日清戦争で日本が中国に勝利した1885年(明治18年)、シドモアというアメリカ人が日本へやって来た。
シドモアは天皇や皇室の印象をこう書く。
欧州の君主や権勢を誇る王族は、日本の統治者・天皇に比較すると成り上がり者にすぎません。皇室は紀元前六六〇年に初代神武天皇が即位して以来とぎれることなき系統を保っています。後代へ下って、現在の天帝の子孫、睦仁(明治天皇)は歴代系図から一二二代目となります
「シドモア日本紀行 (講談社学術文庫)」
シドモアがポトマック川河畔沿いに桜の木を植えることを提案し、それが現在の「全米桜まつり」に結びついた。
シドモアがこう書いてから135年後、神武天皇が即位してから2680年後も日本の伝統はつづいていて、令和になって初めての新年一般参賀で天皇陛下はこうあいさつされた。
「新しい年を迎え、皆さんと共に祝うことをうれしく思います。その一方で、昨年の台風や大雨などにより、いまだご苦労の多い生活をされている多くの方々の身を案じています。本年が災害のない、安らかでよい年となるよう願っております。年のはじめにあたり、わが国と世界の人々の幸せを祈ります」
NHKニュースでは小学5年生の女の子が、「天皇陛下はおことばの中で多くの人の身を案じてくれました。私も家族のためにたくさん努力したいと思いました」と話している。
その一方で、ことし成人になった連中ときたら‥。
読売新聞の記事(2020/01/13)
横浜市の成人式、殴り合いや爆竹…警備員が制止
さて日本と外国との違いといえば、なんといっても天皇の存在がある。
国王ならタイ、イギリス、ヨルダンなどの国にいるけど、エンペラーと呼ばれる人がいるのは地球上で日本だけ。
前回、中国からみた元寇の失敗原因について書いた。
このときは運と鎌倉武士の力でモンゴル軍を撃退できたけど、もし日本が負けて元の支配下に置かれていたら、天皇や皇室はどうなっていたんだろう?
歴史のイフだから唯一の正解はないけど、おとなり韓国の歴史を学べばそのときの日本の惨状が見えてくる。
日本より先に元軍に攻められた高麗は全力で抵抗したものの、相手が強大すぎて結局は降伏してしまう。
高麗王・高宗は「今まで我が国が貴国に事大の誠を尽くせなかったのは権臣が政治を奪い貴国へ属するのを嫌がったためであり、崔竩が死んだ今、ただちに都を戻し、貴国の命を聞きます」と元への従属と忠誠を誓った。
*都合の悪いことは部下のせいする悪いクセは、現在のムン政権でもないかこれ?
このあと高麗がどうなったかは、韓国の中学校歴史教科書に書いてある。
高麗の領土を奪い、高麗の政治制度を勝手に改め、毎年数多くの財物を奪っていった。
王室も例外ではなかった。
高麗王は必ず元の王女と結婚しなければならなかった。王の名前も元に忠誠をちかうという意味で忠宣王、忠烈王、忠穆王など『忠』の字を一番前に付けた。
国の姿もみじめで、民衆の生活は次第に苦しくなっていった。「躍動する韓国の歴史 (明石書店)」
次の高麗王となる子供は人質としてモンゴル宮廷におくられ、モンゴル名を与えられてそこで生活していた。
そして高麗王が亡くなると、帰国して新しい高麗王となる。
くわしいことはここをクリックだ。
ケシクとして大カアンに側近くに仕えた世子が次期高麗王となる慣例が出来た。大カアンに近侍することで宮廷儀礼に慣れ親しむ契機を得、モンゴル宮廷内での高麗王家の地位は向上した。
元寇のとき日本がモンゴル軍に敗れていたら、天皇や皇室は最悪廃止されただろうし、運が良くても高麗王と同じ目に合っていただろう。
中国皇帝と同じ「皇」の使用は許されず、「日本国王」に格下げされることは間違いない。
そしてモンゴル貴族となって過ごして、次の日本国王となる。
モンゴル人との混血がつづけば「万世一系」という正統性がなくなるから、歴史のどこかで別の日本人に倒されて皇室は途絶えたとおもう。
だからそうなったら、明治時代にアメリカ人が「日本の統治者・天皇に比較すると成り上がり者にすぎません」と旅行記に書くこともなかった。
明治日本は存在しないで、わけのわからないX国になっていたはず。
天皇陛下が新年のあいさつをされることもなければ、「私も家族のためにたくさん努力したいと思いました」という小学生もいなかった。
式典で爆竹を鳴らす新成人はイラネ。
日本を守ってくれた鎌倉武士と神風と北条時宗には感謝感謝。
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