ほんじつ7月6日の記念日には「公認会計士の日」や「零戦の日サラダ記念日」があるけど、ほかにも「サラダ記念日」がある。
1987年に歌人の俵万智さんが出した歌集「サラダ記念日」にこんな一首があった。
「この味がいいねと君が言ったから 七月六日はサラダ記念日」
当時この歌集が話題となって日本に短歌ブームがおき、同時に「記念日」という言葉が社会に定着するようにもなった。
それで7月6日は「記念日の日」という記念日にもなっている。いわゆる便乗ですね。
これが漢字だけの世界
さて今回ここで取りあげたいのは短歌ではなくて、それを詠むために必要な文字である「ひらがな(仮名)」。
日本語を学ぶ人にとって平仮名は初歩の初歩、最初にクリアしないといけないハードルだけど、このあと登場する「漢字」というボスに比べたら、困難さでいえば雑魚キャラと言っていい。
でも日本語学習者がつどうSNSグループを見てみると、こんなふうにひらがな相手に苦戦する外国人は意外と多い。
この人は「泣かないで」とやさしいことを言う。
でもほかの外国人は、「why are u exactly struggling in hiragana?」(なんでひらがなに苦労してんの?)、「Hiragana is too easy」(ひらがなは超簡単)とわりと厳しめだった。
まあ、ひらがなで泣くようなら別の言語を勉強した方がいいかもしれない。
この外国人は「は」と「わ」の違い分からなくて助けを求めている。
多くの外国人にとっては「楽勝」のひらがなは1000年以上前に生まれた、日本人の日本人による日本人のための文字で歴史(高校日本史)ではこう習う。
平がな
平安初期、万葉仮名の草書体である草がな(草体がな)を簡略化した日本文字。特に女性に用いられ、女手(女文字)と呼ばれた。
「日本史用語集 (山川出版)」
50代の部長でも絵文字を使ってメールする現代では考えられないけど(全国の部長がそうかは知らない)、はじめ仮名は「女文字」と女性用の文字と考えられていた。
ではここでクエスチョン。
紀貫之(きのつらゆき)の書いた日本最古の日記文学と言われる『土佐日記』の書き出しは何でしょう?
答えは「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとて、するなり」。
男が書いている日記というものを女性のわたしもしてみよう、と書く紀貫之は正真正銘の日本男児。
女性のフリをして仮名(ひらがな)を使って書いていることからも、女手(女文字)と呼ばれていたころの日本人の価値観が見えてくる。
紀貫之
日本人にとって仮名(ひらがな)とはどんな文字なのか?
この文字が登場する前、日本には文字は漢字しかなかったけれど、仮名ができたあとは何がどう変わったか?
漢字の限界や日本人が仮名(ひらがな)を必要とした理由について、評論家の山本七平氏がこう指摘する。
自分の考えを自分の言葉と自分の文字で、何の束縛もなく自由自在に記しうること、それが広く庶民にまで普及して識字率を高めたこと、また和歌・俳句を生み出して日本的な感性を育んだ
「日本人とは何か (山本 七平)」
外国人が「Hiragana is too easy」と言うほど、ひらがなは簡単な文字。
だから庶民でも習得しやすく、これによって日本人の識字率が上がったことは大事なことだけど、これによって日本文学が生み出されたことも重要だ。
和歌や俳句などで日本人の心情を正確に伝えるには表意文字の漢字では不可能で(漢詩ならOK)、日本人にはやっぱり仮名という表音文字が必要だった。
例えばオール漢字だと、紀貫之の代表的な和歌「人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける」がとんでもないことになってしまう。
*人(あなたは)の心はどうかわからないけど、なじみのあるこの土地では、昔と変わらず梅の花がすばらしい香りをただよわせている。
「人葉胃差心藻知羅図府琉早都~」と書くともうわけわかめ。
でも、ひらがなが生まれる前の万葉仮名の時代には、無理やりこんなふうに書いていた。
ちなみに紀貫之は「やまとうた」(和歌)について古今和歌集仮名序でこんな説明をする。
「力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女のなかをもやはらげ、猛き武士の心をも慰むるは、歌なり」
和歌は日本人にとって絶対に必要なものだった。
日本は政治制度(律令体制)を中国に学んでいて、朝廷からの命令などでは漢字の方が有用だったから、政治文書では漢字を中心に使っていた。
日本人は漢字と仮名のそれぞれ特徴を理解し、場面に応じて使い分けていたところが隣国の韓国と違う。
漢字という「縛り」から解放された平安時代の日本人は、日本的な感性を自由に表現できるようになったことで、竹取物語・源氏物語・枕草子といった現代では世界的にも高く評価される作品をつぎつぎと生み出して日本文学の黄金時代を築いた。
くわしいことはここをどうぞ。
平安時代の貴族で歌人でもあった紀貫之は『古今和歌集』の選者で、三十六歌仙の一人にも挙げられたほどの日本語と日本文学のスペシャリスト。
そんな彼が女文字という「ワンランク下」の文字を使って土佐日記を書い理由も、中国由来の漢字では、日本人の感性や気持ちを十分に伝えられないことを知っていたからだろう。
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>そんな彼が女文字という「ワンランク下」の文字を使って土佐日記を書い理由も、中国由来の漢字では、日本人の感性や気持ちを十分に伝えられないことを知っていたからだろう。
おっしゃる通りだと思います。そのことは、彼の著した「古今和歌集仮名序」と、ほぼ同じ内容を紀淑望が漢文で著した「古今和歌集真名序」とを比べてみれば分かります。まさしく、古代日本の、ロゼッタ・ストーン(ヒエログリフ(エジプト神聖文字)、デモティック(エジプト文字筆記体)、ギリシャ文字の3種類の記法で同じ内容が書かれている石版)に相当する文書であるとも言えるでしょう。
>外国人が「Hiragana is too easy」と言うほど、ひらがなは簡単な文字。だから庶民でも習得しやすく、これによって日本人の識字率が上がった・・・
のですけれども、日本人にとって「ひらがな」がことさら覚えやすかった理由、その一つはおそらく、ひらがなが「漢字の崩し字」を元に作られているからだと思います。だから書きやすく、自然と漢字の教育にも役立っていたのでしょう。