明石元二郎を知らない日本人。台湾人「残念な気持ち…」

 

近ごろ、ある台湾人がSNSでこんなコメントをしているのを見つけた。

明石 元二郎
第7代台湾総督
即使是台灣人或日本人,
對於這個台灣第七任總督應該都感覺陌生!
不過後來我發現,
這個男人實在太厲害了,
靠著優秀的情報手法,
把世界最大國家(面積)俄羅斯,搞得因此改朝換代!
死後,還專門葬在台灣!

日清戦争に勝利した日本は1895年に中国から台湾を譲り受け、1945年の終戦まで50年間統治していた。
その第七代台湾総督・明石元二郎(あかし もとじろう:1864年 – 1919年)については、台湾人にも日本人にもあまり知られていない。が、知性のあるすごい人物だとわかったから、多くの人に知ってほしいとこの台湾人は「!」を多用して訴えている。
「死後,還專門葬在台灣!」というのは明石が死後、台湾に埋葬されたことを指す。

これへの反応には「いや、それは一方的だ。あの時代の日本は残酷だった」といったコメントは皆無。
「Japanese is really developing Formosa as a country」と日本人はフォルモサ(台湾)を本当に発展させてくれたと評価する声が多い。

ほかにこんな意見も。

「こんな素晴らしい情報の才能と武徳を持った方に対して、知ってる人がそんなに少ないって、残念の気持ち…」

「賞賛に値する素晴らしい軍人だと思います~~~」

日本の台湾統治については、当時は反対する人もいて死者を出す激しい抗日運動があったものの、現在の台湾では個人になると見方はそれぞれだが、「でもこの時代に近代化したのは確か」とおおむね好意的にみられている。

くわしいことはここをどうぞ。

日本からの資本投入は台湾経済の発展と社会インフラ整備を支援し、戦後の台湾経済にも大きな影響を与えている。

日本統治時代の台湾

 

日露戦争で日本が有利になるよう、ヨーロッパで工作活動をしていたことで知られる陸軍軍人の明石 元二郎は、統治時代には台湾総督をつとめていた。

*「日本の明石大佐には本当に感謝している。感謝状を出したいほどである。」とレーニンが語ったという明石の活動について知りたかったら、「日露戦争での諜報活動」をクリック。

第一次世界大戦が終わる寸前の1918年7月、第7代台湾総督に就任した明石はこんな活動を行う。

・台湾電力を設立し水力発電事業を推進
・鉄道貨物輸送の停滞を消解するため海岸線を敷設
・日本人と台湾人が教育を受けられるよう法を改正
(これによって台湾人も帝国大学に進学することが可能になった)
・現在でも台湾最大級の銀行である華南銀行を設立

またダム建設で台湾人からいまも賞賛されている、八田与一を支援したのも明石だ。
明石が総督府の年間予算の3分の1以上をその費用に投じなかったら、この偉業は不可能だったはず。

 

お供え物が絶えない台湾の八田与一像

 

総督として明石が台湾の発展に尽くしたのはもちろんボランティアではなくて、それが日本の利益になるから。
ただ結果的に、日本統治時代の台湾が大いに発展し近代化したのは事実。
でなかったら、「賞賛に値する素晴らしい軍人だと思います~~~」と現代の台湾人からホメられるはずがない。

そんな明石は1919年10月、日本本土へ向かっていた船の中で病に倒れ、故郷の福岡で息を引き取る。

「余の死体はこのまま台湾に埋葬せよ。いまだ実行の方針を確立せずして、中途に斃れるは千載の恨事なり。余は死して護国の鬼となり、台民の鎮護たらざるべからず」

この遺言によって明石の遺体は福岡から台湾に運ばれて、台北市の墓地(いまは林森公園)に埋葬された。
これが「死後,還專門葬在台灣!」につながる。

日本と台湾の架け橋となったこの人物について、「知ってる人がそんなに少ないって、残念の気持ち…」という隣人の思いを知ったら、日本人として、見て見ぬふりをするわけにはいかない。

 

林森公園にある明石の碑石

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。