日米で人気の歌、アメイジング・グレイス。
でも使われ方は反対で、アメリカではお葬式に使われるようなデス・ソング(死の歌)に対して、日本ではめでたい結婚式の定番ソングとなっている。
そんなことをちょっと前に記事で書いたわけだ。
文化の違い:米国人、日本の結婚式のアメイジンググレイスに衝撃
それときのう「民」という漢字は、針で目をつぶされた奴隷が由来になっているという話を書いた。
さらに今月2日は「奴隷制度廃止国際デー」だった。
1949年12月2日、国連で「人身売買および他人の売春からの搾取の禁止に関する条約」が採択されたことを記念して、2000年にこの国際デーが制定された。
21世紀の現在になっても、奴隷制度や奴隷売買はいかなる形においても禁止する、と国連が言わないといけない状況が世界にはあるらしい。
とにかく最近、アメイジング・グレイスと奴隷の記事を書いたから、今回はこの歌ができた背景を説明しよう。
日本ではこの歌は結婚式で人気なんだがそれだけじゃなく、アメイジング・グレイス という18禁の美少女アドベンチャーゲームが2018年に発売された。
「素晴らしき恩寵(神の恵み)」という意味のキリスト教の讃美歌、アメイジング・グレイスの歌詞はこんなもので、どう見てもエロゲーのタイトルにふさわしくない。
「驚くべき恵み
私のように悲惨な者を救って下さった。
かつては迷ったが、今は見つけられ、
かつては盲目であったが、今は見える。
神の恵みが私の心に恐れることを教えた。
そしてこれらの恵みが恐れから私を解放した
どれほどすばらしい恵みが現れただろうか、
私が最初に信じた時に。」
アメイジング・グレイスを作詞したのは18世紀のイギリスに生まれたジョン・ニュートン (1725–1807)。
この男は奴隷船の船長をしていて、アフリカの黒人奴隷をフロリダ近くの西インド諸島に運んで金をかせいでいた。
時代によって奴隷の扱いは違っていただろうけど、これはその一例だ。
奴隷船に奴隷を積みこむ数日前に奴隷は全員、男も女も頭を剃られた。
また、積み荷の所有者のイニシャルか会社のブランドが奴隷の身体に焼き印された。
新世界へ向けて出帆する当日には、城塞や「バラクーン」と呼ばれる小さな檻に閉じ込められていた奴隷たちは、最初で最後となる豪勢な食事を与えられた。食後奴隷たちは二人一組になって足首に鎖をつけられ、奴隷船に連れていかれた。彼らは全裸で、男女別々の船倉に入れられた。
「近代世界と奴隷制 (人文書院)」
悲しみや絶望から海に飛び込んで命を絶つ者もいた。
者でなく“物”と表現していいほど黒人奴隷はひどい扱いをされ、劣悪な環境の船内に閉じ込められて到着する前に感染症や栄養失調などで死ぬこともよくあった。
死体はそのまま海にドボン、だったはず。
でも当時の欧米人にとってこれは常識と良識の範囲内だったから、ニュートンも特に違和感を感じることなく仕事に励んでいただろう。
そんな彼に、それまでの価値観や人生を一変させる出来事が発生。
1748年5月10日、彼は大事な大事な命を失いそうな恐ろしい経験をする。
イングランドへ蜜蠟を輸送中、船が嵐に遭い浸水、転覆の危険に陥ったのである。今にも海に呑まれそうな船の中で、彼は必死に神に祈った。
当時の価値観ではキリスト教の信者でいることと、黒人を家畜のように扱うことは矛盾しない。
このとき自分が助かった奇跡をニュートンは恩寵(神の恵み)と考えた。
これを機会に生まれ変わった彼は酒や賭けごとをやめ、聖書や宗教に関する書物を熱心に読むようになる。ただしその後6年間、奴隷貿易をつづけながら。
その後、牧師となったニュートンが1772年に作詞したのが「アメイジング・グレイス」。
この歌には、かつて自分が奴隷貿易に関わったことへの後悔の念と、そんな罪深い自分に赦(ゆる)しを与えてくた素晴らしい神の愛に対する感謝が歌われている。
つまり、
「私のように悲惨な者を救って下さった」
「恐れから私を解放した」
というのは自分のことだったのだ。
奴隷貿易でアフリカの人たちを地獄に叩き落してこれだから、いま考えればあきれるほど自己中な発想なんだが、ニュートンは当時の常識にしたがって生きていただけだから、まぁ責める気はない。
でもこの歌ができた背景を考えたら葬式や結婚式ではなくて、「奴隷制度廃止国際デー」で歌うのが良さそうだ。
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