「日本では、仏教僧が肉食するってマジかよ!」と驚いて、世界遺産にもなっている京都の仁和寺では、最近まですき焼きを食べることができたと聞き、あきれ返ったというタイ人の話を前回に書いた。
今回はそのつづきで、彼が日本の仏教で驚がくしたもうひとつのことを書いていこうと思う。
でもその前に、まずは仏教とは何かを確認しておこう。
仏教とは2500年ほど前に、インドで生まれたブッダ(悟った者・真理に目覚めた人)を開祖とする宗教で、その目的を全日本仏教会はこう説明する。
仏教では仏陀の説いた教えに従い、僧侶や在家信者それぞれの立場で修行・実践して悟りや解脱(涅槃)を成道することを目標としています。
悟りや解脱を目標としているのは、日本ので仏教もタイので仏教も同じこと。
目指すゴールは同じでも、そこに到達する方法は日タイで大きく違っていて、社会にあらわれるはその部分だから両国の仏教は別ものに見える。
例えばタイの仏教なら僧侶の肉食はダメだし、由緒と格式のある大寺院がこんな美少女キャラクターを使うことも許されないはず。
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真言宗御室派の総本山・仁和寺がかなり攻めている。
仁和寺の裏(北)には四国の八十八箇所霊場(お遍路)をイメージして、約3キロの山道に沿って八十八箇所の小さなお堂がつくられた「御室八十八ヶ所霊場」がある。
真言宗の信者にとって四国八十八箇所霊場は聖地だったけど、江戸時代にそこへ行くのはあまりに大変だったため、京都の仁和寺にそれを再現した。
ここをめぐれば四国八十八箇所霊場と同じ功徳を得られるというから、こっちのほうがかなりお手軽。
御室八十八ヶ所霊場にあるお堂
この御室八十八ヶ所霊場の劣化が激しくなって整備する必要がでてきたため、88のお堂すべてを美少女に擬人化したキャラクター「御室ムスメ」が作られた。
このグッズの売り上げの一部を整備費用にあてるらしい。
画像は御室ムスメ公式ホームページのキャプチャー
さすがにマニア向けの「ロリ巨乳少女」はいないけど、肌をどこまで見せていいか悩んだと思われ。
「お坊さんが肉を買って食べるなんてあり得ないですよー」と言っていたタイ人にはもっと衝撃的だったことがあって、それは日本の仏教僧が結婚できること。
「タイのお坊さんは女性に触ってもいけないのに、結婚なんて考えられません。それはもうお坊さんではないです」とあきれる。
タイの仏教では僧と女性には常に真空地帯があって、女性がお坊さんに触れてはいけないことになっている。
お坊さんが電車に乗ったり市場で買い物をすることはあるけど、タイの女性は坊さんの近くには行かないし、前から歩いて来たら服(袈裟)に触れないよう大きく道をあける人もいるという。
それが常識となっている彼から見ると、合コンで知り合ってデートを重ねて結婚するという日本のお坊さんはもはや外道。
そのタイ人の感覚だと、日本の仏教は女性との距離が近すぎる。
彼が新幹線の待合室で待っていたとき、女性が平気でお坊さん(服と頭でわかった)の近くに座っていたし、その坊主が読んでいる週刊誌の表紙では水着姿の美少女が微笑んでいた。
彼にとっては信じられない光景だったけど、その場にいた日本人は誰も気にしていない。
タイの坊さんが公共の場でそんな雑誌を見ていたら、怒った乗客に取り囲まれて、そのあと僧侶の資格をはく奪されるかもしれないとか。
そんな重罪が日本では無罪。
古代インド社会にあった女性差別の見方が仏教の経典に影響をあたえているから、経典には、女性は修行しても仏になれないといった女性蔑視の記述がある。
これが現代のジェンダー(生物としてではなく、社会的・文化的につくられた男女の違い)の考え方とぶつかるのは必然。
朝日新聞の記事(2019年6月18日)
受け継がれてきた経典には、現代の目で見ると差別的な記述がある。教えをどう捉え、現代社会とどう折り合いをつけていくのか。
