偉人は変人奇人と紙一重:植物学の父・牧野 富太郎って人

 

きょう4月24日は「植物学の日」。

子供のころから94歳で亡くなるまで、植物に愛情と興味を持ち続けた日本の植物学者の権威・牧野 富太郎(まきの とみたろう)が生まれた1862年4月24日にちなんでこの日が記念日となった。

人生をかけて日本中の野山をかけめぐり、新種や変種を見つけまくって牧野が命名した植物の数は1500を超える。
まさに日本の「植物学の父」と呼ぶにふさわしい人。
でも、偉人は奇人・変人と紙一重と言うように、ときには周囲に迷惑をかけて怒らせるほど、この人も相当の変わり者だったのだ。

 

なんとなく加藤茶に似ている牧野 富太郎

 

牧野はもともと「成太郎」という名前だったけど、6歳までに父と母、それに祖父を失い、「富太郎」に改名している。
その理由はよく分からないけど、1人で育てた祖母はその名に、不幸な現状とは逆の願いを込めたかもしれない。
富太郎が小さいころから花や草が好きだったのは、1人でいる時間が多くて話し相手が少なかったからではないか。

家は酒屋をしていて決して貧しくなかった富太郎は、経営を祖母と番頭に丸投げして、自由気ままに過ごしていたものの、15歳のときに小学校の臨時教員となった。
15歳で小学校の先生になれるということろが、さすが明治の日本、自由というか適当すぎる。

植物の採集や写生、観察などの研究を続けた富太郎は、17歳のころには自分を「植物の精(精霊)」と感じるようになったという。このころ奇人変人ゾーンに足を踏み入れたようだ。
同時に、「日本中の植物をまとめ上げることは自分にしかできない」と確信したことは偉人へのスタートになった。
努力を続けるには理由が必要で、「これができるのは自分だけ!」と勘違いでも錯覚でもいいから信じ込まないと、ただ努力するだけではいつか心が折れてしまう。

 

22歳のときに東京帝国大学理学部植物学教室に出入りするようになり、文献や資料の使用を許された富太郎は、本格的な研究に没頭して「精霊」から植物学者へと進化をとげる。

牧野は研究者の地位を高めていく一方で金銭感覚がついていけず、研究費をどんどん使ってしまった結果、実家の経営は危うくなっていく。

それでも富太郎は植物が好き。
研究のために必要な本なら全て購入していくという熱心さのために、借金も山のようになっていき、家賃も払えなくなって家財道具を競売にかけられたこともあった。
日本全国へ植物採集に出かけたり、著書を刊行していったことでお金はなくなり、子どもが13人もいたし生活はかなり大変だったらしい。

 

富太郎は発見した新種の笹に妻の名前から「スエコザサ」と名付けたけど、妻としてはそのためにこれまで犠牲したものを考えたら、どこまで喜べただろう。

それに富太郎は研究に夢中になると、社会のルールやきまりを無視するところがあって、大学の文献を借りたまま返却しなかったことで研究室の人たちを怒らせている。

 

でも植物研究者としてはずば抜けていて、47年ものあいだ、東大植物学教室で講師として学生の指導にあたり、日本の植物学発展にも大きく貢献した。

一緒にいる人からしたら性格や考え方にはかなりの難があったけど、富太郎のしたことは日本の植物史に残り続けることは間違いない。
イケメンで性格も頭もいいというのは漫画のキャラクターで、一芸に秀でる人はその一点に時間や能力が集中させるせいか、どこか欠けている人が多いとおもう。

昭和32年に94歳でこの世を去った後、牧野富太郎は従三位に叙されて、勲二等旭日重光章と文化勲章を授与された。

 

1500種以上の新種の植物を見つけ、て命名をおこなった富太郎は「雑草という名の植物は無い」とわりとカッコイイことを言う。
子供のころから植物が友だちで、「植物の精」を自称しただけのことはある。

 

 

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4 件のコメント

  • わお! まさかここで牧野先生のことを知ることになろうとはΣ(゚Д゚)ビックリ!
    ずっと前に環境衛生の会社に行っていてその時に牧野先生のことを知りました。
    会社で植物図鑑のことを「牧野図鑑」って呼んでいて実際に牧野図鑑って名前がついていたと思います。
    植物学では日本だけでなく世界的権威だったような気がします。
    牧野先生のあとを継ぐ植物学者が出なくてその後膨大な資料となる植物標本が危機的状況になっているとニュース番組で見たことがあります。 その後どうなったのかなぁ。
    しかし植物だけでなく奥様にも情熱的だったんですね~。 13人もお子さんがいたとは知りませんでした。
    いくら明治でも秀でていないと学校の先生はさせないでしょう。 15歳で先生ってすごいや。

  • 牧野富太郎を知っていたんですね!
    私はきのう初めてこんなすごい人を知りました。
    富太郎が教師になったのも、それなりの能力を認められたことは間違いないでしょうね。

  • 牧野富太郎、昭和に育った年配者には結構有名な人だったと記憶しています。昔は、学研の学習雑誌とか、学校の理科の副教材とかでは必ず取り上げられていた人です。もっとも、こんな変人的要素の持ち主でもあったとは、当然、子供向けの偉人伝には出てきませんでしたけど。
    これとよく似た話で、やはり世界的な権威者の一人にまでなった「野口英世」がいますね。この人も子供の頃には偉人伝で紹介されていたのを何度も目にしました。ただ、私生活についてはかなりハチャメチャだった人のようで。
    そういうのは大人になって初めて知ることになる訳ですが・・・。うーん、偉人が皆そうだとは言いませんが、一芸に秀でた人が私生活では奇行を示すことは、一般に知られているよりも意外と多そうですね。
    天才の考えは、一般人には伺い知れないところがあるのかも。(それで済ませられる所がまた、偉人ゆえなのですが。)

  • 牧野富太郎は「知る人ぞ知る」という感じかと思いましたが、学研の雑誌に取り上げられるような有名人だったんですね。
    たしか孔子はバカと天才には教えられないと言っていました。
    並外れた才能のある人は常人ではうかがいしれない部分があるんでしょう。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。