韓国政府がドラえもんの“パクリキャラ”のシクヤクエモンを公開したら、国民からぶったたかれて速攻で削除した、といういつもの韓国ドタバタ劇場を前回に書いた。
日本のドラえもんに韓国のシクヤクエモンときて、今回はインドネシアの粉もんの話。
きょねん3人のインドネシア人と紅葉を見に行ったあと、ご飯を食べながらいろんな話をしていたとき、「3人の好きな日本の食べ物は何ですか?」という、在日外国人にはきっと「またこの質問かよ」と思うようなことをきいてみた。
ちなみにこのとき一緒にいたトルコ人は「天ぷら」、リトアニア人は「寿司」と答えたのだけど、インドネシア人のお気に入り料理は何なのか?と思ったら1人は「うどん」で、2人は「たこ焼き」をチョイス。
うどん最高と答えたインドネシア人もたこ焼きは好きだと言う。
話を聞くと、インドネシアでたこ焼きは街の屋台で売っている人気の食べ物だったから、3人とも来日する前からたこ焼きのファンだった。
それはサンキューなのだけど、天ぷらと寿司はワールドワイドに有名な日本料理だから分かるとして、世界ではマイナーな、日本ではB級グルメのたこ焼きがなんでインドネシアでそんなに人気があるのか?
まず大前提として、たこ焼きがイスラーム教徒にとってハラール(許された)料理だからということがある。
豚肉やアルコールを使う料理だったら、味や値段の前に口にすることができないから、国民の約9割がイスラーム教徒というインドネシアで人気になることはない。
イスラーム教のNGはクリアしていることと単純に「おいしい」ということ以外で、たこ焼きがインドネシア人の胃袋と心をつかんだ理由を彼らにきいてみた。
どれだけいいものでも、それが人々に知られなかったら人気になるわけがない。
このブログではよく歴史を取り上げるから、今回はこの人を例にだそうと思う。
この人は室町時代に生きた蓮如(れんにょ:1415年 – 1499年)という浄土真宗のお坊さん。
蓮如は布教の達人で、親鸞を開祖とする浄土真宗を日本中へ広めることに成功した。
親鸞の教えがどんなに素晴らしいものだとしても、蓮如の「伝える力」がなかったら、浄土真宗はいまのような一大仏教勢力にはなることはできなかったはず。
そんなことで辞書では「浄土真宗の中興の祖」なんて表現がよくある。
蓮如は庶民の立場になって布教を考え、簡単で分かりやすい文章や言葉で深い教えをやさしく伝えた。
でもこの記事は「蓮如上人の布教伝」ではないから、くわしいことはここをクリック。
インドネシアでたこ焼きが人気になった理由も、その魅力を全国へ伝え広げてくれた人がいたからだ。
インドネシア人からそのインフルエンサーをきいたら、プンバユンという王女(ハメンクブウォノ10世の娘)だった。
タイ王国と違ってインドネシアは共和国だから国全体の王はいないけど、一部ではいまも王様がいて大きな影響力を持っている。
日本を何度も訪問した王女がたこ焼きを好きになって、日本コナモン協会の協力を得てジョグジャカルタでたこ焼き屋をオープンした。
王女が大阪のソウルフードのたこ焼きをお気に入りあそばされ、店を作って本気でインドネシアに広めようとする。
王女とたこ焼きという組み合わせには、個人的には「美女と野獣」みたいな意外性があって好き。といっても、王女はスポンサーで「へい、らっしゃい!」と店でたこ焼きをひっくり返していることないだろう。
王女がたこ焼きを導入したころのインドネシアは、5000人以上が死亡する大地震が起きたあとで、たこ焼き店が増えれば失業者を救済できるという考えもあったらしい。
たこ焼きも奥義を極めようとすると、果てしない修業が必要だけど、作るだけなら材料と道具があれば家で簡単にできる。
インドネシアでも小麦粉やタコなどの食材とたこ焼き器は問題なく手に入れることができるし、ユーチューブなどの動画で作り方をおぼえて屋台をオープンする人も多い。
それでいまでは全国的な人気になったという。
インドネシアには「ご当地たこ焼き」があって、タコ以外にもエビやソーセージ、チョコレートという愚、じゃなくて具もあるということだ。
インドネシアはもともと親日的で、日本に対するイメージがすごくいい。
たこ焼きはおいしいし、プンバユン王女が(たぶん)蓮如のように普及活動をしてくれた。
それに作るのも簡単だから、現地化されたたこ焼きが屋台とともにインドネシアの地方にまで広がっていった結果、爆発的ではないと思うけど、じわじわと全国的な人気となっていった。
2014年にはこんなNHKニュースもある。
インドネシアで日本の食べ物「たこ焼き」が人気
こういう背景を知れば、出身地の違う3人がたこ焼き好きというのも納得。
こちらもどうぞ。
>まず大前提として、たこ焼きがイスラーム教徒にとってハラール(許された)料理だからということがある。
ブログ主は、外国人の宗教にもとづく食習慣には非常に気遣いのできる人だと思いますが、それにしては不用意な発言をされていますね。タコがハラール食材なのは、インドネシアのイスラーム教徒にとってのみだと思いますよ。他国のイスラーム教徒にとっては多分そうではないでしょう。
タコ・イカ・ウナギなど鱗のない魚(あるいは水生生物)は、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教という中東起源の3大一神教にとっていずれも食材としては原則タブーとされているのであり、これを食してよいと考えるのは(つまりイタリアやスペインなどカソリックの地中海諸国で食するのは)、彼らの中では例外的なことであると思われます。そのような考え方の起源は、おそらく、ユダヤ教の教えに始まっているのでしょう。旧約聖書の中に関係する記述があるのではなかったかな?
