ややタイミングがズレたが、先週の1月30日は「3分間電話の日」だった。
1970年のこの日、公衆電話からの料金(市内通話)が3分間で10円になったことから、こんな記念日ができたらしい。
それまでは10円で時間は無制限、つまり一度かけたら10時間話しても10円で済むという、いまから考えたら夢のような料金体系だった。
そんなことで今回は、明治時代に電話という文明の利器が登場する、その少し前のエピソードを紹介しようと思う。
そのころはまだ電報を使っていた時代で、この「失敗」を知れば、情報伝達の手段が電信から電話に変わったことで、日本人の生活がどう変わったかがみえてくる。
ここでの登場人物は明治の小説家で、いまは歴史や国語の授業でならう尾崎 紅葉(おざき こうよう)と弟子の泉 鏡花(いずみ きょうか)。
弟子がヤラカシテしまい、師匠に怒られたという話。
日本を代表する文豪の尾崎 紅葉(上)と泉 鏡花(下)。
泉 鏡花(1873年 – 1939年)
当時、東京の牛込に住んでいた尾崎紅葉があるとき、友人の巖谷小波(いわや さざなみ)の家をたずねようと思い立つ。
でも、巖谷は外出でいないかもしれない。
それで尾崎は泉鏡花を電信局に行かせて先方に電報を打ち、いま家にいるかどうかを確認させることにした。
尾崎紅葉が泉鏡花を“パシリ”にするなんて、『文豪ストレイドッグス』のような話だけどこれが明治のリアル。
しかし、電信局で泉は困てしまった。
というのは、尾崎から送るよう頼まれた「ヰルナラタヅネル」(もしお前が家にいるなら、いまから会いに行く)という文面を見た局員に、「これでは字数が多いので、料金がもっと必要になります」と言われたから。
*ヰは「い」。
それでことばの達人・泉鏡花は「ヰルナラサガス」という文に変えて電報を送った。
でも、いつまでたっても巖谷から返事がこない。
返事を待っているうちに、尾崎紅葉が電信局に飛び込んでくる。
歌人で随筆家の柴田 宵曲(しばた しょうきょく)に言わせると、それはこんなぐあいだった。
「馬鹿野郎、何をしてゐる。まるで文句がわからないから、巌谷が俥で駆けつけて、もう内へ来てゐるんだ」といふ調子で頭から叱られた。もしお互ひに電話が通じて居れば、一切の問題は起こらぬわけだが、その代りかういふ逸話は残らなかっただらう。
「明治の話題 (ちくま学芸文庫) 柴田 宵曲」
*ゐは「い」、俥は「車」、内は「家」、かういふは「こういう」
泉鏡花が考えて送った「ヰルナラサガス」の意味が、巖谷小波にはさっぱり理解できなかった。それで車(馬車か人力車だろう)で尾崎の家にやって来たという。
そんなことは知らず、電信局でずっと返事を待っていた泉鏡花。
そしたら尾崎紅葉に頭ごなしに叱られた。
泉としては費用を節約するために、尾崎のためを思って短い文章にしたのに、結果的には師匠とその友人に迷惑をかけてしまった。
電話がなかったころの、明治の日本ならではの話。
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> 尾崎から送るよう頼まれた「ヰルナラタヅネル」
> ことばの達人・泉鏡花は「ヰルナラサガス」という文にかえて電報を送ることにした。
> がいつまでたっても、友人の巖谷からの返事がこない。
へー、ことばの達人にしてはお粗末な。どうして「ヰレバタヅネル」という文を思いつかなかったのかな?
きっとまだ若くて、泉鏡花にしても修行が不十分だったのでしょうね。
当時と今では日本語がちがっていたと思いますよ。
泉鏡花は別次元にいる人ですから、想像しても分からない部分があるでしょう。
わはははは、想像してもわからない部分もあるでしょうが、分かる部分だってたくさんあるはずです。
おそらく、焦っていたので、さすがの達人も言葉の選択を間違えた可能性は高いと思いますね。
別次元にいる人だって人間だから失敗はしますよ。そんな権威者だろうが、天才だろうが、他人の笑いものになるような失敗をすることはあって当然です。
根拠があれば事実で、なれば推測です。