時代とともに価値観が変わると、過去の出来事や人物への見方がガラリと変わることは世界でよくある。
例えばアメリカ。
19世紀後半、奴隷制の維持を主張して、ミシシッピ州やフロリダ州などがアメリカ合衆国を抜け出してアメリカ連合国(南軍)をつくって、合衆国と戦争状態に突入した。
中学校の歴史教科書に出てくる南北戦争だ。
このときの勝敗は、かぐやの負け。じゃなくて南軍の敗北。
いまのアメリカ人の一部では、敗軍の将である南軍のリー将軍や南軍が使っていた旗(南軍旗)が抵抗のシンボルや誇りとなっている。
でもアメリカ連合国は奴隷制を支持していたから、この人物や旗は人種差別や白人至上主義の象徴とみられることもある。
さいきんのアメリカでは人種差別撤廃運動が盛り上がっていて、これを支持する人が増えていることから、リー将軍の像が撤去されたり南軍旗が使用禁止になったりしている。
という記事をきのう書いたワケですよ。
さて、このアメリカの南北戦争を日本の歴史で例えるなら、どの時代の何に相当するか?と考えたらそれはもう、幕末の戊辰戦争しかないっすね。
戊辰戦争は、南北戦争(1861年~1865年)が終わった3年後の1868年に始まっているから、時代的にはほぼ同じ。
それにこれは新明治政府軍と旧幕府軍とのたたかいだから南北戦争と同じく内戦で、しかもこの二つの戦争には共通点があって同じ武器が使われていた。
順序としては南北戦争が先に終結したことで、大量のエンフィールド銃が必要なくなった。
これを捨てるのはもったいないし現実的にもそれは難しいから、再利用と儲けを考える人間がでてくる。
このエンフィールド銃を買って日本に売った「死の商人」があのココ・ヘクマティアル。ではなくてイギリス人のグラバーだ。
彼が住んでいた家は長崎にあって、いまではグラバー邸という有名な観光名所になっている。
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エンフィールド銃
射撃を再現したもの
南北戦争で負けた南軍が使っていたのがこの南軍旗で、さっき書いたように、これには抵抗や誇りと同時に人種差別や白人至上主義の意味がある。
これと似たものを日本で探すなら、それは下の奥羽越列藩同盟(おううえつれっぱんどうめい)の旗だろう。
南北戦争ではミシシッピ州やフロリダ州などがアメリカ連合国(南軍)をつくって、アメリカ合衆国とたたかった。
戊辰戦争でも同じように、仙台藩や米沢藩などが奥羽越列藩同盟を結成して新政府軍とたたかう。
結果は南軍と同じように敗北したでござるの巻。
同盟諸藩は新政府軍との戦闘を行ったが、勝利をおさめることはできずに個々に降伏。9月には中心的存在の仙台藩・会津藩が降伏し、同盟は消滅した。
福島の祭典で披露された奥羽越列藩同盟旗
負けはしたものの、いまでもイベントなどで奥羽越列藩同盟旗が使われているのは、地元の人たちはこれを抵抗のシンボルや誇りと考えているからだろう。
この旗には南軍旗のように、人種差別や白人至上主義といったネガティブな意味はかけらもないから堂々と使うことができる。
南北戦争と戊辰戦争には同時代におこなわれた内戦で、同じ武器が使われたいう共通点があるけど、この時代の日本には南北戦争の原因となった奴隷制がなかった。
そこは決定的な違いだ。
だからこれから時代や価値観が変化しても、奥羽越列藩同盟やその旗の意味や評価が変わって、使用禁止になることはない。
少なくともいまはその可能性は見えない。
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日本語では専ら「南北戦争」と翻訳されているのですが、それゆえ、「南と北」という地理的な関係ばかりに気を取られてしまい、この戦争が米国人自身にとってどういう意味を持っているか理解しづらい(思いつかない)というあまり好ましくない傾向がありますね。
地元米国では Civil War と言います。つまり「市民の戦争」「自国民の戦争」「内戦」という意味です。
人工的な(=特定民族が主体となってない)国家として独立・統一を果たしたばかりの米国にとって、国内で自国民同士が敵味方に分断して血を流した初めての経験でした。米国人にとっては、実際に戦争で被害を受けたり死傷・負傷した国民が多数生じただけでなく、精神的にもすごく大きな負担を強いる戦争だったと思います。
国が分断されること、分離主義、これは現在でも米国人にとって国家の大きな危機の一つとみなされます。その証拠に、トランプ大統領の政策はしばしば「国民の間に分断を招くものだ」と批判され、その手の批判の急先鋒として「弱者を排除せず彼らの権利を認めよ、同じ国家の一員だ」という強い主張(=分離主義への反対)がなされるのです。
あるいはまた、スター・ウォーズの新シリーズ(1・2・3)でも、悪役は「分離主義者」と名付けられていましたね。その単語がなぜ悪役にふさわしいのか、日本人にはおそらくピンとこないかと思います。