タイ人・ミャンマー人の“違和感”/日本人の肉食と仏教の歴史

 

3日前の肉の日(2月9日)の少し前、あるお坊さんがSNSで「すごくショックなことがありました」とメッセージをしていた。
てっきり読経中にご遺体が起き上がったのかと思ったらそうではなくて、近所の肉屋が閉店して、大好きだった肉じゃがコロッケを買えなくなったらしい。
それで「これからどこで買えばいいのか、途方にくれてます」となげき悲しむ。

日本に住んでる知り合いのタイ人やミャンマー人がビックリしたのがこれ。
日本では仏教僧が肉食OKでハンバーガーでもフライドチキンでも何でも食べられる、さらに結婚できると知って彼らはおどろいていた。
というか「仏教のお坊さんなのにそれはダメですよ~」とあきれてた。
彼らの見方だとタイやミャンマーでは一般人が飲酒運転をすることよりも、お坊さんが肉を食べるほうが社会的にはより重い「罪」になる。
もちろん飲酒運転はダメだけど、お酒を飲んだあとにそのままバイクで家に帰ることはよくあることらしい。特に田舎では。
日本人の考え方はこの逆で、一般人も聖職者も同じように法律を守って生活することが求められる。
東南アジアの仏教国と比べると、日本では凡人も坊さんもだいたい同じ基準で生きているから、聖と俗の「壁」がない。

 

といってもこれはキリスト教のカトリックとプロテスタントのようなもので、東南アジアと日本の仏教は考え方ややり方が違うだけでそれぞれ正しい。

ただ日本の仏教はめちゃくちゃ世俗化しているから、肉食のタブーはなく(ゼロとはいわない)、お気に入りの肉じゃがコロッケを買えなくなったとSNSで言った住職には、「それはご愁傷様です」といった哀悼のメッセージが寄せられていた。

 

 

日本人ははるか昔、弥生時代や古墳時代には肉を問題視することなくフツーに食っていた。
ただ現代の日本人のようにグルメではなくて、主に身体に栄養をあたえて元気にするような「薬」として、鹿や猪などを食べていたようだ。

しかし飛鳥時代に仏教が伝わると、日本人の食文化が大きく変化する。
仏教では生物の殺生が禁止されていることで、肉食もタブー視されるようになり、675年には天武天皇が仏教思想を背景に牛、馬、犬、サル、鶏を食べることを禁止した。
これが日本初の肉食禁止令といわれる。
天武天皇は仏教の教えを尊重していて、魚を水に戻したり鳥を空に放ったりして生き物を解放する「放生令」も出した。

時代や地域によって違いはあるものの、全体的に日本人は肉食を避けるようになっていく。
だから戦国時代にやって来たヨーロッパ人の宣教師はこんな印象をもった。

「日本人は、西洋人が馬肉を忌むのと同じく、牛、豚、羊の肉を忌む。牛乳も飲まない。猟で得た野獣肉を食べるが、食用の家畜はいない」

「ヨーロッパ人は犬は食べないで、牛を食べる。日本人は牛を食べず、家庭薬として見事に犬を食べる」

 

こんな日本人の食文化が革命的に変わったのが明治時代だ。
「富国強兵」をスローガンに欧米の文化や制度を積極的に吸収するなかで、タブーを打破して肉食を一般化させないといけないと、教養のある意識高い系の人たちが考えるようになる。
たとえば福沢諭吉は「肉食之説」で、日本人は肉を食べないから病弱な身体になる、これからは肉の時代だ。肉を食べて牛乳を飲まないとダメだ、と熱く説く。

古來我日本國は農業をつとめ、人の常食五穀を用ひ肉類を喰ふこと稀にして、人身の榮養一方に偏り自から病弱の者多ければ、今より大に牧牛羊の法を開き、其肉を用ひ其乳汁を飮み滋養の缺を補ふべき

つまり、仏教伝来前に戻れと。

 

「肉だ肉。肉を食え。肉肉肉、とりあえず肉だ。国民はみんな肉を食え」ということで明治政府は1872(明治5)年、仏教僧に対して「肉食妻帯勝手なるべし」という命令を出し、肉を食べても女性と結婚してもいいことにした。

世界的な常識では政治家が宗教に口出しするのはタブーだから、こんなことはフツーならありえない。
欧米やイスラーム圏の国で、政府が宗教の重要な教義を否定・変更するようなことを言ったら、宗教指導者や国民のあいだで猛烈な反対運動が起きてきっと政府がつぶされる。

でも日本ではこの命令のあと、仏教僧が肉を食ったり結婚するようになり、いまではお気に入りの牛肉コロッケが買えなくなると、「これからどこで買えばいいのか、途方にくれてます」というお坊さんが現れる。
タイ人やミャンマー人ならどこから突っ込んでいいか迷うだろうけど、日本はこれでまったく問題ない。

歴史的・伝統的に、政府の出す法令に市民や聖職者が同じようにしたがうのが日本だから。

 

 

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2 件のコメント

  • > といってもこれはキリスト教のカトリックとプロテスタントのようなもので、東南アジアと日本の仏教は考え方ややり方が違うだけでそれぞれ正しい。

    本当にそう言い切れるでしょうか? 私には自信がありません。
    何しろ、「肉食、妻帯、般若湯(=お酒)」を平気で犯している仏教僧なんて、日本だけの存在ですからね。世界の仏教界でも圧倒的な少数派です。それどころか、下手すると世界の宗教全体の中でも日本仏教だけが少数派なのかもしれません。もはや宗教とは言えないとか?
    まあでも、より近代的な意識の上で考えるならば、
    > 一般人も聖職者も同じように法律を守って生活することが求められる。
    > 日本では凡人も坊さんもだいたい同じ基準で生きている
    ということが必要であり、かつ当然であると思います。一般人が普通に行っている社会生活(食生活、性生活、嗜好品の味わい)を聖職者自身が全く知らずして、他人を正しい道へ導くことができるでしょうか? この世のことに対する一切の執着を捨てるように教えたゴータマ・シッダールタの教えも、それだけでは、今は無効なのかもしれません。
    でも言えることは、日本の仏教僧は世界中でも僅かな例外であるということだけです。

  • 東南アジアと日本の仏教を比べて、カトリックとプロテスタントの比喩を出したのはアメリカ出身の大学教授です。
    見方は人それぞれですが、わたしは正しいと思います。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。