12月にはいると、街のあちこちで登場するのがクリスマスツリー。
「クリスマスはキリスト教の行事なのに、異教徒の日本人が祝うなんて」なんて声がひと昔前はあったけど、もともとクリスマスとキリスト教は関係ないという見方が広がったせいか、いまではそんなグチもあまり聞かなくなった。
*たとえばイエス・キリストが12月25日に生まれたとは聖書に書いてない。
日本では1886年(明治19年)に、横浜の明治屋で初めてクリスマスツリーが飾られたといわれていて、その日の12月7日は「クリスマスツリーの日」という記念日になっている。
緑をベースに赤、白、金色といったカラフルな見た目は子供心をくすぐるし、オシャレだから百貨店やレストランなどのデコレートにもぴったりビンゴ。
日本の中学校で英語を教えていたアメリカ人は、赤い帽子に白い雪、お星さまといったモノを飾るのは、7月の七夕飾りに似ていると言う。
個人的には、神道の「樹木信仰」がクリスマスツリーを受け入れた土壌になっていると思うのですよ。
現在の東洋大学を建てたことで有名な明治の教育者、井上円了(いのうえ えんりょう)は、西洋文明を取り入れるときには、そっくりそのまま移植するではなくて「日本化」させることが大事と指摘した。
西洋の文明をひとたびわが日本の腸胃に入れ、これを消化吸収して一個の日本的の文明となさざるべからず
「欧米各国 政教日記 (井上 円了)」
これは、外国の文化や考え方を受け入れるときも同じ。
日本の価値観や風土に合ったものならそのまま「直輸入」でもいいけど、もし違っていたら日本風に変化させる必要がある。
海外の概念に合わせて日本人の意識を変えるというケースもあるけど、基本的には日本社会に合わせる柔軟性がほしい。
井上円了
では改めて、クリスマスってやつはどうなのか?
この西洋文化はもうわが日本の腸胃に入れ、これを消化吸収して一個の日本的の文化になしているでしょ。
それを象徴するのが俳句の季語。
ちょうど5文字で使い勝手がよかったせいか、「クリスマス」は明治時代に季語に採用された。
それだけではなく、「降誕祭」「聖樹」「聖夜」といったクリスマス関連の言葉も季語となって、日本人はこれらを使って12月の句を詠んできた。
これは明治時代に正岡子規がつくった俳句。
「八人の 子供むつまし クリスマス」
病気で弱っている自分とは対照的に、8人の子どもたちが仲良くクリスマスを楽しんでいる。
正岡子規はその光景をねたんでいるのではなくて、ほほえましく思ったはずだ。
これは山口誓子の句。
「ずり落ちず 聖樹に積みし 綿雪は」
クリスマスツリーに積もった雪は落ちることなく、たまったままになっている。
落ちそうで落ちない緊張感を詠んだのだろう。
「降る雪や 明治は遠く なりにけり」で有名な中村草田男はこんな句をつくった。
『降誕祭 睫毛は母の 胸こする』
クリスマスの日、子供の睫毛(まつ毛)が母の胸をこすっている。
母親の胸に子どもが顔をうずめている様子を表す。
クリスマスをこうやって応用するのは日本人ならでは。
ビジネスレターの例文でもクリスマスのワードは定番だ。
「寒さもひとしお身にしみる頃となりましたが…」といった堅苦しいものではなくて、親しみやすさをアピールしたいときには、「クリスマスのイルミネーションが街に輝いています。」といったカジュアルな文がいいとネットで紹介されている。
この記事を書くためにいろいろ調べていたら、昭和3年に朝日新聞が「クリスマスは今や日本の年中行事となり、サンタクロースは立派に日本の子供のものに」と書いているという情報を発見。
明治19年にクリスマスツリーが登場してからもう100年ほどになる。
その間にこの西洋文化は日本人の好みや価値観に合ったものへ変えられて、いまではすっかり社会に溶け込んでいるのだから、クリスマスはもう日本の伝統行事や文化といっていい。
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