中国で最も古いモスク(イスラーム教の礼拝所)は西安にある。
西安は日本とのつながりが深くて、唐の時代には「長安」と呼ばれていたこの都市をモデルにして、京都(平安京)がつくられた。
そんな唐の首都・西安でモスクが建てられたのは8世紀のことで、その後何度も改築をおこないながら、現在の西安大清真寺(せいあんだいせいしんじ)がある。
このモスクはいまでは西安を代表する観光名所で、10年ほど前に西安に行ったとき現地の中国人ガイドの女性から、「絶対に見ておくべきですっ!」と熱く言われからここにも足を運んだ。
こんなアラビア文字を見ると中東のモスクのようだけど、建物はどこから見ても完全な中国様式になっている。
見にくいけれど、屋根飾りに注目してほしい。
モスクの屋根に生き物の像があるではないか!
ガイドが言うにはこれは魔除けの像で、中国のお寺や宮殿でこんな飾りはよくあるとのこと。
でもイスラーム教では偶像崇拝が禁止されていて、地域や時代によって違うけど、基本的には人や動物の像を制作することができない。
なのになんで、礼拝所に生き物の像があるのか?
ワケを聞いたら、ガイドがこんな話をする。
これは自分の想像だけど、むかしの中国では国内にある全てのものは皇帝の所有物で、このモスクやイスラーム教の信仰も皇帝が認める範囲内でしか存在を許されなかった。
伝統的に天帝の代理人である皇帝(天子)は、地上では「神」だからこれは当然。
中国にいるイスラーム教徒は、心はアッラー(神)のものでも体は皇帝の“もの”で、中央政府が下す命令には絶対に従わないといけない。
だから、本当はイスラーム教的にはNGだけど、皇帝に命令されたか政府に忠誠を誓う意味で、伝統的な魔除けの像をつくって飾りとして屋根に置いたのだろう。
でも、これは過去の話ではなくて現在も同じ。
いまでも中国共産党は国内で皇帝のような絶対的な権力を握っているから、中央政府を不快にさせるものは中国での存在を認められないという。
中国人のガイドが言うには、ウイグルのイスラーム教徒はこの点で「失敗」している。
彼らは信仰心が強すぎて、共産党から「反政府的」とみられているから厳しい扱いを受けているけど、西安にいるイスラーム教徒は昔から中央や現地政府とうまく付き合っていて、漢人と同化しているから問題視されない。
これもガイドの意見だけど、中国の共産主義はわりとフレキシブル。
共産党は基本的に宗教を認めていないけど、反政府でなければ、大清真寺のようなモスクやイスラーム教徒の信仰も黙認される。
ここにも魔除け飾りがある。
このモスクについて、くわしいことはここをクリック。
中近東などに存在するモスクと違い、西安大清真寺はイスラム風の配置、アラビア文字などによるイスラム風の装飾を除き、その建築の風格はほぼ中国建築式である。
でも考えてみれば、「心は神のものでも、体は皇帝のもの」という態度は世界でよくあることだ。
キリスト教の聖書には、「皇帝のものは皇帝に(カエサルのものはカエサル)という言葉があって、神への服従と国家に対する義務を両立させている。
ただ中国の場合は唐の時代だけでなく現在でも、他の国に比べると国家への服従を強く要求されている。
中央政府が気に入らないと、「くまのプーさん」や「あつまれ動物の森」も消されてしまうのだ。
次回、そのことを書いていきます。
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>「心は神のものでも、体は皇帝のもの」という態度は世界でよくあることだ。
>キリスト教の聖書には、「皇帝のものは皇帝に(カエサルのものはカエサル)という言葉があって、神への服従と国家に対する義務を両立させている。
皇帝が、天にいるのか地上にいるのか(あるいはその両方か)の違いだけで、一神教という宗教も、共産主義も、人類文明が生み出した大きな失敗であることに間違いなさそう。もしかすると、共産主義も一神教の一種なのかな?