明治時代の日本にとって欧米諸国は目標だったせいか、太平洋戦争でアメリカに負けたせいか、日本人には「白人コンプレックス」がある。
でもこうなると、その逆もでてくる。
日本人が外国人(アメリカ人)と取引をするときは、自分自身の権利や意見を強く主張すべきだと、政治家の石原慎太郎氏とソニー会長の盛田昭夫が共同で「『NO』と言える日本」というエッセイを1989年に出版して国の内外で話題になった。
なかには欧米人を相手に堂々と言い返す日本人もいて、前回はGAKTさん、ぜんじろうさん、麻生大臣について書いた。
今回はそんな日本人の元祖ともいえる人物を2人紹介しよう。
アメリカに「NOと言える日本人」の代表的な人だ。
アメリカ人に言うべきことはしっかり言う。
「まずお世話になりましたと一言言え」とアメリカ側に言った麻生大臣には白洲次郎の精神があるようだ。
戦争に負けた日本は、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の支配下に置かれる。
白洲次郎はこのGHQとやり合って、「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめた。
当時の日本の最高権力者マッカーサーに、白洲が昭和天皇からのクリスマスプレゼントを届けた時、マッカーサー側が「その辺にでも置いてくれ」とプレゼントを軽視したことに激怒して「仮にも天皇陛下からの贈り物をその辺に置けとは何事か!」と怒鳴りつけて、マッカーサーを慌てさせたという。
そんな白洲はこんなことも言っている。
「占領下の日本で、GHQに抵抗らしい抵抗をした日本人がいたとすれば、ただ二人、一人は吉田茂であり、もう一人はこのぼくだ。」
「プリンシプルとは何と訳したらよいか知らない。原則とでもいうのか。…西洋人とつき合うには、すべての言動にプリンシプルがはっきりしていることは絶対に必要である。」
ちなみに日本で初めてジーンズを履いたのは白洲次郎だった。
上の人物は岡倉天心(1863年 – 1913年)。
岡倉は明治を代表する思想家で美術評論家、東京藝術大学の設立に大きく貢献した人だ。
彼が経験したことは、前回書いたぜんじろうさんと似ている。
1903年(明治36年)、岡倉がアメリカに滞在していたときのこと。
弟子の横山大観らと羽織に袴という完全な和装でボストンの街を歩いていると、1人の若いアメリカ人にこうからかわれた。
「おまえたちは何ニーズ? チャイニーズ? ジャパニーズ? それともジャワニーズ?」
岡倉は即座にこう言い返す。
「We are Japanese gentlemen. But what kind of key are you? Are you a Yankee, or a donkey, or a monkey?」
(我々は日本の紳士だ、あんたこそ何キーか? ヤンキーか? ドンキーか? モンキーか?)
欧米人の言うことに何でも反対して、突っかかるだけならイノシシと同じ。
白洲次郎と岡倉天心は英語はもちろん、相手の価値観や考え方を熟知した上で言い返している。
こんな日本人は超例外で、普通の人には手の届かないところにいるけど、日本に必要な国際人の参考にはなる。
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