女性は仏になれない…仏典に残る性差別 どうすれば
タイで女性の僧侶は認められていないけど、メーチーと呼ばれる女性の仏教修行者はいる。
そんなタイ人の常識と感覚からすると、お堂の整備のためとはいえ、88人の「美少女キャラクター」を作ってグッズ販売をはじめるというのは許されないだろう。
「質問に答えて88名の御室ムスメからあなたにご縁のある子を探せます」という寺のキャッチコピーも、国民の90%以上を占める仏教徒への挑発としか見えない。
タイ人に「御室ムスメ」の感想は聞いていないけど、驚くかあきれるのは目に見えている。
その帽子は斬新だけど神社っぽい。
タイのメーチーは黄色い袈裟を見るのは認められていないけど、日本の美少女キャラなら問題ない。
仏教の目標は解脱する(涅槃に行く)ことだから、それができるなら、こまけーことはいいんですよ。
女性との距離についてキリスト教で例えるなら、結婚禁止のタイ仏教はカトリックで、それがOKの日本仏教はプロテスタントのようなものだから、どちらも正しくて優劣はない。
こちらもどうぞ。
日本とタイ(東南アジア)の仏教の違い① 飲酒・肉食・喜捨(タンブン)
>女性との距離についてキリスト教で例えるなら、結婚禁止のタイ仏教はカトリックで、それがOKの日本仏教はプロテスタントのようなものだから、どちらも正しくて優劣はない。
それは話が全然違いますよ。いい加減な知識で宗教について語ることは、その宗教と信者を侮辱する行為ともみなされるので要注意です。
カソリックの聖職者は、「神父」であり、立場的には神の僕として人間である信者を導く者であるから、人間がする「結婚」という行為を彼らはしません。厳密には「普通の人間以上の存在」だからです。
これに対し、プロテスタントの「牧師」は、多くの宗派において、「信者たちの代表であり、あくまで信者の立場に立つ者」なのです。つまり人間ですから「結婚」するのも普通のことです。(それをしないプロテスタント系の宗派もありますが、一般論として。)
仏教で、僧が「肉食妻帯」するのは日本の仏教だけです。どちらが優れいているとかいないとかの優劣はないけれども、考え方としては、世界では日本仏教が圧倒的に少数派であり、時に他国の仏教からは「仏教ではない」とみなされることもあるくらい劣勢です。その意味では、圧倒的に少数派であるという「優劣」はあります。
そもそも、宗教上の慣習は「優劣」で評価するような問題じゃないと思うし。ただ考え方が違う、それだけです。
この話をしたのは、日本に住んでいたカトリックのフィリピン人です。
日本のお坊さんは結婚できることに疑問を持って調べたら、こういう結論にいたりました。
リトアニア人やポーランド人のカトリック圏の外国人に聞いても、この話がおかしいとは言いません。
どの立場の人がこれを「侮辱」と考えるのですか?
>厳密には「普通の人間以上の存在」だからです。
この根拠は何でしょうか?
キリスト教の禁止事項なら聖書に根拠があるはずです。神父の結婚のばあいは「マタイ19:10-12」にあります。
またカトリックの上智大学の見解はこうです。
「司祭が自分の利益のためではなく、純粋にキリストと教会に身を捧げていることを示すために、独身制は目に見える証ではないでしょうか。」
神父が「普通の人間以上の存在」だから結婚できないというのはどこで確認できるでしょうか?
・少数派であるという「優劣」はあります。
・宗教上の慣習は「優劣」で評価するような問題じゃない
この文はどちらが正しいのですか?
根拠のないコメントはそのまま載せることができない場合もありますので、ご承知おきください。
仏教に詳しくさらに軽く調べただけですが、平成30年時点での日本の仏教徒は約8000万人、世界の仏教徒は5億人だそうです。
世界の仏教徒の約2割もいる日本の仏教がそもそも「圧倒的」少数なのでしょうか。
もちろん日本の仏教徒の中でも結婚しないとしている宗派もあるとは思いますが、それでも「圧倒的」とまでは言えないと思います。