【一神教 vs 神仏習合】モロッコ人には“謎”の日本人の宗教心

 

まったく知らなかったけど、「神社がいいね・お寺がいいね」という神社・お寺の検索サイトがあるらしい。
そのサイトが東日本と西日本の「2020年お寺総合人気ランキング」を発表したから、さっそくその結果を見てみよう。

東日本

1位:寛永寺 (東京)
2位:浅草寺 (東京)
3位:龍岳院 (愛知)

西日本

1位:清水寺 (京都)
2位:金閣寺 (京都)
3位:東大寺 (奈良)

このランキングはご利益の強さではなくて、2019年12月~2020年11月までのアクセス数をもとに、サイトを運営する会社が独自の審査をおこなったもの。
きょねんに比べるとお寺の総検索数が1.8倍以上も増えているというから、最近はお寺への関心が高まっているのだろう。
そういうことならここらで一度、日本人の信仰スタイルや宗教に対する考え方を確認しておこうか。

 

 

このまえ、ことし10月に日本の大学を卒業したモロッコ人(20代女性)と会う機会があって、しばし歓談をした。

日本で生活していて不思議に思ったことやビックリしたことをたずねると、彼女は日本人の信仰や宗教の感覚をあげる。
あるとき日本人の友人と宗教施設に行ったとき、前々からお寺と神社、仏教と神道の区別があいまいだったから友人にきいてみたら、「お寺には仏さまがいて、神社には神さまがいる。鳥居のあるところが神社」という説明を受ける。

「なるほど」と思ったととたん、矛盾とぶつかった。
いま自分たちがいるところはお寺だと友人は言ったのに、その境内には鳥居があったのだ。
その点をツッコんだところ、「あれ?お寺だと思ったけど鳥居があるね。ここは神社だったかな?」と混乱するジャパニーズがそこにはいた。
だからこのとき行った宗教施設が、お寺なのか神社なのかいまでも謎のまま。

 

こんな日本人はこの友人だけじゃない。
ほかの日本人に聞いてもお寺と神社、仏教と神道の違いはあいまいで、「お寺では手を合わせて神社では手をたたくから、別々の神様なんだろうけどよく分からん。まぁ気にすんな」とはぐらかされる。

いままで無宗教や無神論の人には会ったことがあるけど、神さまがよく分からない、その建物はどの宗教のものか知らない、というケースは初めてビックリ。
そのモロッコ人はアッラーだけを信じるイスラーム教徒だから、日本人のこういうファジーな宗教観やがすごく印象的だったという。

 

歴史の中で神道と仏教がミックスされて一緒に信仰されてきた結果、日本人には「神仏習合」という独特の宗教感覚がある。
それを理論的に説明したが「本地垂迹」(ほんじすいじゃく)という考え方だ。
これによると日本では仏や菩薩が神の姿となって現れ、たとえば阿弥陀如来は八幡神、大日如来は伊勢大神となった。

「仏教の仏や菩薩=神道の神々」という発想は日本人にとっては伝統的なものだから違和感はないけど、イスラーム教徒のモロッコ人には理解不能だろう。
モロッコでは8世紀ごろにイスラーム教が伝わったとき、それまで現地のベルベル人が信仰していた宗教は「邪教」として排除されたから、いまでは何も残っていないという。
一神教の宗教ではこれは信者の義務で、神への冒とくになるから異なる神の存在を認めることはない。
この事情はヨーロッパにキリスト教が広がったときも同じ。

世界的にはそれが常識だから、異教の神や仏が一体化するという、一見でたらめな日本人の信仰を不思議に思う外国人はよくいる。

本地垂迹についてくわしいことはここをクリックですよ。

神仏習合思想の一つで、神道の八百万の神々は、実は様々な仏(菩薩や天部なども含む)が化身として日本の地に現れた権現(ごんげん)であるとする考えである。

本地垂迹

 

ただ神仏習合が当たり前になって、改めて考えてみると、どっちがどっちか分からなくなる日本人も出てくる。

 

 

さて最近、12月13日は正月始めの日ということを記事に書いた。

【正月始め】世界が注目・賞賛する、お掃除民族の日本人

これは正月の神さま(年神さま)を迎えるための準備で、家の中を掃除したり正月料理の用意をしたりする。

だいたいこれと同じ時期に、「念仏の口止め」という行事が行われていた。
年神は神道の神で仏教の念仏が嫌いだから、(地域によって日は違うけど)12月16日から1月16日の1か月ほどの間は念仏を唱えないという風習があった。
年神さまが去って、念仏を唱えていいとされたのが1月16日でこれを「念仏の口開け」という。

でも、神道の神に配慮して念仏を停止させられるというのは、仏教の立場からすると屈辱的。

宗教評論家のひろさちやさんの著書「仏教とっておきの話 (新潮社)」からの引用と思うけど、法徳寺というお寺さんのホームページにこんな文がある。

歯がゆい期間だと思います。浄土真宗では死を忌み嫌うという考えがありませんから、念仏が縁起が悪いなどという考えは認められません。死を忌み嫌うというと、ご先祖様を忌み嫌うという考えになりかねないからです。

念仏の口止め

 

とはいえこれは全国的な行事ではないし廃止されたところも多いから、念仏の口止めを知らない人も多いはず。
でもこういう考え方があったということは、日本人は神仏習合を当然としながらも、同時にどこかで区別を付けてきたということでもある。
これも日本人の宗教観のあらわれだ。

 

 

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1 個のコメント

  • 中東発の世界三大一神教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、いずれも同じ唯一絶対の神(the God)を信仰しているにもかかわらず、預言者が誰であるのかという点で見解の相違が異なる「別の宗教」として成立しており、その歴史では互いに血で血を洗う戦いを繰り広げてきた。今でもその戦いは続いています。
    私にはそのことが「謎」でしょうがない。自分と同じ宗教を信じないからと言って他人を許せず、殺し合いまですることがどうして宗教? 人類の幸福に全く寄与してないじゃないですか。

    どんな神様を信じようが信じまいが、一神教であろうが多神教であろうが、構わんでしょ。
    人間が進むべき正しい道は、決して神様が示してくれるものではなく、人間自身が考えて決めるしかない。日本人はそのことを分かっているからこそ、全ての宗教に対して寛容で適度にごちゃ混ぜでも平気でいられるのですよ。結婚式、葬式、祝祭日、その時に手段と方法を与える程度の役割があれば、宗教なんぞそれで十分です。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。