東京で日本語を学んでいた知人の韓国人と話をしていたとき、彼女が韓国語との違いについて「日本語には悪口が少ない」と指摘した。
韓国語はというと、
「悪口がすごく発達しています。相手や気持ちの程度に応じて、たくさんの種類の悪口があります。政治家は本当にボロクソ言われますね。でも日本語ではバカ・アホとか種類が少ないし、相手をののしる程度もおだやかです」
ということだ。
このあと日韓の文化論になって、韓国人は思ったことをハッキリ言葉にするけど日本人は遠回しに伝えるとか、日本人は相手を傷つけないよう配慮するけど、韓国人は相手に分かりやすく伝えてその場で解決しようとする、なんてことを話をする。
韓国語に比べて、日本語には相手を罵倒する言葉が少ない?
そう聞いたのはこのときが初めてで、意外に思ったから、これが頭に引っかかっていた。
それでネットで調べたら、トランペット奏者で海外で活躍している齋藤 友亨さんのブログにもこう書いてある。
日本語ができる韓国中国人からよく、
「日本語って全然悪口のバリエーションないよね。おれらとは比べ物にならない!すごくいいことだと思う。笑」
的なことを言われたりします。
*話はそれるけど日本語を学ぶ中国人が、日本語では「このバカが!」「間抜けが!」みたいに悪口に「が」を付けるけど、その意味が分からないと言っていた。
中国語ではこういう表現がないらしい。
さて、そもそも日本語には悪口が少ないという特徴があるのかもしれない。
こんなことを書いたのは、きのうの記事を書いている時に、韓国の政治家が使う言葉の汚さや激しさを知って驚いたから。
現在の与党「共に民主党」が野党だったころ、議員や関係者は大統領に向かってこんな発言をしていた。
「ネズミ」
「殺してしまわなければならないのではないか」
「鬼胎」
鬼胎とは「生まれてはいけない、不吉な、忌まわしい」といったかなり侮辱的な意味の言葉らしい。
でも立場一転して自分たちが与党になると、ムン大統領へのちょっとした批判さえ許さずに「品格と礼儀を持て」と激怒する。
そんなご都合主義の韓国与党についてはこの記事をどうぞ。
さてこれが日本だったらどうだろう?
日本にも口の悪い政治家がいてよく言葉で問題を起こすけど、ここ10年ほどを振り返って、野党議員が首相に向かって「ネズミ」と言うほどの暴言があっただろうか。いやないだろう(反語)。
これは批判ではなくて人間に対する侮辱や人格否定になるから、日本だったらかなり厳しいペナルティーが課せられるはず。
公然とこんなことを言って許されるのは織田信長ぐらい。
国会議員が「殺してしまわなければならないのではないか」と言うのは論外で、日本では考えられない。
韓国社会では暴言のストライクゾーンがとんでもなく広い。
けっきょくこれも、日本と韓国の「悪口文化」の違いなんだろう。
さて日本には、かつて「悪口禁止法」があったのをご存知だろうか。
鎌倉時代に北条泰時が制定した御成敗式目には「悪口の咎(とが)の事」、いわゆる「悪口罪」があった。
相手をののしることから、殺す・殺されるの争いが起こったことから、こんな罪ができたらしい。
毎日新聞のコラム「余禄」(2019年1月30日)
人をののしると罪になるという時代があった。それも重いものは流罪になったというから生半可(なまはんか)な罰ではない。
その昔、人をののしると罪になるという時代があった…
韓国の歴史で庶民同士でも悪口を言ったら罪になるという時代があっただろうか?
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日本語に悪口が少ない、相手の名前を口に出して呼んだり、相手に対して遠回しな表現をする、このような特徴はたぶん「言霊」が信じられてきたことの影響でもあるんじゃないでしょうか。口に出した言葉がそのまま(神に祈ることと同じで)実現してしまう。相手の名前を呼ぶことで相手の自由を奪い、相手を自分の思うがままにできる。こういう考え方を信じる慣習があれば、そうそう気安く悪口も言えないですよね。なぜなら、悪口を言葉で言っただけで、もしかしたら相手にとって致命傷となってしまうかもしれないのですから。
そんな風に相手を破滅させると今度はその「恨み」が恐ろしい。それが日本人なのです。
悪人だからと言って墓を暴いたり、銅像にツバを吐きかけたりとかしませんよ。
たしかに言霊思想も影響しているかもしれませんね。