日本に初めて伝えられた書は、朝鮮半島の王仁(わに:おそらく中国人)が3世紀ごろに持ってきた『千字文』と『論語』といわれる。
ただしこれは言い伝えのレベル。
確かな根拠のある正確な歴史ではない。
千字文(せんじもん)とは漢字をならうために使われる漢文の長詩で、論語とは儒教の開祖・孔子が2000年以上前に記した書物のこと。
この論語はいまでもAmazonで買うことができるから、日本人と儒教の付き合いはメチャクチャ長くて1500年ぐらいはあるはずだ。
論語
儒教では仁・義・礼・智・信の『五常』という徳を重視していて、多くの人がこれを実践することで、『五倫』(父子、君臣、夫婦、長幼、朋友)のあいだで良好な人間関係を築くことができ、世の中がうまく治まるとされている。
仁:人を思いやること。孔子は仁を最も大事なものとした。
義:利益や利害に関係なく、正しいこと(すべきこと)を行う。
礼:人間の上下関係で守るべきことを表す。
智:学問に励むこと。のみならず、道徳的な認識や判断力を身につけること。
信:真実を告げること、約束を守ること、誠実であること。
これ以上の情報は 儒教 でゲットしてくれ。
孔子
日本以上に儒教の影響をうけたのが隣国さんで、韓国では朝鮮時代の約500年間、儒教が国教になり仏教は弾圧されていた。
だから大ざっぱな言い方をすれば、この時代は国王から国民まで儒教だけを信じてきたことになる。
現在の韓国社会でも「仁・義・礼・智・信」は重視されているし、生活場面でいえば、目上の人の前ではタバコを吸わない、お酒を飲むときに顔を横に向けて口元を手で隠す、といった儒教精神にもとづく文化がある。
韓国の政治でも理想的な政治家は、法で国民を拘束するのではなくて、『仁』の精神と『智』に満ちたすぐれた徳によって人々を治めることが理想とされていると思う。
だから政治家はやたらと詩的で高尚な言い回しをしたり、仁の心から法より情を優先する。でもそれが国民に受けてしまう。
でも韓国人に話をきくと儒教は宗教ではなくて、社会的なマナーや常識、文化と答える人が多い。多いというか、儒教を宗教だと言う人にはひとりも会ったことがなくて、これがすごく印象的だった。
日本でも儒教を宗教とみなさず、倫理や哲学と主張する人がいる。
個人的にも儒教は宗教かどうかというのが前から気になっていて、広い意味での宗教なんだろうけど、実のところはよくわからなかった。
そんな時、出会ったのが琉球新報の記事です。(2021年2月24日)
那覇市の土地無償提供は「違憲」最高裁判断 「孔子廟」政教分離訴訟
那覇市が社団法人に対して、孔子を祭る「孔子廟」の土地を無償で使わせたのは、政教分離を定めた憲法に違反するかどうか。
沖縄にある孔子廟・至聖廟(しせいびょう)
市側は「儒教は宗教ではない」「孔子廟は沖縄の歴史や文化を伝える教養施設で、宗教的意義はない」と考え、公益性を認めて年576万円の使用料を免除した。
これに対し原告は「祭礼では中国式の礼法をしている」と施設の宗教性の高さを強調する。
最高裁判所の判断は、裁判官15人のうち14人が「違憲」と考え、那覇市は政教分離に反したとみなした。
この判断のポイントは、孔子廟が孔子の霊を迎える祭礼を行っていることだ。
孔子を神格化して礼拝する行為からこの施設の宗教性が認められ、費用を免除した那覇市が憲法の求める宗教的中立に違反したと判断された。
ただ最高裁は今回、儒教が宗教か否かの判断はしていない。
でも神格化&礼拝行為は、それが宗教かどうかを判断する有力な根拠になることはわかった。
儒教もこれを行えば宗教になるし、これがなけれれば倫理、哲学、文化だ。
> でも韓国人に話をきくと儒教は宗教ではなくて、社会的なマナーや常識、文化と答える人が多い。多いというか、儒教を宗教だと言う人にはひとりも会ったことがなくて、これがすごく印象的だった。
> 日本でも儒教を宗教とみなさず、倫理や哲学と主張する人がいる。
> 個人的にも儒教は宗教かどうかというのが前から気になっていて、広い意味での宗教なんだろうけど、実のところはよくわからなかった。
それ、正解なんてあるんですか?
結局のところ、宗教とは何か? 社会的なマナーや常識とは? 文化とは? 倫理・哲学とは? という定義によるのでしょう。少なくとも、儒教は「一神教」という類の宗教じゃないですよね。
学問や法律におけるこれらの用語の定義はどうなっているか勉強しながら見極めつつ、自分自身で考え方を決定して、その考え方に基づいて結論を出すより他にありません。
世の中には、そういうことがたくさんあります。
他人が決めてくれるんじゃない、自分で考えて決定し、決断し、行動すべきなんです。
なぜなら我々は現代社会に生きている人間だから。