日本と中国文化の“決定的な違い”。椅子の国と畳の民族

 

きょう4月14日は「椅子の日」。

4がならんで不吉な空気がただよっているけど、414を強引に「良い椅子」と読むことに成功した大阪の家具会社がこの日を「椅子の日」に制定した。
入学や就職などで新しいスタートをきる人もいるから、良い椅子を贈る日という意味もあるようだ。

せっかくなんで今回はこの記念日に乗っかって、日本と中国の文化の決定的な違いについて書いていこうと思うのだ。
日本には着物や鯉のぼりなど、中国に起源をもつ文化がたくさんあるけど畳は違う。

 

これまでに中国人を何人か、静岡市にある清見寺というお寺に連れて行ったことがある。
日本の仏教はインド直輸入ではなくて、文字が漢字に翻訳されるなど中国化した仏教だから、中国人といると共通点はいくつも見つかる。
例えば清見寺にあったこんな絵だ。

 

 

「卍」は中国由来の漢字で、「吉祥万徳の集まる所」というとてもいい意味がある。
7世紀、武則天が中国を治めていた時代に「卍」を「萬」と読むことがきまって、日本にもそれが伝わり、いまではお寺の地図記号にもなっている。
くわしいことはここをクリック。

「でも欧米人は、「卍」をナチスのハーケンクロイツとかん違いすることが多いんですよねえ。まったく逆の意味なのに」という思いもきっと中国人となら共有できる。

 

ハーケンクロイツ(かぎ十字)
これは人種差別のシンボルで、「卍」はラッキーの象徴

 

 

清見寺には上の建物があって、中をのぞいたら床が石畳になっていた。

 

 

これを見て、中国人の留学生が「雰囲気が中国のお寺みたいですね」と言う。
後日、台湾人をここに連れてきたときに感想を聞いたら、「たしかに中国のお寺に似ています」と同じことを話していた。

下は別のお寺の写真だけど、この中国人のイメージでは、日本のお寺といえばこんなふうに床一面が畳敷きで、中に入るには靴を脱がないといけない。
そしてお坊さんが正座をしてお経を読んでいる。

 

 

漢字や仏教とはちがって、畳は日本で生まれた固有の文化だ。

畳は、世界に類がない日本固有の文化である。畳の原点は古代から存在する。

 

ちなみに語源は、「タタム」という動詞が名詞化して「タタミ」になったと考えられている。
「いやいや、畳の起源も中国にありますよ」と主張する中国人にその画像を見せてもらったら、それはゴザみたいな敷物で畳とはまったく違う。

 

日本が畳の国なら中国は椅子の国。
でも、もともと漢民族に椅子に座る文化はなくて、中国北部にいた遊牧民の風習が北魏(386年 – 534年)や唐の時代に、中国の漢民族の間にも広がっていまの椅子大国・中国につながった。
中国旅行でお世話になった日本語ガイドの話では、草原を移動しながら遊牧民は持ち運びできる簡単な椅子を持っていて、それが中国に入ってきてから常に同じ場所に置かれるようになり、大きくなって装飾されていまの椅子文化につながった。
中国文化の中にも仏教や椅子のように、海外や異民族に起源をもつものはたくさんあるのだ。

古代の日本は中国からいろんなものを取り入れたけど、それは「中国のものならなんでもOK」ではなくて、仏教は受け入れて道教は採用しなかったいうように「日本にとって必要なものだけ」という取捨選択の基準があった。

畳がなかったら茶道も華道も柔道も生まれなかった(少なくとも現在のものとは違っていた)から、この発明は中国文化との明らかな一線を画すし、日本文化にとっては本当に画期的なもの。

畳の民族に椅子はいらないから日本で椅子文化は発展せず、江戸時代にロシア人と話し合いをするときは大変だったらしい。

ロシア人が畳の上に5分も座っていられなかったのと同様、日本人も椅子の上に座ることができなかったという。

椅子#日本 

 

床が石だと正座をするわけにはいかないから椅子が必要となる。
この座り方は中国文化圏の人にはなじみがないようで、「正座には罪人の座り方というイメージがあります」と言う香港人もいた。
やっぱり日本と中国では文化や価値観が違う。

 

 

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8 件のコメント

  • ロシア人が畳の上に座れなかったのはなんとなくわかるとして、江戸時代でも茶屋なんかに長椅子とゆうか腰掛けがありましたし(浮世絵にも描かれている)、飲み屋でも椅子で飲み食いしてたと思いますが、どうでしょ。

