OOSAKAは「大坂」ではなくて「大阪」。
そんな坂と阪の違いについて前回書いた。
今回はこの続き。
大阪にある「和泉」は、なんで「わいずみ」ではなくて「いずみ」と読むのか?
「和」が無視されているワケと、それを通して日本・中国・韓国など東アジアには漢字二文字の地名が多い理由について書いていこうと思う。
まずこのあたりは昔から清水が湧き出ていて、「和泉」の地名もそれにちなむ。
もっと正確にいうと、泉井上神社にある「和泉清水」に由来する。
奈良時代、元明天皇が「日本全国の地名を良い意味の漢字2文字で表しましょう」という命令を出した。
この勅令が「諸国郡郷名著好字令」や「好字二字令」と呼ばれるものだ。
いまの日本の地名には漢字二文字のものが圧倒的に多い。
この伝統はこの天皇の命令によって生まれた。
知り合いのアメリカ人が電車に乗っていると、駅名がどこも同じように見えて分かりづらいと文句を言っていた。
その原因もこの天皇の命令が大きく関係している。
NHKの「解説委員室」で文筆家の伊東 ひとみさんがこう書いていた。(2017年09月26日)
奈良時代初めに出された、いわゆる「好字二字令(こうじにじれい)」が挙げられます。(中略)この頃から一斉に地名が二字化されたことがわかっています。今でも地名に漢字二文字のものが多いのは、これに起源があります。
「地名の古層をさぐる」(視点・論点)
もとから漢字二字の地名はいいとして、一字や三字の地名もこれによって、二文字にしないといけなくなったわけだ。
それでたとえば北関東の「上毛野」や「下毛野」という地名の場合、「毛」が外されて「上野」「下野」という表記になった。
ほかにも「近淡海」が「近江」になり、「木」が「紀伊」になったりする。
ボクが住んでいる浜松の旧名は「遠江」で、もともとは「遠淡海」の三文字だった。
ここまできたらコナンでなくても、「和泉」の理由も見えてくるはず。
もともとは「泉」だけだったのだけど、好字二字令によって「和」を無理やりつけて「和泉」になったというワケだ。
ほかにもこんな例がある。
倭→大倭(大和)
無邪志、胸刺、牟射志→武蔵
津→摂津
沖→隠岐
火→肥前、肥後
粟→阿波
「全国の地名を良い意味の漢字2文字で表しましょう」という発想は日本人のオリジナルではない。
中国の唐がそのように地名をつけていたから、それを日本や韓国(新羅)が採用したのだ。
だから東アジアの地名には、北京・洛陽・西安・釜山・仁川など漢字二文字のものがたくさんある。
そんな話を韓国人が知っているか聞いてみたら、「知りませんでした。韓国の地図は全部ハングルで書いてあるから、まったく気づきませんでした」と言う。
いまの韓国人は漢字を使わないから、「好字二字令」の伝統もどうしても気づきにくくなる。
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