小学生のころ、クラスメイトの岩崎くんが「いわさ菌」と呼ばれて、誰も本人や机にも触れないといういじめがあった。
絶対にいけないことだけど、こんなことは日本中の小学校であるはずだ。
さいわいこのときは正義感あふれる担任がブチ切れて粉砕したから、このいじめはすぐに消滅した。
新型コロナウイルスの感染者が世界的に拡大するいま、ヨーロッパに目を向けると、東洋人が岩崎くんのような目にあっているようだ。
朝鮮日報のコラム(2020/02/16)
「パリで地下鉄に乗ったら韓国人の周りに誰も座らなかった」
フランスのパリで留学中の韓国人学生が地下鉄に乗ったとき、満員状態の中でたまたま空いている席をみつけて「ラッキー」とおもって座ったところ、両隣の人が立ち上がってその場を離れた。
車内は満員なのに、その韓国人の隣には不自然な空間がでてきていて誰も座ろうとしない。
他にも、マスクをつけて人混みの中を歩くと、まわりの人たちが避けていくから「海が両側に分かれる『モーゼの奇跡』のようだった」という。
これは韓国人限定の話ではない。
ふつうのヨーロッパ人が中国人・韓国人・日本人を見分けることはまず不可能で、東洋人に対してこういう偏見や差別的な見方をする人がいるのだ。
実際、イタリアの音楽学校では日中韓の学生をまとめて授業への出席を禁止した。
敵はウイルスで、人間は被害者なのに。
これじゃ「いわさ菌」と呼んで接触を避けていた小学生と変わらない。
そんな話を紹介したのは知り合いのアメリカの黒人女性が、そこまで露骨ではないけれど、日本でそれに通じる体験をしたから。
話をしていた流れから、日本で生活していた3年の間で差別的な経験をしたかという話題になる。
すると、差別というほどではないけど、あえて言うなら「差別的」に分類される不愉快な体験はしたという。
当時、浜松の中学校で英語を教えていた彼女が青春十八きっぷを使って、東京の友人に会いに行った。
その行きと帰り、計8時間ほど電車に揺られているあいだ、そのアメリカ人の隣はいつも空席で一度もうまらなかった。
車内が込み合っても誰も座らない。
電車に入ってきた人が一瞬、座ろうとする素振りを見せたけど、彼女と目が合うとクルリと向きを変えて、目的地まで立っていることを選択したという。
日本人は保守的でシャイな性格だと思っていたから、そのアメリカ人はこれを差別ではなくて不慣れと判断した。
乗客の日本人の目や表情からは、敵意や憎悪が一切感じられないから。
日本語でいうなら、敬いつつも近寄らない(遠ざける)という「敬遠」の状態だ。
これはアメリカ人らしい発想かこの人だからか分からないけど、このとき誰かを隣に座らせる「ゲーム」をしようと考えた。
例えば窓際に移って座って通路側の席をあけておくとか、視線が合ったら声は出さずに目であいさつをするとか。
逆に窓の外をずっと見て「誰が隣に座っても、私は気にしませんよ」というオーラを出してみた。
そんなふうに、日本人を隣に座らせるための考えられるすべての方法を試したけれど、結局、席も心も満たされることなく浜松へ着いてしまった。
そのときのことをふり返って、「ずっと広々と座ることができて、とても“快適”だったわ」と真顔で言ったのは、とても不愉快だった証拠だ。
「モーゼの奇跡」も経験したかは分からない。
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だってさ~話しかけられても困るし。 やっぱアフリカ系の人は見慣れてないと怖いんですよ(>_<)
造船の町でロシア船が年1回修繕に入るので小さい頃から白人はよく見てました。
今はロシア船もアジア系の船員がほとんどなので入っていてもわからないです。
アフリカ系は見ることがなかったので岩国基地で実際に会った時はやはり怖かったです。
あ! ということは~やっぱ弥助さんもみんなに怖がられて近づけないからどこかひっそりと死んだかもしれないですね(´;ω;`)
話してくれた彼女はさすがに「モーゼの奇跡」はなかったと思いますが(^▽^;)
小学校で、クラスメイトの岩崎くんが「いわさ菌」と言われて仲間外れにされたといういじめ。
フランス・パリで、電車の中の東洋人を恐れて誰も隣の席に座らなかったこと、また、マスクを着けていたら周りの人々が怖がって避けていったこと。
日本の電車で黒人女性が避けられて、誰も隣に座ろうとしなかったこと。見た目が怖かったのか?