  • 写真に出ているような「広間一面に畳を敷き詰めた寺」というのは日本でもかなり贅沢な方の寺でして、おそらく、大阪に特に多いのだと思います。関東・中京あたりの寺だと、本堂は今でも「板の間」の方が多いのではないかな?
    しかしそれにしても、大阪って、贅沢な寺が多いことにびっくりします。庭の池に錦鯉がたくさん泳いでいたりとか。まーあんな感じだとすれば、大阪には、般若湯(お酒のこと)を嗜んだりする「な〇ぐ〇坊主」も多いのでしょうね。昔から「坊主ま〇も〇け」とか言いますし。
    バブルの頃の新幹線なんて、グリーン車の客にやたらと坊さんが多かったことがあります。外見が独特なので、他の客よりも目立っていたということもあるけど。

  • 日本も飛鳥時代や奈良時代には大陸中国文化を真似ていたので、天皇(皇族)は、少なくとも謁見の場では椅子に座っていたようですね。当然、靴(木靴か?)も履いていた。聖徳太子や大化の改新なんかのドラマを見ると、そう描かれています。
    畳は、雛人形とかを見れば分かるように、元々は平安貴族が板の間の上に部分的に敷物のように置いたのが始まりでしょう。平安時代の寝殿造の建物では、戸板やふすま等の建具が無くて、家の内・外の仕切りは、屏風のような衝立て(?)が目隠し的に置いてあっただけみたいです。夏はいいけど、冬は寒かったでしょうね。
    それが室町の頃には書院造りが登場して、畳敷きの部屋、床の間、板戸など建具も揃いました。なお板戸は、おそらく、戦時における防御のことを考えてのことでしょう。これでほぼ、現在の伝統的日本家屋の形式が揃いました。当然、草履などの履物は脱いで畳の上に上がったでしょう。たとえば茶室も畳敷きですが、にじり口から茶室へ上がる時には刀を外し、履物を脱いで上がりますよね。
    江戸時代、それも中期以降になると、テレビの時代劇を見る限りでは、町民の長屋でも畳敷きになっている例が多いようです。が、田舎の農家では、屋内の床は土間か、せいぜい板の間が普通だったのでしょう。
    日本全国全ての一般庶民の家屋の床まで原則として畳敷きになったのは、おそらく、明治期以降の話ではないでしょうか。もしかすると戦後かも?
    なお私が生まれた場所は、60年前、産科病院ではなくて、両親が自宅としていた長屋です。当然、縁側に置いたたらいの中で産湯につかりました。

  • そうなんですか。
    私はよく静岡のお寺に行きますが、本堂はほとんど畳敷きの部屋でした。
    お寺の人から話を聞くといまは経営(?)が大変らしいです。

  • 万葉集でも貴族が一枚の畳の上に座っています。
    畳を床一面に敷き詰めるのはお金がかかりましたから、最初はそんなふうに使っていました。いまの旅館のような部屋はおっしゃる通り、室町時代にできました。
    一般家庭に普及したのはたしか明治だと思います。
    京都御所に「清涼殿」がありますが、日本の家屋は伝統的に夏の暑さを考えて作っていました。
    アメリカ人に話すとフロリダも暑いから、風通しのいい「ショットガンハウス」という家があると言ってました。

  • 上の「自分が生まれた場所」の話の続き、どうしてこんな話を上げたかと言うと・・・。
    お恥ずかしい話なのですが、子供の頃、親が事業に失敗したために、いっとき実に貧乏な暮らしに陥ったことがありまして。小さな土地と家は残ったのですが、借金取り(と言うより出資者の命を受けた差し押さえ人だったのか?)に畳まで持っていかれてしまったことがあったのです。その頃は、畳もそれなりに価値ある物品であり換金もできたのしょうね。で結果、自宅の床は板の間だけになってしまい、畳の代わりにゴザとか、親父がどこかで拾ってきたボロ毛布なんかが家の中に敷いてありました。
    という訳で、昭和の時代でもまだ「畳のない生活」としている家族が、いることはいたのです。決して典型例ではありませんが。
    もう二度とあんな生活には戻りたくないなぁ。

  • そんなことがあったんですか!
    畳まで取ってしまうというのは、なんかドラマでありそうでいまでは現実感がわきません。
    東京オリンピックのときに新幹線ができたのですが、貧しい家を外国人に見せないようにとそういう家はビニールシートでおおったという話を本で読んだことがあります。
    いまネットで確認してもでてきませんでしたが。
    先入観かもしれませんが、昭和の日本人は貧しさをみっともないと思う気持ちがすくなかったと思います。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。