伊勢神宮の「神嘗祭」が日本で最も大事な祭りである理由

 

まったく知らなかったけど、神社新報社という神社業界に関する専門紙があるらしい。
「業界」という人間界の用語と神々の世界がセットになっているのは何か新鮮。

「神社界唯一の新聞」という神社新報にきのうこんな記事がありやした。(令和2年10月26日)
*西暦を使わない新聞を見たのもはじめてかも。

伊勢の神宮で神嘗祭 皇居でお育ての稲が

 

神嘗祭(かんなめさい)の「嘗」とは食べ物でもてなすという意味だから、この祭りは、食べ物をお供えして神さまをもてなすという意味だろう。
伊勢神宮で毎年10月に行われる神嘗祭は、その年にはじめて収穫された稲穂(新穀)を天皇の先祖神・天照大神(あまてらすおおみかみ)にささげて神の恵みに感謝する超重要なお祭りで、伊勢神宮のホームページにはこう書いてある。

「年間1500回に及ぶ神宮の恒例のお祭りの中でも、最も重要なお祭りが神嘗祭です。」

この神嘗祭の附属の祭りとして、春に御園祭(みそのさい)や神田下種祭(しんでんげしゅさい)、秋には抜穂祭(ぬいぼさい)、御酒殿祭(みさかどのさい)、御塩殿祭(みしおどのさい)、大祓(おおはらい)が行われる。
これらの小さな祭りはすべて神嘗祭という大祭のためのもので、「神宮の年間の祭典は神嘗祭を中心に行われているといっても過言ではありません」だそうだ。

「日本はお祭りがたくさんあって楽しい!」と言う外国人はよくいるけど、そんなお祭り大国の日本で最も重要な祭りが神嘗祭で、日本最高の格式を誇る伊勢神宮は神に収穫を感謝するための神社といって間違いない。
と思うのですよ。
日本の祭りはほとんどが地方や宗派に限定されるけど、神嘗祭は全国の農家から届けられた稲穂(新穀)を使うから日本最大(規模)の祭りといえる。

 

さらにくわしい情報はここをどうぞ。

収穫は自分(天皇)のものではなく神のものであるということから、まず新穀を神々に献じ、「残をば」いただく、という神勅の精神にのっとった祭祀であるといえる。

神嘗祭

 

話を冒頭の記事に戻すと、「伊勢の神宮で神嘗祭 皇居でお育ての稲が」とあるだけど、肝心の「だからどうした」がなくてビックリ。
「皇居でお育ての稲が」神宮に運ばれたのか、天照大神にお供えされた(食べていただいた)のか、稲が結局どうなったかという重要なところがまるで書いてない。
「神社界唯一の新聞」には競争相手がいないのか。

 

 

秋という漢字は「禾編(のぎへん) + 火」でできている。
「禾」は稲穂や穀物のことで、「火」の解釈はいくつかあるのだけど、収穫前の稲を食べる害虫を焼き殺す儀式を行ったとか、太陽の熱で収穫したものを乾かすことを示すといった説がある。
とにかく「秋」の字は作物の収穫を表すことは確かだ。

10月にはアメリカで、キリスト教のゴッドにその年の収穫を感謝するサンクスギビングが行われる。
「感謝祭」という意味では神嘗祭と本質的には同じだけど、いまのアメリカでサンクスギビングの宗教性はなくなって、お楽しみの日や文化として行われている。

 

人間はつまるところ生き物だから、食べ物がなくなったら、生存をあきらめないといけないのは人類共通の宿命。
だから豊作(五穀豊穣)を神に祈願したり、収穫の時期には神に感謝をささげる祭りは世界中であった。
日本人にとっての神嘗祭の重要性は豊作と逆の状態、つまり食べ物がなくなって、飢餓状態になると人間がどうなるか知るとよく分かる。

 

 

中国皇帝が収穫を祈願した天壇

皇帝が天を祭るための儀式を執り行う場所である。毎年冬至に豊作を祈る儀式を行い、雨が少ない年は雨乞いを行った。

天壇

 

大規模な飢饉が起きると人々のハングリーはアングリーに変わって、各地で反乱が発生し、皇帝が倒されて新王朝がはじまる「易姓革命」は中国の歴史あるあるのひとつ。
こうならないよう天帝に豊作を祈る祭りは、中国皇帝がおこなう最も重要な仕事だった。

 

いまでは考えられないが、雨が降らなかったり逆に降り過ぎるといった天候しだいで、この世が地獄のようになることは、日本の歴史を見るとたびたびある。

例えば平家滅亡の原因には源氏に攻められたという「人災」と、平安時代末期に何度かあった飢饉という「天災」の面があった。
これは平清盛が亡くなったころの京都のようす。

