「もし75年前にSNSがあったら?」
そんな設定でいまNHK広島放送局がツイッターで、実在した被爆者の日記や手記に基づいた「1945ひろしまタイムライン」を行なっている。
この「ひろしまタイムライン」で1945年当時、中学1年生だった「シュン」がしたこのツイートに対し、一部で批判が上がって炎上騒ぎになった。
*日本がアメリカに降伏した5日後、シュンが列車に乗っていたときの場面。
このツイートに対して、「在日韓国人・朝鮮人への差別を扇動しているのでは?」との声が上がり、そのあとNHK側が十分な説明がなく配慮が足りなかったとお詫びをして、今後は必要に応じて注釈をつけるといった対応をすると約束してこの件は終了。
くわしいことはこの記事を。
NHKの「朝鮮人」ツイートに批判噴出。むずかしい歴史の伝え方
シュンと同じような話は個人的にウチの祖父からも聞いたし、戦後の日本でこうしたことがあったのは間違いない。
戦前・戦中は日本人が朝鮮人を差別していたことがあったし、戦後は立場が逆転して、日本人がそれを受ける側に回ったこともあった。
古代ギリシアの哲学者が「万物は流転する」と言ったように、人がいつまでも現在と同じ立場にいるわけではない。
時代が変われば、状況も一変するのは世の必然。
浜松の警察・暴力団・在日朝鮮人が争って、多くの死傷者を出した1948年の「浜松事件」を知ったのは、じいちゃんから話を聞いたから。
浜松市警も抗争を鎮圧するために出動したが、朝鮮人は伝馬町交差点でこれを迎えうち、警察との間で銃撃戦となった。5日以降の数日間の戦闘で死者数人・負傷者約300人を出した。
小松氏が描いたイラスト
「支配」していた側とされていた側がひっくり返る逆転現象は、戦後直後にはよくあったらしい。
戦争中はフィリピンにいてアメリカ軍に降伏し、米軍の捕虜収容所(上の絵)に入れられた日本軍兵士の小松真一氏がそのときの様子を「虜人日記」(ちくま学芸文庫)に書いている。
当時の日本兵の中には朝鮮人や台湾人もいたから、その収容所では日本人・朝鮮人・台湾人が別々の区画に収容されていた。
こうした朝鮮人や台湾人が、「彼等特有の団結力を利用してこれ等悪日本人のリストを作り、片端から暴力による復讐が行われだした」と虜人日記に書いてある。
リストアップされた日本人が殴る蹴るの暴行を受けたことで、日本人の側でもしだいに怒りが高まっていき、朝鮮人や台湾人に逆襲しようという雰囲気になる。
でもこんな考え方が日本人のあいだで支配的になって、そんな空気は消えたという。
日本人は今猛省する時だ。暴力は悪いが暴力を受ける者にはそれ相応の理由もある事だから、彼等の満足の行く様甘受すべきだ。
でも襲撃されたのは「悪日本人」だけで、朝鮮人や台湾人の世話をよくした日本人には「缶詰、タバコ、その他沢山の贈物が来た」という。
すべてが悪人や善人で構成されている国なんてあるわけない。
列車の中で「俺たちは戦勝国民だ。敗戦国は出て行け!」と言われた日本人も、これに似た思いを持っていたかもしれない。
暴力をする側にもされる側にも「それ相応の理由」があるということで、収容所の日本人はこの仕打ちを受け入れていた。
そのうちリンチもなくなって、朝鮮人が母国に戻るときには今後の良い関係を願って「お別れ会」が開かれたという。
今までの交友が無駄になるというので、細野中佐の肝入りで朝鮮人代表を招い て、日本人のおかした罪を謝り彼等と気分よく別れようという事になった。
おまけに書くと、日本人に対する当時の朝鮮人や台湾人の見方を小松氏はこう指摘する。
朝鮮人、台湾人の共通の不平は彼等に対する差別待遇であり、共通に感謝された事は日本の教育者達だった。彼等は国なき民から救われた喜びだけは持っていた。
小松真一氏がフィリピンのジャングルで記したメモ
どんなに強くて勢いのある人でも必ず衰える。
天下を取ったかのように得意絶頂にいる人間でも、その栄光は春の夜の夢のようなはかないものだし、結局は滅亡するさまは風の前の塵(チリ)と同じ。
平家物語に出てくる「勝者必衰の理」のように、勝者と敗者はいつまでも同じではなくて、時代が変われば上と下が入れ替われることも珍しくない。
いま日本・朝鮮半島・台湾にいるほとんどの人にとって、列車や収容所での出来事は生まれる前の話だから、それについて罪や責任を感じる必要は当然ない。
もう加害者も被害者もいなくて、いまはすべてが対等の立場にいる。
でも過去の延長に現在があるから、無関係というワケでもない。
だから、戦後に日本人が「しっぺ返し」をくらったことぐらいは知っておいてもいいはずだ。
憲政史上、最長を誇った安倍政権もなくなるときは一瞬だった。
それでこれまで安倍政権の「被害者」だったメディアが、いまは「戦勝国民」になってぶった叩いている。これも必然、勝者必衰の理。
いまの自分の状況や立場がいつどう変わるかなんて、本当に誰にも分からない。
でもそれを念頭に置いて、いま行動することはできる。
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