きょう6月5日は「ろうごの日」。
ということで今回は高齢化社会について考えよう!というのは他の人にまかせて、ここではかつてエスキモーにあった変わった習慣について書いていこうと思う。
ただ内容は「棄老」のことだから、ハートウォーミングな話は期待しないように。
エスキモーというのはアラスカやカナダ北部などに住んでいる先住民族グループのこと。
これはひとつの民族の呼称ではなくて、大ざっぱにアラスカ北部以東に住むイヌイット系民族とアラスカ中部以西のユピク系民族(西部集団)に大別される。
*この呼び方には少し問題がある。
カナダ政府はエスキモーとは「生肉を食べる人」という蔑称でこれは差別的な言葉だから、先住民を「イヌイット」(人間)と呼ぶことにした。
でもアラスカの先住民は自分たちを「エスキモー」と呼んでいて、アメリカのアラスカ州ではいまもこの言葉が使われている。
ここではカナダ限定ではないから、エスキモーの呼称を使うことにする。
雪と氷の極寒の地に住むエスキモーは、常にこうした厳しい自然環境に順応しながら生きてきた。
雪や氷でつくった住居「イグルー」
日本の雪国で見られる「かまくら」みたいだけど、きっとそんなほっこりしたものじゃない。
土偶?と思ってしまうけど、これは雪原の照り返しから眼を守るための道具
いまはアメリカやカナダの国民になっているエスキモーだけど、この地で稲作や畑作などの農業は困難だから、彼らは伝統的に海ではアザラシやクジラ、陸ではトナカイなどをつかまえて食べる狩猟採集生活をしてきた。
でもこれでは当然、食糧を安定して確保することは難しい。
厳しい環境の中、少ない食糧でできるだけ多くの人を生かすには、最小限の「犠牲」、日本でいう「口減らし」が必要になることもある。
そのため、かつては高齢者や病人を遺棄することが一般的に行われていて、老人もそのへんの事情は十分に分かっていたから、自ら家を出て命を絶つこともあったという。
もちろん現代では違法で、エスキモーにはもう棄老の習慣はない。
日本でも昔は口減らしのために、老人をすてる風習があったといわれる。
年老いた親を背負って山に登って、そこに置き去りにする「姥捨て」の話は有名だ。
そんな残酷で悲しい方法ではなくて、(これも残酷なんだが)最期にお餅を好きなだけ食べさせて“自発的に”のどに詰まらせて、窒息死させるということが東北で行われていたという。
88歳になる老人がその習慣について話しているから、興味のある人はこの記事をどうぞ。
こんな棄老伝説を基に小説「楢山節考」が生まれた。
辛くてもそれが貧しい村の掟だった。途中、白骨遺体や、それを啄ばむカラスの多さに驚きながら進み、辰平は母を山に置いた。
現代の人権感覚や常識では許されないことだけど、こうした棄老の習慣はかつては多くの国であったと思う。岩手県・遠野市にある「デンデラ野」については、60歳を超えた老人を捨てた場所という記録がある。
(「デンデラ」の意味と姥捨てが行われた理由について)
上の「お餅で窒息死」の話をアメリカ人にしたところ、彼は「いまでも似たようなことがあるよな?日本では毎年、正月になると老人がお餅をのどにつまらせて亡くなる。新年って、めでたいはずじゃないのか?」と言ったあとに、エスキモーが行っていたという棄老の方法について話す。
彼らはむかし、氷の上に老人を乗せてそのまま海に押し出したという。
かつては老人を流氷に乗せて、夕日に向かって海を漂わせたというエスキモーの言い伝えがあると米CNNの記事にもある。(November 4, 2011)
the Eskimos, as folklore has it, used to treat theirs: put on an ice floe and left to float away into the sunset.
Put the elderly on ice?
言い方はめちゃくちゃ不謹慎だけど、お餅は日本人らしくて氷はエスキモーらしい。
エスキモーには他にも変わった習慣があった。
自分がホストになったときは客へのもてなしとして妻を「提供」して、立場が入れ替わると今度は相手が妻を「提供」する。
この習慣は外国人には非常に奇異なものに映り、しばしば小説の題材に取り上げられた。現在、彼らの多くはキリスト教徒であり、福音の教えに反するので、このような習慣はなくなった。
すべて今は昔のはなし。
>最期にお餅を好きなだけ食べさせて“自発的に”のどに詰まらせて、窒息死させるということが東北で行われていたという。
昔の日本では、この他にも残酷な「人減らし」の風習があって、幼い子供の口にこんにゃくを詰めて窒息死させることもあったそうです(TV:木枯し紋次郎)。さらには、子供を父親が夜中にこっそり母親の手から取り出して、生き埋めにしてしまう場合もあったとか(漫画:闇の土鬼、バガボンド、等)。
これらが本当にあったことなのかどうか私は知りませんが、老人の場合はある程度自分も覚悟して自ら進んで棄民の処遇を受けるのに対して、赤子や子供の場合は本人の意思に関わりなく処置されてしまうだけに、より残酷な制度であると思います。
この言い伝えはあって確かに現実的にもありそうですが、ハッキリしたことは分かっていません。
当時には当時の常識や事情がありましたし、現代に生まれたことを感謝するしかないですね。
今の高齢化時代の視点で考えると、辛くて切ない歴史の一頁ですね。私が幼い頃、“姥捨て山”の話などを聞いた記憶が、脳裏を駆け巡りました。
太平洋戦争のとき自分が生きる食料を得るために、日本人同士で殺し合うことがありました。
食べ物が安定供給できるシステムと平和がないとまたそうなると思います。