すこし前、日本で仕事を探していた無宗教のフランス人が「結婚式場で神父のバイトをやらないか?」というオファーを受けて、自分がやっていいのかよく分からなかったけど、やってみたら意外と気に入ったという話を書いた。
何でもアリの無宗教国:日本で“バイト神父”を楽しむフランス人
仏教徒や神道の信者、無宗教といったノンクリスチャンの日本人が教会で結婚式を挙げるというのは、フランス人の彼から見ると不思議なんだが、日本でキリスト教は一般的に「文化」として受け入れられているから問題も違和感もない。それに時給もいいし、彼にとってはケセラセラ。
でも、その国の文化を無視して、または分からずに、独自の受け止め方をすることはヨーロッパ人でもある。
香典袋を見て気に入って、クリスマスカードとして母国の友人に送ったというドイツ人もいるのだから。
「このたびはご愁傷さまです」と「メリークリスマス!」は、銀河系の端から端ほど違うのだけど。
文化の違う外国人は、それに込められた意味や背景を理解しないで、勝手な解釈をして楽しむからこっちはビックリする。
といった話を日本に住んでいたアメリカ人から聞いたから、これからそれを紹介しよう。
そのアメリカ人は日本の小中学校で英語を教えていた女性で、いまは韓国の小学校で英語の先生をしている。
この前その人とスカイプで話をしていた時に、「あれには本当に驚いたぞっ」と日本人の結婚式に出席した時の話をする。
別の日本人と式の始まる30分ほど前に教会へ到着して、「新婦はどんなウェディングドレスを着てくるのだろう?」とワクワクで待っていると、実際はドレス以前に、教会に響き渡った曲を聞いて鳥肌が立つような違和感を感じたという。
新婦の友人が新郎と選んだ入場曲は「アメイジング・グレイス」だったから。
アメイジング・グレイスは、日本の結婚式や披露宴で使われる歌としては定番にして鉄板。
私事なんだが、ボクの友人もこの美しい曲が気に入って、式ではこの歌が流れるなか神父と、いや新婦と手をつないで入場してきた。
このアメイジング・グレイスはキリスト教の讃美歌で、graceとは「神の恵み」や「恩寵」といった意味。でもって、“本場”のアメリカでは真逆の使われ方がされている。
あちらでこれはお葬式の曲なのだ。
アメリカでは故人を追悼する場でよく聴く歌だから、そのアメリカ人は結婚式で死を連想させる歌を聴くとは夢にも思わなかった。
「だってアメイジング・グレイスは“デス・ソング”なのよ!むしろ結婚式には一番合わない歌なのに」とそのときを振り返る。
「結婚式で仏教僧の読経が聞こえてくるようなもの。そう言えばわかる?」と言うのだが、たしかにアメリカ人の結婚式でお経が聞こえたら「これから一体、何が始まるんだ?」とは思う。
でもそのアメリカ人はこれを日米の文化の違いと理解していたから、アメリカ式を“正解”として押し付けることはない。
本人が幸せならそれでいい。
きのう別のアメリカ人とイギリス人と会ったから、このことについてきくと、やっぱり違和感ありまくりでアメリカ人はこう言う。
「オレがアメイジング・グレイスを聴くと、映画の中で遺体を入れた棺に土をかぶせるシーンが思い浮かぶ。とても悲しい気持ちになるね」
でもイギリス人のほうは、これに「デス・ソング」というイメージはないけど、結婚式のような祝いの席で流す歌でもないと言う。
ちなみにアメイジング・グレイスを作ったのはイギリス人。
ただ2人とも、自分たちの価値観から「結婚式にアメイジング・グレイス」という日本の文化を否定することはない。
そもそも仏教徒の日本人が教会で結婚式で挙げるのだから、突っ込んだらキリがないし、他人の結婚式は自分たちには関係ない。
関係ないことはどうでもいい。
無宗教のフランス人がバイトで神父をしようが、香典袋をクリスマスカードにしようが、本人や関係人がハッピーで丸く収まるのなら、それでいいのだ。
おまけ
2015年に9人が射殺される事件がおきたあと、教会で行われた追悼演説でオバマ米大統領がアメイジング・グレイスを歌った。
これがアメリカ式。
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アメイジング・グレイス(素晴らしき神の恩寵)は讃美歌ですから、そりゃまあ米国人がやってるように葬儀の場で歌われても不思議ではありません。が、讃美歌の使われ方や詩の内容を考えると、結婚式の場で歌われても別段おかしくはない。
それがなぜ、イギリスから米国へ渡って専ら葬送の歌となってしまったのか? 推定ですが、おそらく、元の詩の内容を直視することが米国人には耐えられなかったのでしょう。なので、これを「葬送の歌」へと追いやることで、心の平安を保ったのです。記事にあるイギリス人のコメントも、おそらく、米国人の感じ方が逆輸入された影響だと思います。
アメイジング・グレイスの歌詞の内容は、「黒人奴隷貿易に関わったことに対する悔恨と、それにも拘らず赦しを与えた神の愛に対する感謝が歌われている 」のですからね。これを「葬送の歌」とするのはかえって不自然。米国人自身が感じる「良心の呵責」に対する、宗教上の「安全弁」となっているのでしょう。
奴隷商人の話は次に書こうと思ってました。
ネタバレですね。