私は、外国へ赴いてその国での食習慣に文句をつけるような行為には反対ですが、だからと言って、嫌がる人に自国の食物を無理強いしようとは考えません。特にタコ(「悪魔」とみなす人もいるようです)には要注意。以前、来日してすっかり寿司が好きになった米国人がいたのですが、国際電話で自国の母親にタコの寿司を食したことを報告したら、それ以来、母親が口を聞いてくれなくなってしまったそうです。
観光庁の資料「イスラム教」にこう書いてあります。
「うなぎ」「イカ」「タコ」「貝類」「漬け物などの発酵食品」については宗教上の教義で禁じられているわけではない
ですからこれらはすべてハラールです。
旧約聖書の食物禁忌については新約聖書で否定しているから、キリスト教徒は問題ありません。
タコを食べてから、口をきいてくれなくなったというのは個人的な理由でしょうね。
官公庁の資料「イスラム教」の、その続きについて。
「うなぎ」「イカ」「タコ」「貝類」「漬け物などの発酵食品」については宗教上の教義で禁じられているわけではない が、嫌悪感を示されるので、料理の食材として扱うことは避ける方がよい。「うろこのある魚」と「エビ」は食べられる。
のだそうですよ。
ハラール食材であることの定義が、彼らの世界で、厳密・根本的には何で決まっているのか知らないですが、少なくとも、官公庁の資料に紹介されている記述によって、全世界のイスラム教徒の考え方が決まる訳ではないでしょう。
また、食材としてのタコに対する嫌悪感は、私が知る限りでは、アルプス以北のヨーロッパと北米のキリスト教徒に多いように思います。ただそれも最近の和食(寿司)ブームで変わりつつあるみたいですけど。
このブログは、おそらく、外国人とコミュニケーションを取ろうとしている人がその手掛かりにできるよう、参考としている人も多いと思います。そういう人たちのためにも、不用意な記述は避けてあげる方が親切なのでは。
観光庁のことでしょうか?
ここでのポイントはハラールかそうでないかです。
イスラム法で合法か違法かということですから、個人的な嫌悪感とは比較にならないほど重要なのでそれ以外はカットしました。
観光庁の資料ではイスラーム教で決められていることが書いてあるだけです。
イカやタコなどについては東京都が公開した「多様な文化・習慣を持つ外国人旅行者への対応」で「イスラームの教義で禁じられている 食材ではない」とした上で、「これらの食材を口にする機会のない地域の人々の中には、抵抗感を示す人もいる」と書いてあります。
日本にいるイスラーム教徒ではインドネシア人とマレーシア人が多いです。それらの国でタコやイカは嫌悪感は一般的に持たれていません。
トルコのイスラーム教徒も問題なく食べます。
「アルプス以北のヨーロッパ」というのが具体的にどこか分かりませんが、ドイツ人の友人に聞いたら近所のスーパーでイカは売っているとのことです。リトアニアでもタコはありますし、ウナギはクリスマスイブによく食べます。
以前トルコ人で敬虔なイスラム教徒の知り合いに聞いたのですが、タコはハラーム(禁忌)ではないがハラールでもない。食べることに問題は無いが、私や私の友人は食べない。なぜならハラールではないから。とのことでした。
なので、ハラームではなければハラールであるという考え方はちょっと違うかもしれないです。
宗教は真剣な人ほど細かい違いに気を使ってますから、あまり軽率な発信はしないほうが良いんじゃないかなぁと思います。
タコが合法か違法かという話であれば、脱法であるというのが、日本人の感覚に則した表現だと思います。(そのトルコ人の友人の世界においては、ですが)
知人に敬虔なイスラム教徒のトルコ人がいて、彼はお酒を飲みます。
クルアーンをアラビア語で読めば、禁じられているのは泥酔することで飲酒そのものではないと書いてあるそうです。
でも一般的にイスラム教では一般的に飲酒は禁止されています。
そうかと思えば、アルコール成分を含むウェットティッシュさえ使わないイスラム教徒も、使うイスラム教徒もいます。
個人的な見解になると人それぞれ違ってきますので、ここでは一般論です。