愛し合う男女が結ばれる美しいイベントは世界中にあるけど、日本でおこなわれる結婚式は外国人から見るとツッコミどころ満載らしい。
ご祝儀が高すぎる!
だから招待されると実はお通夜の気分になる。
決められた時間内に、スケジュールどおり完璧にこなす日本人はさすが!
でもショーを見ているみたいでちょっと引く。
と言う人もいたが、ここでは日本人の宗教観にフォーカスして書いていこう。
日本人女性と結婚して静岡に住んでいたフランス人が仕事を探していると、「結婚式場で神父をやらないか?」というオファーを受ける。
でも自分はカトリックの聖職者ではないし、そもそも教会に行くのは高校生のころにやめて、いまはほとんどキリスト教を仰していない。
依頼してきた日本人にそう話すと、「それは大丈夫。うちの教会で結婚する日本人もほとんど仏教徒だし、君は白人で西洋人っぽい顔をしているから問題ない。」と大問題になりそうなことを言われた。
そんなことで、ふだんは無宗教の彼が週末になるとキリスト教の聖職者の格好をして、教会で無宗教の日本人カップルを相手に聖書を読むという日々が始まった。
英語で聖書を読むかと思ったら、「フランス語にしてください。その方がきっと雰囲気がでますから」という式場の意向で仏語に決定。
仏教徒の日本人が教会で結婚式を挙げるのは、一般のフランス人の感覚からすると違和感ありまくりなのだけど、そもそもキリスト教を信じていない自分が神父をやっているのだから何も言えない。
母国の知人友人に話すともれなくビックリされ、母親からは「アンタ日本で何やってんの?」とあきれられた。
「見た目は完全にキリスト教のスタイルだけど、神はどこにもいないんだぜ。来日する前、オレが結婚式場と契約を結んでカトリック神父のコスプレをして、目の前で日本人が指輪を付けることになるとは思わなかった」と不思議体験を語る彼。
ようこそ何でもアリの島国へ。
でもそのバイトは時給がよかったし、仕事もハッキリ言って楽で内容も気に入っていたから、そのフランス人はよろこんでバイト神父をしていた。
一言でいえばウィンウィン。
彼は日本人を仏教徒と言うのだけど、歴史的にみるとそれは正確ではなく、日本では仏教と神道がミックスされていて、日本人の信仰は神仏を同時に信じるハイブリッドなのだ。
明治時代に神仏分離令が出る前の日本を、評論家の山本七平氏がこう表現する。
日本では神道と仏教とが一体化していました。仏教の寺院の境内に神社があったり、また神社に社僧という坊さんがいたり、仏像が御神体の神社があったりで判然としていませんでした。
「日本人とは何か。(上巻)神話の世界から近代まで、その行動原理を探る (PHP文庫) 山本 七平」
欧米でキリスト教の教会の中にイスラーム教のモスク(礼拝所)があることは考えられないけど、日本ではむかし、神社の中にお寺があるのは日常の風景だった。
日本では神仏需の三教が生活に溶け込んでいたから、神社にあるお寺で儒教の論語を教えていても、違和感を感じる人はほとんどいなかっただろう。
そんなお寺(神宮寺)で仏事をしていたのが社僧で、神社に奉仕するこんな僧は奈良時代からいた。
日本ではこんな宗教混交の状態がずっと続いてきたのだから、いまさら無宗教の男女がキリスト教の教会で、同じく無宗教の西洋人神父に永遠の愛を誓って何ももおかしくない。
むしろ日本人の伝統的な価値観に合っている。
長い歴史と伝統があって日本を代表する大寺院の仁和寺も、太ものを見せる美少女キャラクターとコラボする時代なのだから、無宗教のバイト神父なんて大したことじゃない。
画像は御室ムスメ公式ホームページのキャプチャー
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> 母国の知人友人に話すともれなくビックリされ、母親からは「アンタ日本で何やってんの?」とあきれられた。
ははは、そりゃそうでしょうね。母国のお母さんにしてみれば、まるで息子が「新興カルト宗教の勧誘活動にでも関わっている」かのように思えたのでしょう。
ようこそ、宗教の呪縛から解放されて、人類史上最先端となった文明社会へ。
なお無宗教であってもお隣の中国ほどには社会での競争は激しくはなく、互いの尊敬・尊重と公的秩序は保たれています。それが日本の教育成果と民度なのだと私は思います。
神仏習合は八幡神社の頃から始まっていると思いますが、キリスト教の教会についても、どこだったか、寺と一緒になっている(寺の一部を教会が借りている)ところがあったような気がします。どこだったかな?