日本人とヨーロッパ人は昔、ミイラを薬として「食べていた」

 

アフリカでサッカーの試合が終わったあと、ピッチ上にコウモリの死骸が落ちていた。
これを見つけたジンバブエ・チームの監督が「これはカメルーンが呪術を使ったに違いない!」と怒ったという話を前回に書いた。

いまの日本人にとっては『呪術廻戦』のようなアニメの世界の話だ。
ではこれと、ご先祖様がミイラを“食べていた”という話では、どちらの衝撃が大きいだろうか。

 

人体を極度に乾燥させることで、亡くなったときの原型をとどめているミイラ。
この死体は昔から日本人に人気(関心?)が高く、静岡ではいまこんなイベントが開催されている。

 

 

数百、数千年前の姿を保っているこのミイラは人びとに神秘の力や、超自然的な何かを感じさせたのだろう。ヨーロッパ人は15世紀ごろから、ミイラを「薬」として服用していたのだ。

ナショナルジオグラフィックの記事(2020.01.05)

ヨーロッパにおいてミイラは、研究対象というよりも、薬や顔料といった実用の商品だった。15世紀には、ひと儲けをもくろむ商人たちによって、エジプトからヨーロッパへミイラを運び出す「ミイラ取引」が盛んになった。

ミイラ巡る黒歴史、薬として取引、見物イベントも

ミイラの体を覆う布を解く「ミイラ開き」のショーは人気の見世物だったという。

 

このビジネスは金になることから、エジプトの古代墳墓に入り込んでミイラを探して持ち出す「ミイラ・ハンター」も出てきた。
でも、ハイリターンとハイリスクはいつも背中合わせ。
暗く危険な墳墓の中で、ミイラ探しの人間がさまよっているうちに死んでしまったことから、「ミイラ取りがミイラになる」という言葉が生まれたなんて説がある。

 

 

日本語の「ミイラ」はポルトガル語由来のことばだ。
このことから分かるようにミイラは西洋由来のもので、江戸時代にオランダから輸入して日本人はこれを「食べていた」。

歴史研究家の河合敦氏がプレジデントオンラインの記事でそう書いている。(2020/04/02)

なんと食べるためだったのである。ミイラを買い取ったのは薬屋や医師たち。そう、ミイラは薬として珍重されていたのである。

江戸の人々が「エジプト産ミイラ」を薬として珍重していたワケ

 

現代では博物館の展示品として鑑賞の対象となるミイラは、この時代の日本人にとっては一種の万能薬で、けがや病気を治す薬として服用していたという。

貝原益軒が編集した『大和本草』(1709年)には「木乃伊(ミイラ)」の項目があって、胸が痛いときには酒と一緒にミイラの丸薬を飲むといいとか、虫や獣にかまれたときはミイラを粉末にしたものに油を加えて患部に塗るといい、といった記述がある。
妊婦が転んで気絶したときには、火であぶったミイラのにおいをかがせるとよろし、なんてわけのわからないことも書いてある。

アフリカの呪術も大概だけど、ご先祖もなかなかすごいことをしていた。
もちろんミイラを薬として服用するのは、もともとヨーロッパ人がしていたことだけど。

ただ、正露丸の主成分である「木クレオソート」の原料となる木タールは、古代エジプトのミイラ作りで使われていたから、その影響でミイラは実際に体に良かったかもしれない。
となると、ミイラを薬として食べていた日本人やヨーロッパ人のほうが合理的だったか。

 

画像:漫漫长冬

 

中国のタクラマカン砂漠で見つかったミイラ「楼蘭の美女」
死亡推定年齢は40歳ほどで、約4000前に埋葬されたとみられる。

 

画像:grooverpedro
–  https://www.flickr.com/photos/116565391@N02/12336662004/in/photostream/ 

 

アルゼンチンで1999年に発見された、驚くほど保存状態の良いミイラ。
インカ帝国時代に人身御供とされた少女で、まるで眠っているよう。
生き埋めにされたこの少女はその儀式が行われる1年前から、向精神作用成分を摂取させられていたという。

 

 

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4 件のコメント

  • 昔の「人生ゲーム」に「ミイラを買う」と言うイベントがあったような覚えがあります。

  • > 貝原益軒が編集した『大和本草』(1709年)には「木乃伊(ミイラ)」の項目があって、胸が痛いときには酒と一緒にミイラの丸薬を飲むといいとか、虫や獣にかまれたときはミイラを粉末にしたものに油を加えて患部に塗るといい、といった記述がある。

    うーん、それは確かにそういう文書があるのでしょうが。
    それを読んで本当に「ミイラの丸薬」を処方していた医者が、本当に「ミイラの元(原料?)は古代エジプトに住んでいた人間である」ことを理解していたのかどうか、疑わしいと思いますね。おそらく中国南部からの「動物の干物」か何かとでも考えていたのではないですか?

    と言うのも、ミイラは別に外国の専売特許ではなく、日本にもあったからです。中尊寺金色堂の奥州藤原氏歴代当主3代とか、奈良時代から高僧がしばしば自分で成した即身仏とか。なので、昔の町場の医師が「ミイラとはこのような人々の変わった姿である」ことを理解していたなら、とても平気で丸薬に流用できたとは思えないのですが。

  • 21世紀の感覚では理解できないことは多々あると思いますよ。
    当時の日本人がどこまで「木乃伊」のことを知っていたのかは分かりませんが。

  • 確かにそうですね。遥かに遠いエジプトの地で、遥か昔に生存していた者なんて、当時の日本人にとっては「人外のもの」であったかもしれません。
    それにしても欧米人のバチ当たりな奴ら。(←こういう感覚が彼らには欠けているのですよね。)

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。