飢饉は疫病の大流行となり、次々に出る死者は放置しておく以外に方法がない。その余りのひどさに仁和寺の慈尊院の僧隆暁が死人の額に梵字で「阿」の字を書いて供養してまわったが、京都の市中だけで四万三千三百余人に達したという。

「日本人を動かす原理 日本的革命の哲学  (PHP文庫)  山本 七平」

これは武士の武力ではどうしようもなく、身分にかかわらず多くの人が神仏にすがった。
日本の都でさえこんな状態だったのだから、地方はもう目も当てられない惨状だったはず。

 

鎌倉時代の1230年に起きた寛喜の飢饉(かんきのききん)ときも、京都や鎌倉に流入してきた人々がそのまま大量の餓死者と化し、死臭が家の中にまで入ってきたと藤原定家の日記『明月記』にある。
この飢饉では餓死寸前の人が妻や子ども、さらには自分自身を売って奴隷状態になる人も多くいた。

こうなる前に食べ物のある人から奪う農民が出てくるし、それが集団化して盗賊となり、道行く人を襲って持ち物を略奪する。
身ぐるみを全てはがされた大臣もいた。
こんな盗賊が全国各地に現れたら(しかもこれを取り締まる警察組織はない)、一切の秩序はなくなり統治もほぼ不可能になる。

 

江戸時代の三大飢饉のひとつ「天明の飢饉」では、長雨や浅間山大噴火などの影響で全国的な大飢饉が発生し、杉田玄白の記録には死んだ人間の肉を食べたり、草木の葉を人肉に混ぜたものを「犬肉」と売る者もいたとある。
*三大飢饉のあつ2つは享保の飢饉と天保の飢饉ですよ。

くわしいことはこの記事をどうぞ。

ソ連・日本・中国の人肉食。ホロドモール、天明の飢饉、文化大革命。

 

食べ物がすべてなくなってしまい、家族を売ったり人肉を食べるという生き地獄から日本人が完全に解放されたのは、歴史全体をみれば「最近」のことで20世紀になってからだ。
昭和のはじめごろまでは、飢餓を原因とした日本人同士の人身売買や人肉食の記録がある。

 

昭和恐慌(農業恐慌)のときには、凶作から昭和8~9年で秋田県だけで約1万5千人の娘が売られたという。

 

「娘を売るときは相談を」と役場が村民に呼びかけている。(昭和恐慌)
くわしいことはこの記事を。

【おにぎりの日】日本米の“父”・並河成資と昭和の飢餓地獄

 

カリバリズム(人が人肉を食べる行為や習慣)については、戦時中のフィリピンで食べ物がなくなったときに行われていた。
フィリピンで日本軍と行動していた軍属の小松真一氏が、その様子を虜人日記(りょじんにっき)にくわしく書いている。

他人は餓死しても自分だけは生き延びようとし、人を殺してまでも、そして終いには死人の肉を、敵の肉、友軍の肉、次いで戦友を殺してまで食うようになる。

山では食糧がないので友軍同志が殺し合い、敵より味方の方が危い位で部下に殺された連隊長、隊長などざらにあり、友軍の肉が盛んに食われたという。

「日本はなぜ敗れるのか 敗因21ヵ条  (角川oneテーマ21) 山本 七平」

 

これが20世紀前半の話とは信じられないけれど、いまの日本人だって食べ物がなくなって飢餓地獄になったら、子どもを売ったり獣のように“共食い”をはじめるかもしれない。
彼らと我々の違いは生まれた時代だけなのだから。

そうならないように日本人は感謝と敬意の気持ちを込めて、その年のはじめての収穫物を天照大神にささげてもてなす神嘗祭を古代からおこなってきたのだ。
ということでこれは日本で最も大事な祭りと断言していい。
と思うのですよ。

 

 

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2 件のコメント

  • > 10月にはアメリカで、キリスト教のゴッドにその年の収穫を感謝するサンクスギビングが行われる。

    サンクスギビングディの発祥が「その年の収穫を唯一神に感謝する祭から」という説があるのは知っています。ですが、もっと有力な説として、「北米大陸への初期の移民が不作で苦しんだ時、米国先住民インディアンの食料援助や農耕指導(土地に合った作物選定など)のおかげで生き延びたことを、翌年の収穫祭でインディアンを招いて感謝の意を表した行事が始まり」という説があります。ただし、その後の先住民に対する迫害の歴史が絡むためなのか、現在の米国人はあまり表立ってこの説を口にしないのですが。
    でも、多くの米国人も本心では「そちらが本当の歴史なのだろうな」と、そう考えていますよ。外国人に向かって言わないだけです。おそらく良心が傷むからでしょう。

  • 先住民が食べ物をくれたおかげで生き延びることできた、という話はアメリカの小学校の歴史教科書に書いてありました。
    ただキリスト教の考え方だと、先住民にそうさせたのも神の意思でしょうね。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。