郵便マーク「〒」の由来と韓国の「日帝残滓」

 

いまでは日本で知らない人はいない、この郵便マーク。
これが初めて現れたのは1887(明治20)年のことだった。

 

 

個人的な話で恐縮ながら、このマークは勝手に国際的なものだと思い込んでいたら、実はまったく違っていた。いまでは「〒」は日本だけで通じるものだった。

江戸時代の飛脚に代わる郵便事業は1871(明治4)年にスタートした。が、このころは「郵便」の文字だけでシンボルマーク的なものはなかった。
それでは不便なこともあったようで、1887年に逓信省(ていしんしょう:いまの日本郵政グループ)が甲乙丙丁の中から、逓信の「テイ」に合わせて「丁」をシンボルマークにした。
*これには別の説もあり

でもすぐに、それは万国共通の郵便料金不足の記号「T」とそっくりということが発覚。
それで6日後、「テイシンショウ」の「テ」から「〒」を考案して、これが現在でも使われる郵便マークになったわけだ。

幻とはいえ、日本で初めての郵便マーク「丁」が登場したのがきのうの2月8日だったから、この日は「郵便マークの日」という記念日になっている。

 

〒を擬人化した「顔郵便マーク

 

 

お隣の韓国には「日帝残滓(にっていざんし)」ということばがある。
日帝とは日本帝国主義や大日本帝国、残滓とは残りカスといった意味だから、このふたつが結びついたこのことばはエレガンスなものではない。
日本が朝鮮半島を統治していたころに、日本から伝わった文化や文物を総称して「日帝残滓」と韓国で呼ばれている。
「残滓」だから、基本的には社会から除去されるべきものだ。

といってもムン・ジェイン大統領の「大統領」をはじめ、哲学、芸術、文学、科学、技術、権利、義務、首相、長官といったいまでも韓国人がよく使うことばも「日帝残滓」だ。
ほかにも運動会や修学旅行もそうだし、韓国通貨の「ウォン」も日帝残滓だから、これをすべて消すのは容易ではない。

さて、さっき書いたように「〒」のマークは1871(明治4)年に誕生した。
そしてその後、これは日本統治下にあった朝鮮半島でも使われるようになる。
1945年に日本がアメリカに負けて朝鮮半島から撤収したあとも、「〒」は現地にそのまま残った。
だから韓国人もこれを郵便マークとして使っていたけれど、1980年代に「〒」は日本の文化(日帝残滓)と多くの国民が気づいて廃止され、現在のツバメのマークに代わったという。

それでいまでは「〒」を使うのは日本だけになってしまった。

 

 

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。