きょねんの秋ごろ国際交流なんちゃらイベントで、インド人の留学生と知り合った。
ヒンドゥー教徒の彼は「日本の文化や歴史に興味があります!」と目を輝かせて言うので、どこかそれっぽいところへ連れて行こうと考える。
そうとなると選択肢はお城・神社・お寺の3つで外国人ならどれでもいいけど、今回はインド人ということでお寺にした。
仏教は古代インドのシャカが始めた宗教で、中国から朝鮮半島を経由して6世紀に日本へ伝わったもの。だから、インド発祥の宗教は彼にとって無関係ではないはず。
想像してみよう。
2000年以上前に日本の神道が中国大陸へ伝わりインドへ到達して、いまではインド各地に神社が建っている様子を。
もちろんそれはファンタジーだけど、現代のインド人が日本で仏教寺院を訪れるというのは、そんな感じの「温故知新」(故(ふる)きを温(たず)ねて 新しきを知る)に違いない。
と思って連れて行ったら、全然ちがった。
彼にとって日本のお寺はインドの寺院とは別もので、親しみやなつかしさなんてものほとんどゼロだった。
今回は彼がその寺で感じた3つの違いを紹介しましょー。
まずは日本庭園。
寺の門をくぐると、こんな立派な枯山水の庭が広がっていた。
日本の文化に興味のある彼は「これはすばらしいですね」と写真を数枚撮ったあと、“観光地のインド人絶対あるある”のお約束、自撮りを始めた。
撮影タイムのあと、しばし座ってこの庭を眺めながら話を聞くと、まずインドのヒンドゥー教やシク教のお寺にはこんな庭はないと言う。
お寺に必要なのは神様の像と僧侶で庭をつくる必要がない。
お寺に入る前、「なんでも聞いてください」と余裕の笑みを浮かべたけど、「この庭の目的はなんですか?仏教とどんな関係があるのですか?」という質問には答えられず。
まさか10分で赤っ恥をかくとは。
そういえばタイ人やミャンマー人の仏教徒にこれを見せたときも、母国の寺には庭がないと話していた。
理由はよく分からないけど、日本では仏教と庭園には古代から長いつきあいがある。
古墳時代には、庭園は古代から仏教世界の中心とされてきた須弥山を表す石の山のまわりに営まれているとされる。この象徴の山は7世紀にはさかんに造られたらしいことがわかっている。
日本のお寺に庭がないと誰がどう困るのか。
次に感じた違いは室内だ。
そのお寺の中はこんな感じで、日本の寺でよくある畳敷きになっている。
インドでは北部に木造の寺院があるけど、たいていの建物の床はコンクリートか大理石だから、こんな部屋は彼にとっては完全なる和の空間。
「とても日本らしいし、清潔ですね」と気に入っていたけど、きっと旅館にいるような感覚だろう。
ただ履き物を脱いで中に入る点は、日本の寺もヒンドゥー教の寺も同じという。
*ボクがインドの寺でスニーカーを預けたとき、「外国人料金」として3倍の値段を請求されたことがある。
ねばってみたけど、「嫌なら入るな」と言われて2倍で妥協。
俗世でも神聖な空間でもぼったくられるのがインドという国。
3つ目は、これが何なのか彼にはまったく想像できなかったこの位牌。
死者を祀るために戒名や法名なんかを書いた木の板が、インドでは見たことも聞いたこともないという。
でもそれは当たり前。
位牌は仏教ではなくて、およそ2000年以上前の中国でうまれた儒教に起源があるのだから。
儒教では後漢のころから位板(いばん)・木主(もくしゅ)・神主(しんしゅ)・虞主(ぐしゅ)等の名称で40cm程度の栗の板に生前の位官や姓名を心霊に託す風習があった。
*後漢時代は25年~220年。
日本で位牌は鎌倉時代に禅宗と一緒に伝わり、江戸時代には現在のように一般化した。
これは中国の文化や風習だから、インドにあるわけないのだ。
他におまけで書くと、インドのヒンドゥー教ではお墓もないという。
ヒンドゥー教でも遺体を火葬にするけど、遺灰はガンジス河に流すことが理想とされている。
普通はこの世に遺灰を残さないから、お墓をつくる必要性もない。
インドで誕生した仏教は日本にきてから独自の進化をつづけて、いまでは完全に日本化している。
だからインド人の彼には温故の要素がなくて、ほぼ知新しかなかった。
インド人の発想で相撲の映画を作ったら、日本人も興味津々だった
お寺の庭については
>古墳時代には、庭園は古代から仏教世界の中心とされてきた須弥山を表す石の山のまわりに営まれているとされる。
>この象徴の山は7世紀にはさかんに造られたらしいことがわかっている。
とあるように、神仏の世界や極楽浄土を再現する為に作られたようですね。
真偽は不明ですが、私が聞いた話によると奈良~平安時代の貴族の間では、死後極楽浄土に行くために徳を積む一環として、極楽浄土を再現した庭を作ることが流行ったそうです。
日本のお寺に庭があるのも、それが由来かもしれません。
インド(天竺)に由来する温故知新的な仏教系文化と言えば、やはり王道は、「七福神+吉祥天」および阿修羅、韋駄天、などの異国系神様(仏教なのに?)たちではないでしょうか。アニメ等の現代文化にもしばしば登場しますよね。ブログ主さんであれば既に紹介済みのことだろうとは思いますが。
寺院における枯山水庭園の伝統は何が起源なのですかね? 平安時代の寝殿造りあたりからはじまって、平安末期から鎌倉への末法思想の普及・鎌倉仏教の展開・寺社勢力の伸長なんかが関係してそうな気がします。本格的には室町時代になってからかな?
あまり詳しくないのでなんとなくですが、お寺に庭園があるのは神道の影響だと思います。
昔はあまり仏教と神道の区別がされていなかったのでお坊さんの話を聞きつつ自然を感じていたのかなと思います。
平等院鳳凰堂の庭は極楽浄土を表していて、近所の寺の庭には仏様を表す石があります。
禅宗は枯山水、他の宗派の寺は別の庭をつくっていますし、種類や目的、意味はいろいろで知れば知るほどよくわかりません。
今回は書きませんでしたが、閻魔はもともとヒンドゥー教の神ヤマでそれがお寺にあって彼はヒンドゥー教との関係を感じていました。
七福神のなかでインド系の神様は3柱で、別のインド人に見せたときは頭では理解するものの姿かたちはまったくの別物で反応は薄かったですね。
枯山水ははっきり覚えてないですけど、庭に本物の水を引けないときに砂で表現したことから始まったと記憶しています。
ボクが韓国や中国に行ったとき、いくつかお寺に行ったんですけど庭はなかったです。
日本では寺にも神社にも庭がありますから、神道の影響もあるかもしれませんね。