どれも、話がぜんぜん違うと思います。最初の小学校での話は明らかに「いじめ」「差別」ですけれど。後の2つはちょっと違う。
ヨーロッパ人だろうが、日本人だろうが、「自分に危害を加えそうな人」が近くにいたら、避ける権利はあると思います(もちろん、そのつもりがないのに避けられた側は不愉快でしょうが)。特に、現時点では、欧米人社会で東洋人が避けられるのは、当然だと思いますよ。そのような扱いをされるのが嫌なら、今は行かない方がよい。クサヤの干物を身に着けて歩いているのと同じことです、たとえ自分にそのつもりがなくても。
私だって、今は、中国人には日本へ入ってきてほしくないし、自分の近くにも寄ってきてほしくないです。もっとも、しゃべらず黙っていたら、よほど変な格好でない限り中国人とは分からないですけど。
外国人の(気持ちの上での)人権問題よりも、自国民に対する感染予防の方を優先してほしいですね。
日本人らしい反応だと思います。
でも少しお気の毒ですね…。
実際ぼくもこういう場面を見たら、隣に座るかどうかは分かりません。
外国人と接する機会は多いので話をしてみたいという気もしますが、この場であえてそうするかは微妙。
まあ、慣れの問題ですね。
人を傷つける行動をしているという点で同じです。
前者の場合は不当な偏見にもとづいていますが。
日本側が中国人に参加の自粛を求めたマラソン大会で、ほとんどの中国人はそれを守りましたが、一部無視して参加した人がいました。
そういうのは正直、困ります。
こういうことはありましたが、このアメリカ人は日本での生活には満足していました。
治安がいいし、食べ物がヘルシーですから。
黒人の方のケースはまさに不慣れですね、接することへの困惑からくる抵抗感です。人種差別ではありません。確かに差別的ではありますが。
日本の飲食店で中国人お断りの張り紙が話題になりましたが、あれも人種差別ではないと考えています。仰る通り、憎むべきはウイルスです。人間ではありません。この場合の張り紙も中国人を憎んでいるのではなく、保菌者の可能性を拭えないとゆうところがNGなのです。誰が武漢に行ったかなんてわかりようがありませんもの。自己申告?嘘をつかれたらしまいです。今や武漢以外でも中国全土に広がってます。あの張り紙が人種差別にあたる、法的にひっかかる恐れがあると言う人もいますが、じゃあそれで感染が拡大すればどう責任をとってくれるのか。自己防衛の手段ですよ。
そしてそれは今や日本でも同じです。もう水際対策の段階ではなく、2次3次と広がっています。なので欧米の反応は理解できます。過剰ではありますが。
ただ正しい知識があれば、オレは街中で中国人とすれ違っても気にとめないでしょう。道を聞かれたら、少し距離をとるとは思いますが対応するでしょう。ただし、一緒の空間で過ごすようなことはしないでしょう。
このアメリカ人にしてみたら、白人が幹部をつとめていて受付に黒人女性を座らせるアメリカの会社のほうを嫌います。
電車で隣に座らないというのは慣れの問題で、蔑視や侮辱ではないですから。
まあ本人には不快ですけどね。
小さいお店のばあい、誰かが新型肺炎で倒れたら死活問題です。
だから「お断り」をしたくなるのは仕方ないのですが、法的にはアウトでしょう。
新聞もそれを指摘するだけではなくて、「ではどうする」という具体案を載せてほしい。