【日本統治の面影】京都の高雄に由来する、台湾の“高雄”

 

日本にとって台湾はこれ以上ないほど大事な友人で、経済的にも重要なパートナー。
東日本大震災のときには世界のどこよりも熱心に日本を支援してくれた恩人で、日台関係と書いて「そうしそうあい」と読んでもたぶん問題ない。

今回はそんな隣人との絆についての話なので、まずは台湾のキホン情報をおさえておこう。

面積:3万6千平方キロメートル(九州よりやや小さい)

人口:約2,360万人(2020年2月)

主要都市:台北、台中、高雄

言語:中国語、台湾語、客家語等

宗教:仏教、道教、キリスト教

以上の数字は外務省の 台湾(Taiwan)基礎データ から。

 

 

3年ぐらい前、友人の台湾人(20代の女性)が友達を連れて関西にやって来るというから、元京都人として京都案内をしようかと申し出たら、却下された。
ということはなく二つ返事でOKで3日間、一緒に行動することとなる。

2日目、右京区にある宇多野ユースホステルに宿をとって、そこから嵐山へ向かう途中、たしか広沢の池のあたりを車で走っていると、助手席の台湾人が笑い出す。
何かと思えば、交通案内標識に「高雄」と書いてあったのを見つけたからだという。

「台湾にも南部に高雄っていう都市があるんです。だからあの道をまっすぐ進めば、きっと台湾の高雄に着けますね」

いくら日本でもそんなドラえもん的な展開はない。
ただ日本でも台湾でも漢字2文字の都市が多いから、こんな偶然の一致はあるんだろう。
京都の高雄は紅葉で有名だけど、台湾の高雄は港町として知られているらしい。
それと、「高雄の人たちはルールを守りません。バイクで信号を無視したり、逆走する人が多いです」と台北出身の2人は言う。

とこんな感じで、このときは知らなかったのだけど、実は京都の高雄と台湾の高雄には深い結びつきがあったのだ。

*なんで漢字2文字の都市名が多いのかは「好字二字令」のせいで、くわしいことはこの記事をどうぞ。

【日本・中国・韓国】東アジアに漢字二文字の地名が多い理由

 

嵐山高雄パークウェイ

 

現在の高雄の地には昔、原住民のマカタオ族が住んでいてその村は「ターカウ」と呼ばれていた。
ターカウは17世紀はじめにオランダに支配されるものの、そのあとやってきた中国人(漢族)がオランダを追い出してこの地を支配するようになる。
「ターカウ」の音に「打狗」という漢字をあてるようになったのもこのころだ。

 

マカタオ族

 

「問おう、あなたがわたしのマスターか?」というセイバーのセリフを借りるなら、次のターカウの“マスター”は日本。

1985年の日清戦争の勝利によって、中国から台湾を譲り受けた日本は本格的な統治をはじめ、高雄は飛躍的に成長する。

縦貫鉄道は基隆から高雄までの全線が開通し、日本人は南部の港の必要性から正式に高雄の築港に着手した。統治時代初期の高雄の人口はわずか三〇〇〇人余だったが、これによって高雄は一躍発展を始めることとなった。

「台湾都市物語 (ふくろうの本) 後藤治 監修」

 

同じ1908年には都市計画が進められ、セメント工場や台湾製鉄所、レンガ工場などいろいろな施設が高雄につくられた。

1920年になると人口が3万人を超える都市になり、総督府は「打狗」を「高雄」と改称する。
「犬を叩く(打狗)」という名前を良く思わなかった日本人が、打狗(ターカウ)の発音に近くて良い意味の言葉を探したところ、京都の「高雄」が最適だということでそれを採用し現在の高雄が誕生した。
理由はほかにもある。
台湾の人たちが当時、別の都市・民雄の旧称である「打猫」と「打狗」は一対の地名と考えていたことを日本人が考慮して、「民雄」と「高雄」が「雄」で一対になるようにしたのだ。

日本が来る前は3000人ほだった人口は、1943年には20万人を突破して高雄は重要都市となる。

日本がアメリカに負けて台湾から去った後も高雄の人たちは、日本人が付けた地名を変えることはなかった。
だから、京都の高雄に由来する高雄はいまでも台湾に存在している。
日本語読みでは「コウユウ」と音読みにしないで、「たかお」となっている。
北京語だと「カオシュン」だ。

京都の地名が由来になっているにもかかわらず、京都と高雄は姉妹都市や提携都市を結んでいない。
理由は知らんが、台湾の高雄市は熊本市、八王子市、松本市と姉妹都市になっている。

右京区なら台湾の高雄との交流があって、「高雄国際マラソン大会2020」に右京区民を招待している。

高雄地域と区役所が協働しながら,地名が京都の「高雄」に由来している台湾高雄市と相互訪問等による交流を平成27年度から進めています。

右京区と台湾高雄市との交流事業「台湾高雄国際マラソン大会2020」招待ランナーの参加募集について

 

台湾の高雄が京都の高雄に由来することについて、台湾メディアの記事を調べたけど見つからず。
中国メディア「捜狐」にそのことを紹介する記事があったから、根拠のひとつとして載せておこう。(2020-06-12)

1920 年 8 月,日本的台湾总督府下达府令,配合统治台湾政制改组政策,将原本的地名“打狗”(一名“打皷”)改为“高雄”。

「地名“高雄”的由来:中国台湾高雄与日本京都高雄」

台湾第2の都市となった現在の高雄市

 

 

台湾では日本時代の建物を大事に保存し現在に活かしている。
これは高雄にあった「池田屋」という旅館で、修復を済ませていまは亀郷土文化館として公開している。
日本人にとっては「初めてなのに懐かしい」というところが台湾。

画像は台湾情報を発信している Hsu Hsu さんのもの。

 

 

日本時代の建物を保存することなら、まぁわかるのだが、高雄には旧日本海軍の駆逐艦(第三十八号哨戒艇)を「ご神体」として祀る廟がある。

建物はすべて神命に従って建設されたとされ、屋根の青は日本海軍を意味し、菊・桜・富士山・えびす・金閣など、日本を思い起こさせる意匠が随所に見られる

鳳山紅毛港保安堂

画像:Kamakura

旧日本軍の軍人と艦船を「神」として、台湾の人たちが敬意や好意を寄せている。

 

 

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2 件のコメント

  • >理由は知らんが、台湾の高雄市は熊本市、八王子市、松本市と姉妹都市になっている。

    八王子市の場合は、おそらく、有名な「高尾山」があることも理由の一つではないですかね。字は違いますが。
    さっき調べてみたら、熊本市にも「高尾山」があるみたいです。
    松本市の理由は分かりませんでした。

  • そうなんですね。
    ありがとうございます。
    そういえば、高雄山がありましたし、それが縁かもしれません。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。