2019年の6月に、20代の台湾人女性3人が日本へ旅行にやってきた。
そのうち2人は以前からの知り合いで、今回は伊豆にも足を運んでくれると聞いたから車で会いに行く。
その台湾女子が選んだ宿は、温泉で有名な伊東市にあるケイズハウス伊東温泉。
ドミトリーなら1泊約3000円と格安、の割には温泉旅館の雰囲気を十分に味わえるところで外国人旅行者に人気が高いらしい。
3000円とは思えぬ入口と内部
「事件」はこの共有スペースでおきた。
日本の温泉を満喫したあと3人は、ここでジュースを飲みながら中国語でおしゃべりを楽しんでいた。
すると同年代の中国人男性がやって来て、「中国人ですか?」と声をかけてくる。
「いいえ、私たちは台湾人です。あなたも日本を旅行中ですか?」と彼女たちは応じて、それからお互いに日本で見たこと驚いたことなどを話し合ったという。
台湾人にはそんなオープンでフレンドリーなところがある。
…あるのだけどこのときは違って、「いいえ、私たちは台湾人ですっ!」と中国人男性に向かってピシャリと言いう。そして言葉を中国語から台湾語にスイッチして、中国人には話の内容が分からないようにした。
「ガン無視」された中国人男性は何も言わずにその場を去ったという。
中国人に「ノー」と言った台湾人
次の日、一緒に朝食を食べながら、「きのう、あの共有スペースでそんなことがあったんですよ~」と笑顔で話されたけど、そのとき放置状態にされた中国人の困惑した顔が想像できてリアクションに困った。
でも確信できたことは、この3人は自分を100%台湾人と思っていて、中国人であることを完全否定しているということだ。
だから中国人と思われることは大心外で、そんなことがあったら昨晩のように断固拒否する。
ちなみにこの台湾人の話では、日本人と間違えられることはまったく問題ないし、きのうも日本人から声をかけられたら、一緒に話をしたかもしれないという。ただしイケm…。
台湾にいる漢人(漢民族)は大きく、本省人(ほんしょうじん)と外省人(がいしょうじん)に分けられる。
*「中国人」と聞いてふつうの日本人が頭に思い浮かべるのが漢人。
本省人というのは、1945年に日本統治が終わる前から台湾に住んでいた人とその子孫のこと。
外省人は1945年以降に、中国本土から台湾に移り住んだ人とその子孫。
中国共産党との内戦に敗れた1949年ごろ、国民党といっしょに多くの外省人が台湾へ渡ってきた。
その後台湾は、自分のアイデンティティーを「中国人」と考える国民党が支配するところとなり、学校でもそう教えられていた。
そんな国民党による統治を終わらせて、台湾初の総統(1988年~2000年)となって、いまに続く民主化の土台を築いたのが李登輝氏。
李登輝氏は中国と台湾との違いを明確にし、「台湾人」という意識を人びとに根付かせた。
きのう97歳で亡くなった李登輝氏について、読売新聞は社説(2020/08/01)でその点を特筆している。
台湾の歴史と文化を重視する教育を導入し、自らを「中国人」ではなく、「台湾人」と位置づける意識の高まりをもたらした。
台湾の人々の一体性を強めた政治指導力は高く評価されよう。李登輝氏死去 台湾に民主主義を根付かせた
両岸関係を「特殊な国と国の関係」と表現、二国論を展開した。同年12月にも、アメリカの外交専門雑誌『フォーリン・アフェアーズ』の論文で「台湾は主権国家だ」と記述し、台湾独立を強く意識する主張を行った。
こういう考え方をしていたから、中国での評価は台湾の真逆。
中国人からアイデンティティーを問われて、「いいえ、私たちは台湾人です」と3人が即答したのは李登輝氏が台湾に残したものだ。
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第二次大戦後の国連常任理事国を始め、世界の主要国からボイコットされて国連から追われて、孤立の道を歩まざるを得なかった台湾。大国である共産中国の意向を無視できなかったとは言え、ひどい話です。そのような自国の立場を冷静に踏まえ、西側諸国の一つとして確固たる地位を台湾が確保することができたのは、ほとんど全て、李登輝前総統の業績であると言えます。
台湾の立場を守りつつ、(非公式とならざるを得ない)日本との友好関係の維持にも心血を注いだ方です。
ご冥福をお祈りします。