されたことがあった。
*でも、これがどこの場所なのか分からない。
とにかく、女性は土俵に上がれないと知って、2人とも「とてもビックリした」と言ったことはたしか。
ネットでその理由を調べたら、神道の教えで女性は「穢れ」であるから、神聖な土俵に上がることは禁止されているという説明を見た。
何かの海外メディアにそう書いてあったのだろうけど、これは外国によくある誤解で、相撲では女性を「穢れ」とみていない。
それにすべての土俵が女人禁制でもない。
少しまえに、イギリスBBCの「100 Women」の1人に選ばれた女性で、日本の女子アマチュア相撲のトップ選手の今 日和(こん ひより)さんのことを書いた。
女性が大相撲の土俵に上がることのできない状態を、BBCは「女性差別」というニュアンスで記事(2019年11月8日)で紹介している。
世界で最も古いスポーツの1つである相撲のルールが変わり、女性が相撲に参加できるようになることを、今さんは願っている。
女性の大相撲参加を目指して 日本人女性力士の願い
これは日本でもたびたび議論になっている。
平成元年には、森山真弓官房長官が土俵上で総理大臣賜杯授与を行いたいと言ったけど、相撲協会はそれを丁寧に拒否した。
平成16年にも、太田房江大阪府知事が知事杯を授与するために土俵へ上がることを希望したけど、これも実現しなかった。
このときも「女性差別問題」が浮上した。
くわしいことはここをどうぞ。
これに対して日本相撲協会は伝統を重視した結果で、女性差別とはまったく違うと説明している。
イギリスBBCにそんな記事があったから、このまえイギリス人とアメリカ人と会ったときに、2人の意見をきいてみた。
2人の見方は「それは女性差別ではない」という点では同じで、要約するとこんな感じにある。
「相撲は神道の宗教行事でふつうのスポーツとは違う。生理や出産のある女性には「血の穢れ」があるから、神道ではそれを嫌って、女性を土俵に上げることを拒んでいる。でも宗教の考え方を現代的な価値観で判断することはできない。それとこれが一番大事なことだけど、その問題と自分はまったく関係ない」
だいたいこんな理由で2人とも、土俵の女人禁制は差別ではないと考えていた。
でも同時に、それが自分の価値観に反すると感じる人たちは当然、問題視するだろうと言う。
黒人への差別やイスラーム教徒への差別など、世界にはいろいろな差別問題があるし、自分が世の中のすべての問題にかかわるつもりもない。
それにそういう差別問題に過度に敏感な人もいるから、そういう人とは距離を置きたいと思っている。
結局2人とも、相撲の女人禁制は自分の生活や価値観に影響をあたえないから、ほとんど関心がないのだ。
議論したい人だけで、いくらでもすればいいというスタンス。
だからBBCが「日本社会にある女性差別」という流れで報道しても自分たちは気にしない。
ただ、きょねん土俵で倒れた市長の救命救急のために、女性が土俵に上がったことまで問題視するのは「バカげている」と2人とも言う。
これについては日本相撲協会も適切ではなかったと謝罪した。
くわしいことはここをクリック。
土俵上で看護師と見られる女性が心臓マッサージを行った際、場内アナウンスを担当していた若手行司が「女性の方は土俵から下りてください」と注意し、物議をかもした。
でも先ほど書いたように、相撲では女性を「穢れ」とはみていない。
日本相撲協会のホームページには、「協会は女性を不浄とみていた神道の昔の考え方を女人禁制の根拠としている」という解釈について「これは誤解であります」と否定している。
ここにある理由は次の3つ。
・相撲はもともと神事を起源としていること
・大相撲の伝統文化を守りたいこと
・大相撲の土俵は力士らにとっては男が上がる神聖な戦いの場、鍛錬の場であること
大相撲でいう「神事」というのは、豊作を願い感謝するといった素朴な庶民信仰で習俗に近いものという。
土俵についてはこう説明する。
大相撲の土俵では「土俵祭(神様をお迎えする儀式)、神送りの儀」など神道式祈願を執り行っています(※3)。
(※3)の中身は、大相撲の土俵では、古事記や日本書紀に力士の始祖として登場する神々や四神獣(青竜、朱雀、白虎、玄武)を祀っているというもの。
個人的には、大相撲はこれまでの伝統を守っていけばいいと思うけど、ホームページにある説明では、女性が土俵に上がることのできない理由がはっきり分からない。
他にもこんな文もある。
土俵は力士にとって神聖な闘いの場、鍛錬の場。力士は裸にまわしを締めて土俵に上がる。そういう大相撲の力士には男しかなれない。大相撲の土俵には男しか上がることがなかった。そうした大相撲の伝統を守りたいのです
女性には「血の穢れ」があるから、神道では女性を「穢れ」とする考え方がある。
相撲は神道の神事だから、女性は土俵に上がれないと先ほどの英米人は思っていた。
そうではなくて、大相撲の土俵には男しか上がることがなかったという伝統について話したところ、「いや、それだと宗教とあまり関係ないんじゃないのか?だったら女性を上げてもいいと思うけどね」とアメリカ人が言う。
冒頭のイスラエル人も、「神道では女性(血)が穢れとされているから」という宗教的な理由なら仕方ないと思っていて、それを女性差別とみていなかった。
女性を「穢れ」と言ってしまうと、現代的な価値観と合わないから反発が大きくなるけど、日本人に比べて外国人は一般的に宗教への理解や敬意が深いから、「土俵は力士にとって神聖な闘いの場、鍛錬の場」よりも「宗教的理由」を強調すれば納得する外国人は多いように思う。
よかったら、こちらもどうですか?
宗教と女性差別③キリスト教(アクィナス)の女性観「女は失敗作」
コメントを残す