ネット時代ってすばらしい!
先週スカイプで日本の自宅から、母国にいるアメリカ人やドイツ人と話をしてつくづくそう思った。
「いま雪が降ってる。ほら」と窓の外を見せてくれて、個人と個人が現地の様子をリアルタイムで知ることができる。
遠く離れたところへ情報を伝達する手段としては、モノを燃やして発生する煙を利用した「狼煙」(のろし)は人類最古の手段のひとつ。
狼煙は早く情報を伝えられるメリットがある一方、その内容は簡単なものに限られていたから、戦いのときなどの緊急時に使われることが多かった。
戦国時代には戦国大名が通信手段として用いたと言われ、『甲陽軍鑑』に拠れば甲斐国の武田信玄は一方の国境で戦となり、また、別の国境で戦となっても伝令が出せたという。
「烽家」の土器片が出土したことから、狼煙番だったと考えられている建物(の復元)
「敵が攻めてきたっ!」という非常時でなくて、普通に生活しているときには、人が手紙を運んで直接相手に届けるやり方が一般的。
これなら狼煙と比べるとかなり細かい情報を、天候に左右されず遠くに伝えることができる。
日本で活躍した配達人は「飛脚(ひきゃく)」で、これは「速く走る者」や「手紙を運ぶ者」という意味をあらわす。
馬に乗ったり全速ダッシュしてメッセージを届ける飛脚は古代からいて、鎌倉時代にはその制度が整えられた。結果、京都~鎌倉の間なら3、4日で情報伝達ができるようになった。
このへんは京都の「反乱」を警戒した鎌倉幕府が、その“芽”がでたら、すぐに連絡を受けて軍を送るという事態を対応を想定したもののはず。
モンゴル軍が攻めてきた13世紀の元寇のときには、博多から鎌倉へ約12日で到達するようになったという。
日本が元軍を撃退できた理由には御家人の戦いや暴風雨のほかにも、早く情報を伝えられるシステムが整備されていたこともあっただろう。
飛脚
この飛脚が大きく発達したのが江戸時代。
海外からは「奇跡のような平和な時代」と言われることもあるこの期間に、全国の飛脚が手紙、金銭、為替、小さな荷物を各地に運んだことが日本の社会を大きく前進させた。
しかし幕末、「オープン・ユア・カントリー!」とアメリカ人のペリー提督がやって来て江戸時代が終わり、明治になると日本社会を支えていた飛脚も姿を消す。
その最大の理由は1871(明治4)年の1月24日、ちょうど150年前のきょう郵便業務が始まったこと。
それでいまではこの日が「郵便制度施行記念日」になっている。
といっても郵便制度はそれまでの飛脚にかわって作られたものだから、その役割は飛脚の業務をもとに発展させたもので大きくは変わらない。
ということで本日のまとめ。
情報伝達の手段としては大昔には狼煙があって、これは戦いのときによく使われた。
平和な時代になると飛脚と郵便が発達し、経済活動を活発にさせる。
そしてインターネットの時代になると国境がなくなったことで、日本の自宅にいながら、海外にいる外国人とお手軽に国際交流を楽しむことができるようになった。
いまは世界中がそんな時代に生きている。
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