最近の日本はアジアの巨象・インドとの関係強化を進めている。
安倍首相は今月インドを訪問して、モディ首相と会談をおこなう予定だ。
そのさいインパールにも足を運ぶらしい。
時事通信の記事(2019年11月29日)
安倍首相、インパール訪問で調整 12月のインド外遊
インパールはインド北東部、ミャンマーのすぐ近くにある都市。
下の地図では北海道のあたりになる。
ビルマ(いまのミャンマー)から進軍して、イギリス軍の拠点だったインパールを攻略する計画だったけど、これが大失敗に終わる。
全軍が途中で撤退して、インパールにたどり着いた兵士は一人もいなかった。
1944年に行われた無謀な作戦によって日本軍は約3万人を失ってしまう。
この日本史に残る大敗北がインパール作戦だ。
兵站を無視し精神論を重視した杜撰な作戦により、多くの犠牲を出して歴史的敗北を喫したため、『無謀な作戦』の代名詞として、しばしば引用される。
退却中、飢えや病気、自殺で次々と日本兵が亡くなっていき、道には彼らの骨が残されて「白骨街道」と呼ばれた。
こんなミャンマーのジャングルを進んでいたのだろう。
この地獄から生還できただけで奇跡だ
インパール作戦を生き延びた元日本兵はこう語る。
自ら命を断つ者が続出した。小銃を持っている者は、口の中へ銃口を入れ、足で引き金を引いた。銃を持っていない者は手榴弾を抱き、俯(うつぶ)せになって爆発させた。手榴弾を持っていない者は、通りかかる兵隊たちに手榴弾をねだった。
そうした自殺は、夕方に多かった。日が暮れる頃、あちこちでパーン、パーンと小銃や手榴弾の音が聞こえ、それが山々にこだました
「責任なき戦場 インパール (角川文庫)」
このときから75年後、安倍首相はここを訪れて慰霊碑に献花をする予定だ。
いままでインパールに来た日本の首相はいないから、今回が初めての訪問になる。
ミャンマーにある慰霊碑
インパール作戦の舞台となったミャンマーにはインレー湖というバカでかい湖があって、インレー族という少数民族が水上で生活している。
ミャンマーを旅行したとき、インレー族のお宅にお邪魔した。
向って左のおじいちゃんの話によると太平洋戦争のとき、ここに日本兵が次から次へとやってきて、インレー族の人たちが彼らをボートに乗せてインレー湖の南へ何度も運んでいた。
見るからにボロボロで半裸状態の日本人もいて、北部からきたというからインパール作戦の敗残兵だろう。
このときインレー湖の空にはイギリス軍の戦闘機が飛んでいて、日本人であることが疑われたり、日本人を乗せていることがバレたりするとすぐに狙い撃ちにされた。
それで殺されたインレー族の人もいる。
だから遠くから飛行機がやって来る音が聞こえたら、手を止めて顔を上にあげて自分が日本人でないことをパイロットに”証明”する必要があった。
太陽に顔を焼かれながら30分以上、ずっと顔を上げ続けていたという。
たしか目を閉じることもできなかったと話していた。
なんでインレー族の人たちは命がけで日本人を救ったのか?
理由をきいたら、答えはこれ以上ないほど簡単で彼らは仏教徒だったから。
日本兵がここに来た理由や戦争の「大義」なんてものは知らない。
目の前に困っている人がいて助けを求められたら、仏教徒として見捨てることはできなかったからボートで南へ運んでいた。
インパール作戦の生き残りだから、このときの日本人は命以外は何もないという状態だったはず。
最大のお礼は感謝の言葉だけだっただろう。
でも戦後数十年たってから、そのときの日本人が何人もここにきて学校を建てたり寄付金をくれたりした。
あのときのことはインレー族の記憶からも消えかかっていたから、何十年もあとに、お礼を言うために日本からやってきたというのはうれしかったし、それ以上に信じられない思いだった。
命を助けてもらって十分なお礼ができなかったら、日本人としては義理になっていつまでも心に残る。
だからそれを返しにきたのだと思う。
でもこのおじいさんの理解はちがっていて、それらはすべて因果応報で自分が仏様に祈っていたおかげと言う。
ミャンマー人は心の底から仏教徒だ。
日本人が家にきてくれるのは大歓迎ということだから、ミャンマーへ行ったらぜひインレー湖にも行ってみよう。
ただ、「お宅訪問」をするなら現地ガイドに頼む必要がある。
帰るときには一家総出で見送ってくれた。
インレー湖で初めて走ったモーターボートはヤマハ製で、日本軍が持ってきたものという。
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日本人は、昔から、軍隊における「後方補給」「輜重隊」の考えが遅れていましたからね。十分な物資の後方補給を用意して戦争に臨むことが重要であることを理解し、それを実行したのは、日本史上ではおそらく豊臣秀吉くらいじゃないでしょうか?
現在の自衛隊も、最新鋭の武器を装備することには熱心で予算をつけていますが、肝心の補給物資・武器弾薬の手当ては十分なのでしょうか。少々気がかりです。
物資の補給や食料調達の考えが日本軍には不足していたようです。
フィリピン戦では米軍は畑を耕して長期戦に供えていましたが、日本軍はそんなことをしませんでした。
米軍の陣地を奪った日本軍兵士が畑を見て大喜びしたぐらいですから。
「現地調達」なんて軍上層部の机上の空論で、兵士はその犠牲になりました。