日本・朝鮮半島・ベトナムの東アジアにおいて、かつて「ボス」として君臨していたのが中国。
特に世界的な超大国だった唐の影響力は絶大で、日本では遣唐使の空海や最長らが都・長安まで行って学びまくっていた。
「中国へ学びに行っチャイナ」というのは当時の新羅(朝鮮半島の国)も同じで、留学生を長安に派遣して、政治制度や宗教などを学んで本国へ持ち帰った。
ベトナムはこのときまだ中国の支配下にあったから、日本や新羅とは事情がちがう。
でも中国の一部だったということは、東アジアの中で中国文化の影響を最も強く受けたのはベトナムだったとも言える。
古代東アジアの共通語(文字)は漢字で、それをつくった中国人としては、日本・韓国・ベトナムの三か国で漢字がいまどれほど残っているか気になるらしく、さいきん中国メディアの「騰訊」がそんな記事を掲載したという。
サーチナの記事(2020-09-17)
「漢字から離れなかった日本」と「漢字を捨てて、また拾った韓国」=中国報道
記事では3カ国の漢字の扱いについて書いているから、以下、要約して紹介しよう。
日本:一時は漢字廃止論が提唱され、漢字がなくなる危機もあったけど、「漢字から離れることはできなかった」という。
「漢字ってむずかしいし、なくしたほうがよくね?」という漢字廃止論は、日本では江戸時代からちょくちょく出ていた。
でもメリット・デメリットを考えると、漢字を使いつづけるほうが良いという結論にいつも達して、漢字と仮名を両立させていまにいたっている。
くわしいことはここを。
福澤諭吉は「文字之教」のなかで、徐々に漢字を廃止して仮名を用いるべきであると主張し、清水卯三郎は平仮名専用説を唱えた。
韓国:漢字が使われていた時期があったものの、1948年に独立すると同時にハングル専用法が制定されて、漢字は社会から姿を消した。現在では戸籍で使われるていど。
でも最近では、漢字復活論争も起きていることを受けて、騰訊は「韓国は漢字の習慣を捨てて、また拾った」と表現する。
*この中国メディアの説明はちょっと正確ではない。
韓国(朝鮮)ではずっと漢字が使われつづけていて、1970年に政府が漢字廃止政策をはじめたときから、急激に漢字が使用されなくなっていった。
くわしいことはここをクリック。
1980年代半ばから、韓国の新聞・雑誌も、次第に漢字の使用頻度を落とし始めた。漢字教育をほとんど受けていないハングル世代が多数を占め、
ベトナム:ベトナムが19世紀にフランスの植民地になると、それまで漢字で表していたベトナム語をローマ字で表記するようになり、「ベトナムでは漢字が完全に排除された」と騰訊はいう。
ベトナムの漢字事情についてもう少しくわしく書くと、フランスが植民地時代にベトナム語のローマ字表記「チュ・クオック・グー」を導入し、これが公文書で使われるようになりベトナム社会に浸透していった(=漢字やチュノムの使用頻度は減っていく)。
そして1945年に独立したとき、ベトナム政府は漢字表記に代わって、クオック・グーを正式な文字として採用して現在にいたる。
*ベトナム人が漢字からつくった民族文字「チュノム」については、ここをクリックされたし。
フンラス時代の前までは、このベトナム語は「注意」と漢字表記されていた。
中国メディアは東アジアの漢字の扱いについて、韓国とベトナムは漢字を廃止したものの、両国の言葉には漢字由来の単語は多いことを指摘し、「漢字の影響力のほどを知ることができる」と強調している。
こうやって中国人の読者に、誇りや優越感をあたえるのが大事。
さてこの記事に日本のネットの反応は?
・今の若い韓国人が漢字読めなくてビックリした
・中国の文字や言葉にかぶれている時点で日本の民族主義なんて知れている
・そもそも中国が漢字捨ててんじゃん
なんだよ簡体字って
・なんで外国人って漢字のタトゥー好きなん?
・日本が漢字化した多くの和製漢字が無いと中国も生活できんよ?
・初めて中国に行った時はいつでもトイレの場所を訊けるように
マッチ箱の裏に「厠」って書いて持ち歩いてたわ
ではここで日本史クイズ。
この写真の中央の人物はだれでしょう。
答えは幕末の長州藩士・高杉晋作
*右にいるのは伊藤博文
高杉晋作は1862年に上海へ行って、2カ月ほど滞在していた。
そこで陳汝欽(ちん じょきん)という中国人と知り合い、筆談や手紙のやり取りを通してマブダチになる。
高杉は日本へ戻る前、陳と最後に会ったときに「患難(かんなん)に遇(あ)う毎(ごと)に又(また)君を思わん」という漢詩を贈った。
「これから苦しいことがあったら、君のことを思ってがんばる」といった意味だろう。
中国人・日本人・朝鮮人(きっとベトナム人も)が出会うと、共通文字である漢字を使って筆談をして交友を深めて、別れるときには漢詩をつくってプレゼントすることは1000年以上前の唐の時代にもあった。
遣唐使の阿倍仲麻呂が日本へ戻るとき、別れを惜しんだ中国の詩人・王維はこんな漢詩を詠んだ。
「主人(しゅじん)孤島の中(うち)
別離(べつり)方(まさに)異域なりて
音信(おんしん)若為(いかん)か通ぜん」
(あなたは絶海の孤島にいる
別れては、まさに異郷となってしまうが
便りをどのようにして通じることができるだろうか)
あるていどの教育を受けた東アジアの人間なら、20世紀前半まではこういうことができていたと思う。
でも、韓国とベトナムが漢字を”廃止”したいま、中国人と筆談ができるのは日本人だけ。
中国人に日本の印象を聞くと、街で漢字の看板を見るとうれしいし親しみを感じると話す人がよくいる。
カタカナのない中国では基本的に、すべて漢字で表記しないといけない。
ストローを漢字で書くとこうなる。
こちらもどうぞ。
韓国のソウルを漢字で書けない理由:漢城?京都?首爾(首尔)?
韓国とベトナム、どちらも漢字(表意文字)を捨てて表音文字(ハングル、及び仏語型アルファベット)に変更した訳ですけれども。将来的な可能性という点では、ベトナムアルファベットの方が、断然優れていると思います。
というのも、アルファベットなので英単語をそのまま記述できるからです。これは大きい。
日本語でも、最近、世の中に登場してくる新しい単語はほとんど欧米由来のカタカナ語です。新しい漢字語が登場することは、めったに無い。(たとえば「電脳」なんて、その僅かな例外の一つです。)
ベトナムでは、欧米からの新しい単語を、カタカナやハングルに写す必要はなくて、そのままアルファベットで表記できるということです。先進国からの技術・文化の導入という点で、ベトナムは、自国語文字に関して非常に優れた選択をしたものだと思いますね。