日本に象がきたゾウ。江戸時代、天皇から庶民まで列島が熱狂

 

きょう4月15日は「象供養の日」と「遺言の日」になっている。

2つとも死に関することだから笑顔にはなれないけど、1926年のこの日に日本で初めて象供養が行われたことと、「四(よい)一(い)五(ご)」(よい遺言)の強引な語呂合せからそれぞれこの日が記念日に定められた。
ということで、今回は「日本人と象」について書いていこうと思う。

 

 

いまは動物園に行かないといけないけど、昔は日本でも野生の象がいたのだ。
といってもそれは旧石器時代という大昔で、日本列島にはナウマンゾウがいて、旧石器時代の人たちがこれを狩猟の対象にしていた。
象の肉を食べて生活していたのだろう。
奈良の正倉院には、ナウマンゾウの歯が「五色龍歯」(ごしきりゅうし)という宝物として保存されている。
そんなナウマンゾウは2万年ほど前に絶滅。

古い日本語では象を「きさ」と呼んでいて、「日本書紀」にその記述がある。
また、平安時代に作られた辞書「和名類聚抄」(わみょうるいじゅしょう)では象について、「象、岐佐、獣名。似水牛、大耳、長鼻、眼細、牙長者也」と現代の日本人でも分かるような説明がされている。

 

江戸時代の国学発生以降、平安時代以前の語彙・語音を知る資料として、また社会・風俗・制度などを知る史料として日本文学・日本語学・日本史の世界で重要視されている書物である。

和名類聚抄

 

インドではじまって中国経由で伝わった仏教の影響で、日本人も昔から象の存在は知っていた。
例えば白象は普賢菩薩の乗り物ということで、平安時代にはこんな絵が描かれる。

 

 

文字や絵ではなくて、生きているガチの象が初めて日本へやってきた最も古い記録は、1408年に若狭国(いまの福井県)の港に入ってきた船に象が積まれていたというものがある。
令和のいまでいえばきっと地球外生命体がきたような衝撃で、当時の日本人は港に殺到して大騒ぎになった、といった当時の反応は残念ながら残されていない。

 

象に対する日本人の様子がよく分かるのは、将軍・徳川吉宗に献上するためにベトナムから長崎に連れてこられた象が江戸まで移動したときだ。
はじめは船で江戸まで運ぼうと考えたけど、もし船の上で象が暴れだしたら誰にも止められないし、きっと船ごと沈んでしまう。
象の輸送を前提につくられた船なんて、江戸の日本にあるわけない。

そんなことでこのベトナム象は陸路で江戸まで行くこととなる。
「伝説の生き物が通るってよ!」と聞いたら、みんな心がおどってしまうではないか。
徳山藩では藩主の毛利広豊とその家族、広島藩では藩主の浅野吉長などが象を見物して、野次馬対策として、大坂や京都では象が通る道が通行禁止になった。
でも「上に政策あれば、下に対策あり」で、禁令の効かない郊外にまで足を運んだ人も多かった。

 

1729年に京都へ到着したときの象

 

京を通ると知った中御門天皇はこの珍獣をぜひ見てみたいと思ったけど、当時の日本で象は「穢れた存在」と考えられていたから、神聖な天皇に謁見させるためには「身分の壁」を超える必要がある。

ということで朝廷はこの象に、広南従四位白象(こうなんじゅしいはくぞう)の地位を与えることを決めた(異説アリ)。
従四位というのは城を持つ大名と同じぐらいの高い身分だから、ベトナムからきた象はこの瞬間、畜生から貴族になったわけだ。

中御門天皇、霊元上皇、貴族たちの前でこの象は、前足を折って頭を下げて挨拶をしたり、みかんの皮を鼻でむいて食べるといった芸を披露したという。

生まれて初めて象を見た中御門天皇は感動のあまりこんな和歌を詠んだ。

「時しあれは 人の国なるけたものも けふ九重に みるがうれしさ」

 

これは霊元上皇の歌

「めづらしく 都にきさの唐やまと すぎし野山は幾千里なる
情しる きさのこころよ から人にあらぬやつこの手にもなれきて
これもまた この時なりとかきつめて みそむるきさの やまと言の葉」

*象を「きさ」と書いている。

 

名古屋を歩く象

 

当時の瓦版

 

日本各地を熱狂させた象がいよいよ江戸に到着。
そのときの庶民の反応を、歴史家の河合敦氏がプレジデントオンラインの記事(2020/04/02)に書いている。

江戸っ子は珍獣を一目見ようと、その周囲に群がった。それ以前から象を題材とした錦にしき絵や人形、双六などが飛ぶように売れ、『象志』、『馴象編』といった本まで続々と出版された。

江戸の人々が「エジプト産ミイラ」を薬として珍重していたワケ

 

珍獣に興奮するなというのは無理な相談で、象見物について幕府は庶民にこんなお触れをだす。

江戸でも触が出され、くれぐれも不作法のないよう、また象に菓子などを投げ与えることは固く禁ずることが申しわたされた。

広南従四位白象#象、江戸へ

 

江戸城では徳川吉宗のほか老中や幕僚ら、大奥の女性もこれを見たといわれる。
ちなみに吉宗は象にイノシシやイヌと戦わせるとか、古代ギリシャのスパルタクスのようなことをさせて楽しんだ。
従四位とは何だったのか。

これは水戸藩が残した象の情報

・毛はねずみ色で見栄えはあまりよろしくない
・鼻が長く自由が効く
・ことのほか人になつく動物であり、何事もよく理解する
・江戸城にても中国語で人を乗せると申したら、言葉を理解して下に居る人を乗せた

ちなみにこの象はあんこのない饅頭が好きだったという。

 

象はその後、エサ代がかかり過ぎる(年間200両)などの理由で、民間人に払い下げられて病死した。
その骨は中野の宝仙寺に納められ、現在でもその一部が残っている。
日本初の象供養はこのとき行われたかもしれない。

 

宝仙寺に納められた象の頭骨と牙

 

象の群れ(スリランカ)

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。