以前、アメリカ人を助手席に乗せて静岡の街を走っていたとき、「あれは何?すごく変な感じがする」と彼が言って前を指さす。
その先にあったのが前を走る車に貼ってあった「Be a driver.」のステッカー。
これはマツダのキャッチコピーで前々から知っていたけど、「運転手になれ(なろう)」というのはどんな意味かよく分からない。
公式ホームページを見るとこんな説明があった。
「自分の人生の、主人公になろう。
自分の行く道を、自分の意志で選ぶ人になろう。
自由に、積極的に、人生を美しいものにしよう。
既存のルールや常識に縛られない人になろう。
自分の行く道は、自分で決めたほうが、楽しいに決まっている。
人生の、ドライバーになろう。
Be a driver.」
マツダが「Be a driver.」の「driver」に込めた2つの想い
つまり、「この道を行けばどうなるものか、危ぶむなかれ。危ぶめば道はなし。踏み出せばその一足が道となる。迷わず行けよ。行けばわかるさ」というアントニオ猪木の座右の銘と同じ意味だ。(たぶんちょっと違う)
マツダとしては自分が人生の主人公になるというメッセージなのだけど、知人のアメリカ人が「Be a driver」を見ると、「バスやタクシーの運転手を募集しているみたい。意味が分からない」となる。
「運転手になる」ということでいえば、2年前にサウジアラビアで女性ドライバーが誕生して世界的な話題となった。
イスラーム教の影響がとても強いサウジアラビアは、それまで女性による自動車運転が禁止されていた唯一の国だった。
でも、それが女性への蔑視や差別の象徴として他国から批判されていたこともあり、政府が認めたことでついに女性も「Be a driver」となったけど、そうではなかった期間が長かったから「女がハンドルを握るなんてケシカラン!」という人もいて、中には一線を越えるバカが登場。
NHK NEWS WEBの記事(2018年7月6日)
「運転解禁のサウジアラビアで女性の車に放火 男2人逮捕」
くわしいことはこの記事をどうぞ。
ということでサウジアラビアで女性が「Be a driver」になったのは2018年だったけど、日本では一体いつの時代なのか?
答えは、ほぼ100年前の1917(大正6)年。
この年の9月27日、栃木県の渡辺はまさん(23歳)が日本人女性として初めて自動車の運転免許を取得して(外国人女性なら前例はある)、当時の新聞に「我国で免許を受けた女の運轉手はこれが嚆矢である」と紹介された。
*嚆矢(こうし)は「初めて」という意味。
このとき世界は第一次世界大戦(1914年~1918年)の真っ最中だったのに、なんつー平和。
ということできのう9月27日は「女性ドライバーの日」という記念日になっているのだ。
サウジアラビアでは過激な反対派が女性の車に火をつけたけど、もし日本にそんな人間がいたら、「女は車に乗るな」というビラを貼るだけような気がする。
おまけ
サウジアラビアの下にある国・イエメンのようす
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イケメンすぎて国外退去のアラブ人とTGC。サウジアラビアという国。
東京駅にイスラム教徒の祈祷室(祈りの部屋)が。注目点はここ。
宗教と女性差別③キリスト教(アクィナス)の女性観「女は失敗作」
>知人のアメリカ人が「Be a driver」を見ると、「バスやタクシーの運転手を募集しているみたい。意味が分からない」となる。
おそらくですが、マツダであれば、英語表現としてまずいかどうかはネイティブによる検討を含めて十分にチェック済みのはずです。何しろ、既に米国社会へ浸透してそれなりのポジションを築いている自動車メーカーですから。その辺の英語オンチ自治体による案内看板なんかとは訳が違うと思う。
そのアメリカ人に「何だあれ?変な広告だな?」と疑問・関心を持たせることができたのであれば、それはむしろ、その広告が成功したということではないでしょうか。英語ネイティブの外国人にそのような感覚を抱かせることを、最初から狙った広告なのでしょう。
「Be a driver」は国内の日本人に向けたコピーだと思いますよ。
日本人が相手ならネイティブが違和感をもっても関係ありません。
言葉の正確性よりアピール性をねらったのでしょう。